平和なこの村でも、悲鳴くらいあがることはあった。ボヤだとか、蛇が出たとか、そんな理由で。

 でも、聴こえてきてのはただの悲鳴とはまるで違う渾身の叫び、断末魔。それは今まで聴いたことがない異様なものだった。大人たちだってそうだろう。

 さっき、彼女に言おうと、のどまで出かかった言葉は引っ込んでしまった。

「ロミイ……」

 声の方を向いていたアリスが僕に振り向き、いったいなにがおこったんだろう?と大きな翡翠色の目で尋ねかけてくる。不覚にもその表情にドキッとして、少し不安が和らぐ。

「マルおばさんの声じゃなかった?」彼女が言う。

「あの人のことだから、ヘビでもふんずけたのかな。ちょっと声がうわずって、変に大きな声がでてしまっただけかもしれない。でも……」

 どうすればいい?嫌な予感がする。今まで味わったことのない感覚、本能がそわそわとざわつく。

「心配じゃない?行ってみよう、ロミイ」

 まごついていると、サッと彼女が立つ。ほら行くよ、とアリスの右手が差し出される。綺麗で、華奢な手だ。立ち上がるとき付いた泥で少し汚れている。握って、僕も立つ。


 一度どうするか決めたら、アリスの行動は早かった。迷うことなく悲鳴の聞こえた方向へどんどん速足で進んでいく。

 それなのに僕はどうだ?と自問する。

 今更引き返そうかと思っている。立ち止まって、アリスの手を引いて、やっぱりやめよう。悲鳴とは逆方向に全速力で走って逃げよう。そう言いたい衝動が湧いてきていた。

 しかし、迷っている間にひまわり畑も終わりに近づく。

 僕はしっかりしろ、と彼女のぬくもりを感じていない、ぶらぶらと自由になっている左手を強く握りしめる。


 ひまわりの森を抜けあぜ道に出た。

 ひまわり畑は西の端だから、村までは少し距離がある。走ろうとしたアリスに手を引かれそうになるが、なぜか彼女が立ち止まる。

「ロミイ、ロミイあれ、見て」

 アリスが呼吸を整える僕の肩を叩いて空を指差す。

 青空に4本の煙が立ち昇っているのを見る。

「火事?」

「みたいね」

「それに畑にいた誰かが気づいて、叫んだ。それを僕たちが聞いた……」

「そうかしら?」

「いや待って、なんだかおかしい。ただの火事ならあんなに煙が立つはずないよ。家はどこも木製だけど、密集してないから、簡単に燃え広がったりしないはず……」

 とにかく行ってみないと何もわからない。それが現状だった。

 

 村に近づく。そして、燃えている家の一軒に辿り着く。道中誰にも会わなかった。煙の数はさらに増えて青空を汚している。

「誰もいないなんて、変だ」

 僕がそう言うと、突然、男の怒声が聴こえてくる。声は村の中心、広場の方からしていた。

 アリスがそれを聴いてビクッと肩を震わせる。

「なにかしら……」

 彼女らしくない不安そうな声。

 それでも、好奇心に誘われておそるおそる僕とアリスは広場へ向かった。いつのまにか僕が、彼女の手を引くようになっていた。


 広場に着くと、僕らは広場の一角、一軒の家を背にしたところに村人たちが集められているのを発見する。村人の周りには風変わりな男たちが七人うろついている。軽装だが腰に剣を携えている。そして、みな耳が短い。

