第2話

 俺はまず、彼女の三人の息子達を訪ねることにした。

 長男の進一・・・・今年52歳。現在は某中央官庁の主計局の課長(つまりは高級官僚だ)をしている。

役所に電話をかけ、昼休みでいいから会ってくれと前もって電話で連絡をしておいたにも関わらず、母親の話をすると、あからさまに不快な表情をみせた。

『母には毎月決められた額を仕送りしてるからね。それで十分だろう。私だって仕事が忙しいんだよ。』

それだけ言うと、

『今日はこれから重要な会議があるんでね』

はっきりと口にしなかったものの、

『帰ってくれ』と言わんばかりだった。

次に会ったのが、次男の良二、彼は現在48歳、都内の一流商社の部長だった。

『仕事が忙しい』

『今日は取引先と会食があるから』

と、散々逃げられ、やっとアポイントメントを取り付けて、勤め先近くの喫茶店で会うことができたが、これも長男と似たり寄ったりだった。

『ウチで一緒に暮らしたい?そりゃ無理ですよ。私のところは確かに一戸建てに住んではいますけど、今受験生が二人もいるんです。妻だって働いていますし・・・・母の面倒なんか見る余地はありませんな。僕だってちゃんと仕送りはしてるんですし、このまま今のケアハウスにいてくれた方が、彼女も気兼ねなく暮らせるんじゃないですか?』

べらべらと一方的に喋り、

『じゃ、これで、私も仕事が忙しいんでね』と、あわただしくコーヒーを飲み干すと、喫茶店を出て行った。

三男の祐三は、現在都内にある某医療法人の経営する病院で内科医を務めていた。齢は45歳、丸顔で、一見穏やかそうな人物に思えた。

いや、事実、上の二人の兄に比べれば、はるかに性格的にましだと分かった。

 病院の休診日を狙って、自宅を訪問したのだが、母親の話を切り出すと、腕を組んでしばらく黙りこくっていたが、やがて。

『母に聞かされたでしょう?私達の話。いえ、私たちというより「自分がどうやって我が子を東大に入れたか」って、彼女自身の自慢話というべきでしょうか?』

彼は煙草に火を点け、ため息と共に煙を吐き出した。

『私も、上の兄二人もみんなそうでした。なまじ成績が良かったばかりに、過剰な期待をかけられて、幼い頃からずっと勉強ばかりでした。スポーツをすること、音楽を聴くこと、テレビを視ること、漫画を読むことや、恋愛をすることも・・・・そればかりじゃありません。年頃になって、男に当然起こるであろう「性に目覚める頃」ですら、そうした類の本やビデオを見ることさえ禁じられたのです。その時の母の言葉が何だったかご存知ですか?

「あなた達は東大に行かなければならないのよ。そのためには不要なものは一切目にしてはいけません」と、それしか言われませんでした。でも、私も兄達もそれを裏切ることは出来ませんでした。いえ、半分は母の言うことは正しいとさえ思っていました。

でも、いざ目的を達成して、東大に進学してみると、それまで自分達のやってきたことが急に空しくなったんです。勿論だからって母の期待に背くようなことは誰もしませんでした。だからこそ長兄は官僚に、次兄は商社に、そして私は医者にと、母の望んだ通りの道を進みました。しかし、人生に於いて自分の一番大切な時期を、何の楽しみも知らずに過ごしたんです。勿論その間わき目も振らずに勉強してたんですけどね。

そうなってみると、私は母の顔や声さえ聞くのがうっとうしくなってきました。しかし、あの時期があるから今があるともいえるわけで・・・・だから、私も兄達同様、仕事の忙しさを理由に、正月に顔をみせるくらいになってしまいました。

母の著書?ああ、読みましたよ。確かにウソは書いていませんが、決していい気はしませんでした。あの本のお陰で、どこにいっても「どうやって勉強したら東大に行けるのか?もっと詳しく聞かせてくれ」って、そればっかりですよ。正直言って誰も私たちのようにはなってほしくありません。医者になってみて、つくづくそれが分かりました。確かに医者になるためには大学にも行かなきゃなりませんし、国家試験にも合格しなけりゃなりません。でも、なんていうんですか・・・・医者ってもっと、人間として幅が広くなけりゃ務まらないんです。ただ勉強が出来て、それで医者になってみても、患者は診られない。そう気が付いたんです』

『妹さんがいらしたようですが・・・・』

 試しに俺は聞いてみた。

『ああ、晴美のことですね。彼女は確かに勉強はできず、両親、特に母親から疎んじられていました。子供たちの中でも、特に上の二人の兄は、勉強するのに熱心でしたから、さほど仲はよくありませんでした。でも私はどういうわけか彼女とはウマが合ったんです。気が優しくて、思いやりがあって、いい子でしたよ。

母が彼女を疎んじていたのは、ただ自分の期待に応えられない人間だから、それだけだったんです。しかし、彼女は彼女なりに努力もしていました。でもやっぱり駄目だったんですね。一度、こんなことがありました。まだ小学生の頃、晴美が母の誕生日に、ビーズのネックレスを手作りしてプレゼントしたんですが、母は「こんなもの作ってる暇があったら勉強なさい」と素っ気なくいって、受け取ろうとしませんでした・・・・あの時の晴美の悲しそうな顔は今でも忘れられません。何しろ子供たちの中で一番母親の事を心配してたのは彼女でしたからね。』

『妹さんと何かやりとりはしてらしたんですか?』

『ええ、年賀状くらいでしたが、確か静岡だったと思います。結婚して、子供もいるとか・・・でも、こっちも色々と忙しかったんで、返事を出したりださなかったりで・・・・』

祐三はそこまで言うと、三本目の煙草を吸い終わり、

だから、母には申し訳ないとは思うが、これ以上顔を見て暮らすのは、私には重すぎるんです。母にはそう伝えてください。

 彼は俺に頭を下げた。

 俺はそれだけ聞くと、祐三の自宅を辞した

『兄弟は他人の始まり』とはいうが、ある意味では『親子だって他人の始まり』なのかもしれない。

 シェークスピアの戯曲通りだな。俺はそう思った。

 

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