4/なりそこないの勇者
ルカの住まいはシエナから西に四日ほどあるいたところにあるボンズという古い街の郊外にあった。
「この辺りなら交通の便に目を瞑れば、ぼくでもこれくらいの屋敷を持てるのですよ」
ルカはハーフリングが投げた石でも倒壊しそうなくらいの建物の古さボロさにも目を瞑っているようだった。
だが、そうでもしなければルカは屋敷を持ち得なかっただろう。財政赤字が問題となっている黄金の羊毛国では、本来騎士身分でない者をわずかな俸給で雇い、騎士並の仕事をさせるということが常態化している。彼もまたそうしたみなし騎士の一人だった。
従者も馬すらも持たぬ我がみなし騎士は、日の出とともに屋敷を出て、ボンズの政務所に向かう。政務所の仕事は本来日没までだが、残務があればそれを片付けるまで帰れない。ルカはてきぱきと仕事をこなす方だったようだが、それでも日が変わる頃に屋敷に戻ってくることが何度もあった。
一方わたしはほとんど何もせず、怠惰な日々を過ごしていた。家事くらいはやっても良いと思っていたのだが、先住者のバイケンという中年男が何事も完璧にやってしまうのでわたしの出る幕はなかった。ルカに頼まれて、ボンズの町医者ではやりおおせないような難しい手術を引き受けたこともあったが、それもそう多いことではなかった。
「テオン先生っ。盤攻やろ、盤攻っ」
そういうわけでわたしの日課はもっぱらもうひとりの先住者であるステラ・ミーティアの遊び相手になることだった。
「ひと勝負終わったら、勉強もするんだぞ?」
「えー、三本勝負にしよーよー」
ステラは褐色の肌と底なしに明るい声が魅力的な少女だ。まだ十代半ばを過ぎたばかりのはずだが、以前は旅芸人の一座で踊り子として働いていたらしい。勉強は苦手で遊び好き。特に木盤に配置したコマを動かし戦わせる盤攻というゲームが大好きだった。
「それじゃあ、君が勝ったら一回だけ再戦しよう。わたしが勝ったらおしまい。それで良いな?」
「はーい」
二人で盤を組み立てて、駒を配置し、いざ開戦。ステラはこのゲームが大好きだがそれほど上手いわけではない。この屋敷に来るまで盤攻で遊んだことがなかったわたしとは結構良い勝負になるのだ。
「……そう言えば、君たちはどうしてこの屋敷に住むようになったんだい?」
わたしがそう切り出したのは、中盤戦のヤマにさしかかったあたりのことだった。
「どうしてって? うーん、多分先生と一緒だと思うけど」
先行したのはわたしだった。ステラよりも早く
「一緒? 君やバイケンさんも彼に助けてもらったのかい?」
「違う違う。あ、いや、確かにあたしはルカに助けてもらったんだけど、そうじゃなくて。先生は言われてないの? 魔王の討滅に協力して欲しいって」
「……あれを真に受けたのかね」
「正直、雲を掴むような話だとは思うけど、ルカが本気だってことは間違いないと思うよ。でなきゃ何年も魔王を倒す準備なんてしないでしょ」
ルカの書斎には武器魔術の専門書や、古い時代の文書が山と積まれており、壁に刻んだ大陸の地図には矢印やら文字がびっしりと書き込まれていた。あれらも全て魔王を倒すための準備ということらしい。
「君たちはどうするつもりなのかね」
「もちろん協力するよ。ホントに魔王が復活したらの話だけど。ルカはあたしの心の命の恩人だからね。バイケンさんは──」
「俺は一緒に戦いますよ。でなければあの男についてきた甲斐がない」
唐突に低い男の声が聞こえてきたので振り返るとバイケンが立っていた。
「焼菓子を作ってみたので、よければどうぞ」
「よいのでいただきます!」
バイケンは盆をテーブルに置くと、一礼して部屋を出て行った。あれだけの巨体の割に歩くときにはほとんど足音がしないあたり、元々は武術家なのかも知れない。
「先生は? もし魔王が復活したら、あたしたちと一緒に戦ってくれるの? ルカは先生の運命の書がカギになるって言ってたけど」
わたしの『
「ステラがこの勝負に勝てたら、考えてみるよ」
この盤面で逆転されることもあるまいと思うあまり、わたしはつい軽口を叩いてしまった。
「え? ほんと? それじゃ、狩人の駒を公開して、猟犬を配置しまーす」
ステラの宣言で戦況は一変した。狩人の能力で新たに盤面に置かれた三体の猟犬が、そのほかの駒と有機的に連携し、わたしの軍団を半包囲下に追い込んだのだ。
「な!」
またたくまに戦況はひっくり返り、わたしは今まででもっとも惨めな敗北を味わうことになった。……ひょっとして今までの対局はわたしの実力に合わせて手を抜いてたんだろうか。
「これであたしの勝ちっと。じゃ、もうひと勝負やりましょーかねー。あ、魔王退治の件もちょっとは考えといてよね」
賭けに勝ったのに『ちょっと考えといて』ですますあたりはステラもお人好しである。それだけにわたしは、さてどうしたものかと本気で悩んでしまった。
毎日、平和な時代に似つかわしくない無駄に大きな剣を履いて、政務所に向かうルカのことを変人だと思っている者は少なくない。無理もない。魔王のいないこの大陸に、ルカの剣とルカの信念は不必要なものなのだ。なりそこないの勇者――そう揶揄する者もいた。
だが、そんなルカのことを、彼の同居人たちは信じている。魔王の復活までは信じないにしても、もし復活したら、という仮定には、真摯に向き合おうとしている。
わたしも同居人のひとりだった。
要するにわたしは、ステラのこともバイケンのことも――もちろんルカのことも、気に入り始めていたのだ。
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