第4話

『・・・・確かに、母と私は仲がよくありませんでした。というより、母が私を嫌っていたんです。

私は母の思い通りには出来ませんでした。何とかしようと努力はしましたけど。でも私は母の事は本当に好きだったんです』

意外な言葉だった。三男の祐三から聞かされたとおりだとすれば、当然ながら彼女は母親に対して複雑な思いを抱いていても不思議じゃない。

しかし、俺の目の前で、母について語っている彼女は、そんな複雑な影などどこにもない。ごくごく普通の、何でもない女性だった。

『高校を卒業して家を出たのは、確かに家の中に居づらかったという気持ちがなかったわけじゃありません。

色んな仕事をしました。でもやっぱり「ちゃんと勉強しないと、母の前に出られない」と分かってからは、もう必死に勉強しました』 

 定時制の看護短大に入学し、昼間は病院で掃除や看護補助の仕事をして、夜は学校に通ったという。

 きつい仕事ではあったが、元々体力には自信があったので、何とかこなすことが出来た。勉強も本当に食らいつくような気持で取り組んだという。

『その甲斐があったんでしょうね。二年間一度も十番より成績が下がったことがありませんでしたし、正看護師の国家試験にも、たった一回で合格出来ました』

 それから暫くは幾つかの大病院や個人病院などを渡り歩いた。だが、決して居心地が悪かったからという理由ではない。

『色んな診療科目を経験したかったからなんです。それが将来に生きてくると思って』

 夫と結婚したのは今から二十五年ほど前だったという。

 ある産婦人科の病院に勤めていた時、たまたま研修医でやって来たのが彼だったという。

『主人も将来は地域医療に貢献したい。そのためには色んな診療科目を経験した方がいいという気持ちを持っていたのです。』

『それで、意気投合して結婚・・・・というわけですか?』俺が訊ねると、彼女は黙って頷いた。

『結婚と同時にこの町にやってきました。私達が来るまで、ここにはお医者さんがいませんでした。だから病人が出ても隣の町まで一時間はかけて通わなければならなかったんです。もうとにかく私も主人も何でも屋ですわ。内科、外科・・・・こなせる限りの診療科目はなんでも・・・・でも、二人ともあっちこっちで色んな経験を積んだのが生きたんでしょうね』

そのうちに『ただいま』という元気な声がして、詰襟の学生服の背が高い男の子と、セーラー服姿と、赤いランドセルを背負った女の子が二人、帰ってきた。

『子供は高校一年を頭に、中二、小六、それから四歳と二歳の男の子と女の子の合計五人です。』

 大変じゃないか?と聞いてみたが、彼女はけろっとした顔で、

『いいえ、全然、上の子が大きくなってくれて、下の子の面倒をみてくれますし、それに子育てって楽しいですよ』と、屈託のない笑顔を見せた。

子供たちは今どきのすれた都会の子供なんかより、遥かに素直で無邪気にみえた。

俺が探偵だというと、

『ピストルを見せて』だの、

『撃ったことある?』なんて、人見知りもせずに聞いてくる。

 一番最後に帰ってきたのは彼女の夫、田中義雄医師、56歳だった。

 背が高く、肩幅ががっちりしていて、何だか昔よくテレビで見た悪役プロレスラーにそっくりだったが、大らかで朗らかな性格にみえた。

 その晩、俺はこの家に泊めてもらうことになった。

 俺がのん兵衛だと知ると、旦那は『実は自分も酒には目がなくってね』と、早速酒盛りが始まり、そのうち近所の住民までやってきて、どんちゃん騒ぎになった。

 あくる日、俺が目を覚ますと、朝食まで準備してくれ、久しぶりに大勢でのにぎやかな朝を迎えた。

 帰り際、田中医師と晴美は『今度、一度ケアハウスにお母さんを訪ねてみようと思います』と告げた。その言い方は本当に自然で、別に大掛かりな決断をしようとしている風には全く見えなかった。

 

 俺は東京に帰るとその日のうちに、俺は篠原育枝の元を訪ね、何枚かの写真と共に、自分の見たままを報告した。

 彼女はもう体の具合が良くなったのか、椅子に座って、黙って俺の言葉を聞いた。

『分かりました・・・・有難うございます』

だが、それ以上は何も言わなかった。

目頭を押さえ、そこから涙が溢れ、嗚咽しはじめた。

『あの子ったら・・・・』

後は言葉にならず、テーブルに突っ伏して、あたりをはばからず泣き出した。


 その後、あの親子がどうなったかって?

 さあ、どうなったかね。

 ただ、幾分多めの探偵料が、俺の口座に振り込まれた事と、篠原育枝がケアハウスを退去したこと、そして今はあの静岡の山間の、のんびりとした町で自分達と暮らしていることは、晴美からの手紙で知った。

 俺は久しぶりに、自室の本棚の片隅にあったシェークスピア全集を引っ張り出して読んでいた。

『リア王』である。

 あの孤独な老人は結局最後不幸になっちまったが、同じような身の上の彼女は、果たして幸福になれたんだろうから・・・・ま、そう思っておくとしよう。

 そんなことを考えながら、俺は受話器を取った。

『ああ、もしもし、お袋?俺、宗十郎・・・・』

                             終わり

*)この物語はあくまで作者の想像の産物であり、登場する自称、名称、出来事などは全て架空のものであります。









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愛しのコーデリア 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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