第3話
俺は報告書を作成し、篠原育美のケアハウスを再度訪れた。
当たり前だが、報告書は見たまま、聞いたままを、余計な修飾も主観も交えずに書いた。
俺はこれでも職業には忠実なのだ。
居室に通された俺は、黙って報告書を篠原育枝に手渡した。
彼女はこの前もそうしたように老眼鏡をかけ、熱心に読み始めた。
しかし、頁が進むごとに、痩せた肩が震え、顔の筋肉が引きつってゆくのが、向かい側の俺にもはっきりと分かった。
『これは・・・・全部本当なの?』老眼鏡をテーブルの上に置き、しばらくうつむいたままだったが、やがて絞り出すようにそれだけが口から出た。
『もちろんです。私は私立探偵です。報告書に偽りは書きません』
しばらく膝に手を置いて、じっと何事かを考えこんでいた彼女は、やがて、
『ちょっと待ってくださいね。今お約束のお金を・・・・』そう言って、ゆっくりと立ち上がろうとした。
その時である。
彼女は分解写真のように、膝をつき、それから『ふわっ』としたように床に突っ伏した
ためらいなく、俺は壁につけられていた、ナースコールのボタンを押した。
数分後、篠原育枝はベッドに横たわっていた。
軽い寝息を立てている。
あの後すぐに介護士が来て、隣接する病院に連絡をとってくれ、医師と看護師が到着したので、事なきを得たというわけだ。
介護士は俺に『それも貴方の応急処置が早かったお陰だ』と何度も礼をいってくれた。
軽度の心臓発作らしく、安静にしていればすぐに落ち着くだろうという話だった。
俺は彼女の無事を確かめると、コートをとり、そっと部屋から出ていこうとした。
探偵さん・・・・乾さんでしたわね?』
ベッドから彼女が俺に呼び掛けた。
『ちょっと待って下さる?』
『料金はいつでも結構です。何でしたら指定口座に振り込んでいただいても・・・・』
『いえ、そうじゃないんです・・・・』
篠原育枝はベッドから半身を起こし、サイドテーブルの引き出しを開けた。
『これを見てください』
大きな封筒だった。
俺が中を改めてみると、封書の手紙が何通も入っていた。
どれも開封はされていない。
宛名にはどれも、
『篠原育枝様』とあり、
裏返して差出人の名前を見ると・・・・
『田中晴美』と書かれてあった。
ただ、名前が書かれているだけで、住所はない。
『娘ですわ・・ ・・』彼女は細い声で言った。
『ずっと、私のところに毎月送って来ていたんです。でも私は一度も開けてみようとはしませんでした・・・・』
『で、私にどうしろと?』
『娘を探してはもらえないでしょうか?勿論お金は別にお支払い致します』
俺はその封筒を預かり、開封する許可を貰い、アタッシュケースにしまった。
『分かりました。引き受けましょう』
俺は、事務所に帰ってから、封書を一つ一つ丹念に開けてみた。
確かにそれは篠原家の長女、晴美からのものだった。
ざっと数えただけでも百通以上はある。
書いてあることは、本当に他愛のない文章で、今は結婚して、子供が五人いること。姓は『田中』と変わっていること。夫はとてもやさしくて人柄も良く、幸せに暮らしていること、他は子供が生まれた子供の赤ん坊の時の写真などがそれぞれ入っていた。
特に母親に対して特別な感情をぶつけたものなど、俺の見た限りでは一つもなかった。
どこをみても住所はない。
ただ、消印はみな同じ、
『静岡』だった。
そういえば、三男の祐三は『清水の近く』だといっていた。
(とりあえずその辺りから探ってみるか・・・・)
俺はそう考え、椅子から立ち上がった。
調べるのはそれほど難しくもなかった。彼女の卒業した高校の卒業名簿(どうやって手に入れたかは企業秘密ということにしておこう)を調べ、同じクラスにいた同級生を片っ端から当たり、彼女と一番仲が良かった親友から聞き出した。
静岡県清水市から、電車とバスを乗り継いで凡そ1時間ほど行ったところにある小さな町に住んでいることが判明した。
落ち着いた、本当にいいところだ。
昔の東宝でよくかかっていた喜劇映画に出てくるような町である。
『町』とはいっても、人口はおそらく5万人もいまい。
駅前にあった古い商店街にあった食堂に入り、
『田中』という名前を出してみると、直ぐに分った。
町で一軒しかない病院(とはいっても、診療所に毛が生えたようなものだが)だという。
バスも出ているが、俺は歩いてそこまで行ってみた。
かなり古びているが、患者は大勢来ていた。
何でも近くにはここしか病院がないという。
待合室にも患者であふれていた。
俺はとりあえず患者がすくのを待とうと、椅子に腰かけて時間を潰した。
正午を周り、少し患者が途切れた時、一人の中年の看護師が、待合室に現れ、書棚にある雑誌などを整理していた。
『失礼ですが』
俺は彼女に声をかけ、ライセンスとバッジを提示した。
『乾・・・・さん?』
『ええ、田中晴美さん、旧姓篠原晴美さんですね』
『はい、そうです。』
『実は貴方のお母さんに依頼を受けて、貴方を探していたのです』
『そうですか・・・・それはわざわざどうも』彼女は深々と頭を下げた。
『ここじゃなんですから、自宅の方へどうぞ』彼女は白衣のまま、先に立って俺を棟続きの自宅へと案内してくれた。
自宅はこじんまりとした二階建ての一軒屋で、俺が入ってくると居間に、4歳くらいの女の子と、それよりもやや年下の女の子が遊んでいた。
彼女は子供の頭を撫でてやりながら、小さいほうの子を抱きかかえ、
『すみませんねぇ、ちらかっていて・・・・何しろ子供が多いもんですから』といい、そこいらを片付けて、
『ほら、お客さんにご挨拶は?』子供に言うと、二人ともきょとんとしながらも、大人しく頭を下げた。
『主人はもう間もなく来ると思いますから、こちらでお待ちください』
と、俺を客間に座らせ、ちょっとお待ちを、といってから、しばらくして茶を淹れて戻ってきた。
『母は、元気ですか?』俺を前にして、彼女はまずそう聞いた。
普通見知らぬ人間が訪ねて来たら『何の用か』ぐらいは聞くと思うのだが、
彼女はそんなことは一切口にせず、ただ母親の現状ばかりを気にしている。
その辺の事情については、俺は手短に話した。
『そうですか・・・・私も兄から母がケアハウスに入ったことは聞いていたんですけど、大丈夫だったんですね。よかった』
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