5/天使の絵の具

 サカトゥムのはるか北──我が大陸と知られざる世界アンノウンを分け隔つ氷壁グレートウォールの近傍で、哨戒任務にあたっていた小隊が消息を絶った──。


 わたしはその事実をボンズの政務所前に建てられた交信鏡で知った。サカトゥムなら地区ごとに設置されている交信鏡だが、ボンズはこれ一台きりだ。マナの供給も不安定なのだろう。鏡に映る黄金の羊毛国の報道官の顔は乱れに乱れていた。


「テオンさん、そろそろ出発しましょう」


 政務所から出てきたルカが、交信鏡をちらりと見てから言った。木箱で満載の台車を引いている。木箱の中身は公文書で、これらをサカトゥムまで運ぶのがルカの任務だった。


 ……重そうだな。名目上はこちらが従者なので交代を申し出たが、なかなかどうしてわたしの力ではピクリとも動かない。そうこうしてるうちにステラを肩に担いだバイケンが姿を見せたので、力仕事は彼に任せることにした。


「え? ホントにあたしたちだけ?」


 平和な時代とは言え、魔物の類は出没する。だからこそ騎士が文書を運ぶのだが、今回の任務に割り当てられたのは我らのみなし騎士一人だけだった。


「地方の政務所はどこもかしこも予算不足だからね。私送の引き受けがそこそこあるから持ち出しはなさそうだよ?」


「それだって半分は手数料とかで持ってかれるじゃないの。だったらあたしら従者の宿泊費くらいだせっつーの」


「最近は魔物もよく出るというし、気を引き締めて行くぞ」


「ですね。頼りにしてますよ、バイケンさん。それにステラも」


 サカトゥムまでの道中、我々は何度も魔物に襲われたが、その度にバイケンとルカが徒手でやつらを打ち倒した。


 一度だけ、ゴブリンの群れに包囲されたことがあった。ルカはわたしに合図をしたら目を閉じるよう言ってから「ステラ!」と叫んだ。


 すかさず広いスペースに走り、踊り出すステラ。殺到するゴブリンと、そうはさせじと足止めをするバイケン。ルカは──呪文を詠唱している。


「今です。昏睡魔術コーマ!」


 ルカは、強烈な眠気を催す魔術を。わたしは咄嗟に目を閉じ、しばらくの後、開ける。するとポーズをきめるステラの周りでぐっすりと眠るゴブリンたちの姿があった……。


「ステラの『天使の絵の具デカルチャー』は、見たものに自分が受けた魔術の効果を及ぼす奇跡の踊りの作法が記された魔道書です。踊っている間は魔術的な力場が生じるため、本人がダメージをうけることはありません」


 バイケンがゴブリンたちを縛り上げている間に、ルカが話しかけてきた。


「強力な攻撃魔術や魔道書魔術オーダーメイドは無理ー」


 これはステラ。ルカはいつもの寂しげな笑みで彼女に返事をすると、わたしを少し離れた場所に連れ出した。


「彼女の踊りをどう思いました?」


「正直複雑な気分だ。仲間としては心強いが悪用すれば恐ろしいことになる」


「ええ、


 ステラが属していた旅芸人一座の長は、彼女が踊る度、魅了魔術チャームをかけていた。不完全な魔術ではあったが、効果はあったようで、彼らの興行はいつも大盛況だったという。


 しかし、ボンズの街での興行中に魅了魔術をかけられた客の一人が暴走し、控室で休んでいたステラに襲いかかるという事件が発生した。警備の騎士のひとりがステラの悲鳴を聞きつけて、その場にかけつけたので、最悪の事態は避けられたのだが、それでも彼女が傷ついたことは想像に難くない。


 踊り子を危難から守った騎士は、この件を不審に思い、独自の調査を行い、旅芸人一座の長が、禁止されている興行での魅了魔術の不正使用を証明し、一座を解散に追い込むとともに、彼女を保護したのだった。


「ステラは君に助けられたと言っていたが」


 であればその騎士というのはルカ自身ということになる。


「彼女にとってはそうかも知れません」


 わたしはしばらくの間考えてから「彼女が踊りの力を持っていなかったら、一座を解散に追い込むことまではしなかったと、そう言いたいのかね?」と尋ねた。


 ルカは例のひどく寂しげな笑みを返した。


「わたしもそうなのかね?」


「軽蔑しますか?」


「わたしは君に助けられた。わたしにとってはそうだし、それで充分だとも思う」


 それは今のわたしの偽らざる気持ちだった。


「……そろそろ話しておいたほうがよさそうですね」


 しばらくして、ルカが言った。


「何をだね?」


「まずは二人のところに戻りましょう」


 わたしたちが引き返すと、まずステラが、続いて最後のゴブリンを縛り上げたバイケンが近づいてきた。


「ステラ、『剣の勇者の物語』のあらすじは覚えているかな」


「もっちろん。魔王をぶっ倒す聖剣──つまりはその剣の話でしょ?」


 ルカは小さくうなずいて平和な時代に似つかわしくない大きな剣を、鞘ごと腰から抜いた。


「ぼくの剣には三つの力があります。ひとつはいまステラが言った魔王を討つ力。この力は人々に滅びの危機が近づけば近づくほど強くなります」


 言いながらルカは、剣を鞘から少しだけ浮かせてみせた。


 鞘の口からわずかに覗ける刀身が青白く発光しているように見えるのは、錯覚ではなかった。


「ひとつは死に反応して光を放つ力。この光は人々が死ねば死ぬほど、輝きが強くしていきます。十年ほど前に緑痰病が蔓延したときなどは目が開けてられないくらいの眩しさでした」


 そしてルカはゆっくりと剣を抜き放った。わたしは思わずあっと声をあげた。剣が青白く発光しているだけではない。面に黄金色の文字らしきものが浮かび上がっているのだ。それが何を意味しているのかはわからないが、もはや明らかに昔日の聖剣ではなかった。


「最後の一つは、魔王が復活したとき、刀身に古代文字が現れてそれを知らせるというものです」


 ルカは目を伏せて言った。


「残念ながら魔王は復活しました」

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