第3話 ××ジャンキー

気持ちよかった。

セシルにヒールを受けるのはとても心地よかった。


「う……うおおお、っ……!?」


それは理解の範疇をとうに飛び越え、虚数領域の一区画に居を構えんと俺を待ち受けていた。世の中にこれほどの快楽、悦楽、愉悦、愉快、痛快、爽快、喜びがあっていいものか。


「ぐぉ、お、おおお……」


いやありえない。

これはあとから考えて理解したことだが、俺たち人間の神経は傷を受けると痛みを感じる。それは危険信号だから仕方のないことだ。わかるだろ、痛みは苦痛をともなう。

しかし考えてもみてくれ、その傷が癒える段階のことを。じゅくじゅくと膿んだ傷口は浸潤液が染みだし、かさぶたとなって、その下に表皮が形成され本来のつるんとした皮膚組織に戻る。

このときかさぶたをはがす快感を知らないやつはいないはずだ。俺はかさぶたはがさないよって中二病のやつだって、治りかけの傷口をかいて血がまた出てきてしまったことくらいあるはずだ。だって治りかけの傷口ひっかくの気持ちいいもんな。


「あぐっ……がっ! あ、あ、あ……!」


さて、この傷の治りに要する時間は数週間から、長くて数か月。秒数に直して約120万9千6百秒~777万6千秒。傷が酷ければもっとだ。

回復魔法はこの数百万秒をたった1秒ほどで再現する。たった1秒だぞ。今回は鼻血だったので本来なら一時間ほどで止まると計算して3600秒。割ることの1で、3600分の1の時間でこの過程を再現することになる。つまり3600倍速で再現するわけだ。


これがどういうことかわかるか。

傷が治るとき人は気持ちいい。それを忍者もびっくりの3600倍に凝縮されたわけだ。

そんなの神経が耐えられるわけがない。俺も神経が焼き切れるかと思った。


とにかく気持ちいい。それはぬるま湯の温泉に入って、上がって牛乳を飲んだ後、指圧マッサージを一時間されたときと同じか、それ以上。

このたとえがわからないなら、学校から家まで青信号ストーレートで帰れた。あるいはレジに表示された端数がサイフの小銭ぴったりだった。もしくはバスケで十連続シュート、サッカーでハットトリック、野球の9回裏満塁ホームラン、ゴルフでホールインワン、柔道で一本。じゃなきゃ、RPGで8匹のメタルモンスターを全殺し、レースゲームで最高率のコーナリング最短レコード、音ゲーでフルコンボ、シューティングでノーコンフルボムクリア、ローグライクで一階層でレア武器フル装備、FPSで1マガジンで3キル、10連ガチャで確定虹演出三個以上でもいい。


――つまりそのくらい気持ちよかったってことだ。

ちくしょー、いつもやってるRPGの前衛職はこんないい思いしてたのか。いっつもどうしてダメージ食らうのに、こいつは前衛職なんて目指してんだろう。

マゾなの? 馬鹿なの? と疑問に思ってたけども。そりゃ前衛職なるわ。気持ちいいもん。


ただ問題がある。そこまで気持ちいいものに出会うと人はどうなってしまうのか。

先ほども言ったとおり俺の神経系は快楽に焼き切れてしまっている。


「はっ、はぁはぁ……!」

「だ、大丈夫ですか!?」

「だ……大丈夫だと……?」

「……?」


俺は不思議な顔をするセシルの肩をがっと掴んで言った。


「ひっ!?」

「ハァハァ……なあ、余ってんだろ?」

「……?」

「なあ、余ってんだろ……MP、余ってんだろ……? なあ、くれよ、じゃあもっとくれよ、ヒール……なあ、ヒールくれよおおおお!?」

「ひいいいいっ!」


ヒールジャンキーの誕生である。

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