「僕たちと少し違う。それに腰にある剣、あれは人を殺すためのものだ。狩りに使うナイフにしては長すぎる……アリス。ここから離れたほうがいいかもしれない」

「どういうこと?みんなどうなってるの?あの人たちはなんなの?」

「僕もわからない。でも……様子からして、いい人には見えない」

「そんなことわかるわよ、でも」

「アリス。家に火をつけたのはきっと彼らだ。僕らも捕まったら、なにをされるかわからない。ひとまず……」

「みんなはどうするの?ほうっておくの?パパやママは?」

「僕らが出ていっても何もできないよ。ただ捕まるだけだ」

「でも……」

 アリスは涙目になっている。混乱しているんだ。当然だ、僕の手だって震えている。でも、彼女の前で、今、僕が冷静にならなくてどうするんだ。決意を固めた僕は、後ろからチャラチャラとした金属音と足音が近づいてくることに気づいた。慌てて振り返る。目の前に剣を腰に下げた男の姿。しまった、注意が散漫になっていた。逃げなければ、と思った時にはもう遅い。男の片腕に掴まれ地面に組み伏せられる。男のもう一方の手はアリスの腕を握っていた。彼女がキャッと声を出す。彼女の長い銀髪が揺れる。力強く握られたからか、アリスの顔が痛そうに歪む。よくも!頭に血が上る。男に怒りをぶつけようと、手足をジタバタさせて必死に抵抗するが、毛むくじゃらな男の手は太い丸太のようでビクともしない。しつこく暴れていると男は僕から手を離す、一瞬の自由、そして頰に激しい痛み、地面に倒れ土と血の味を口の中に感じた僕は、自分が殴られたことに気づいた。痛みで朦朧とし、脱力している僕を引きずるようにして男は歩き出した。そのとき、チラッと見えたアリスは口元を自由な方の手で押さえ泣いていた。

 どうすることもできない。汚れた頬を静かに伝う涙が口元に届いて、塩辛い。


 僕を引きずって、男が広場の他の七人の仲間に合流する。

『まだ二人あそこでコソコソしていた』

 男がなにを言っているのか僕には理解できない。頭が痛みで鈍くなってるからじゃない。知らない言語だった。

 その報告を聞いた七人の中の一人、猿のような男が見るからに不機嫌そうな顔になり、村人達の中心にいた老人、村長に文句を言う。

「これで全員だって俺、お前の口から聞いたぜ?」

 訛っていて聞き取りにくかったが、男は僕らの言葉でそう言った。そして突然大声を上げる。

「このジジイ!」

 持っていた剣の柄で村長は顔を殴られバタリ。倒れる。村長は動かない。

『おい!殺したのか?』

 敵のうち、最も長身な男、鼻の大きい男だ。猿男になにか言ったが、やはり僕には理解できない。

『いいじゃねえかよ。こんなジジイ。どうせ関係ねえんだしよ』

 猿男が答える。

 村人たちは村長の死に動揺する。あるものは泣き始めた。

『俺はこれが嫌だったんだ』

 鼻男が面倒そうにぶつぶつ話している。

 それを聞いた猿男が村人の方に向き直り、大声で言う。

「もう何人か殺れば、きっと静かになるぜ?」

 村人たちにも理解できる言語を使って、わざとらしく剣をちらつかせながら。

村人達、数秒あって……沈黙。

「おめえらも突っ立てねえであっち加われ」

 猿男は、まだ丸太腕の男の元にいた僕とアリスに言った。

 アリスは群衆の中に父と母を見つけると飛び出すようにして走って行く。抱き合う三人。パパ!ママ!という彼女の声。数秒の抱擁のあと、アリス静かに、いいね?と父に頭を撫でられていた。僕も自分の両親を見つけ、彼女と同様にする。堪えた涙が少し漏れる。下唇を噛む。一人っ子のアリスと違い、弟達とも抱き合う。

 僕らの再会を遮るようにして猿男が口を開いた。

「もうこれで、全部か?次嘘吐きやがったら容赦しねえ」

 村人達は無言。

『おめえら一応もっかい見回りに行け』

 猿男が指示すると、四人がその場を去った。

 素行の悪さは目立つが、猿男の態度はどこか手馴れていた。自分たちの言葉も知っている。彼がリーダー格だろうか?いや、離れたところに一人様子の変なフードの男がいる。そいつかもしれない。僕はそう考えた。

「ロミイ」

 父が耳元で囁く。

「お父さんたちはあいつらを襲う。やるなら人数が減った今だ。四人が相手ならなんとかなる。お前は弟達を守れ、いいな」

 父が早口で言うと、周囲の男達と目を合わせ合う、どうやら打ち合わせしていたようだ。改めて父に尊敬の念を抱く。

 僕がコクリと頷くと、父は僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。少し勇気が出た。

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