第六話「王女と干物と二体の魔物」

 ……おはようございます。


 王女です。生まれて二度目の単独野宿を成功させました。

 今度はたっぷり寝ましたとも。ぐっすりではないけどね。流石に熟睡は無理。

 やっぱ背中固いしー。虫とか五月蠅いしー。私王女だしー。やっぱ野営はねー。


 ……嘘だよ。んなもん関係ないよ。もしそうならこんなに目が腫れてねえよ。


 くそう、今振り返ればふわっふわな憶測だったのに余計なこと突っついた。

 わざわざ聞かなきゃ幸せな気分で眠れ……いや、気になって眠れなかったな。

 まあいい。それでも旅の終わりは見えたんだ。さっさと前に進もう。

 彼といちゃついて道聞いていちゃついたら即出発だ。


 願わくば、安穏とした道のりになりますように。無理だと思うけど。




 ………………


 …………


 ……




 安穏とした道のりでした。


 いや、まだ着いてないんだけどね。でもここまで戦闘無し。ビックリ。

 スケルトンがまた湧くこともなかったし、他の魔物とも出会わなかった。

 明らかに異常事態だが……けどまあ、よくよく考えると理由は判ると思う。


 まず、スケルトンが出てこないのは昨日暴れたせいだろう。コレは自信がある。

 私は恐れられているのだ。スケルトンではなく、奴らを呼び出す「黒の森」に。

 敵を薙ぎ払う余波でどーん。逃げる時も体当たりでどーん。それで木が折れる。

 そんな調子で何十本も大木死なせてるんだから、森も干渉しなくなるわ。


 では、植物の都合なんか知らないはずの普通の魔物は?

 多分だが、こっちを気に留めてないのだろう。私に染みついた臭いのせいで。


 私は昨日から結局一度も着替えていない。寝る時も疲れててそのままだった。

 と言うことは未だぷんぷん漂ってるはずなんだよ……「岩砕き」の臭いが。

 何せ頭部に大穴開けて突き抜けたからね。全身ぐっちょりだよ。色んな物で。

 そこに泥や砂埃も混ざって、嗅覚では最早完全に野性味しか感じ取れないのだ。

 故に今の私は魔物達にとって風景の一部か、あるいは得体の知れない魔物。

 そのどちらかに捉えられていて、か弱い人間だとは思われてないのだろう。


 何にせよ、雑魚との戦いを避けられたのは僥倖だった。


 お陰で崖向こうの巨大羆と腰据えて向き合える。




 ……はい、そうだよ。まただよ。また難関だよ。それも過去最高にやべえの。


 私は今、森の中に隠れてるが、その前方はでっかい崖で断絶されている。

 その幅は私の背丈の十五倍はあり、その深さは幅の三倍はありそうだった。

 また崖の底には大きな川が流れており、魔物が潜んでる気配も感じられた。

 どう考えても飛び越えられないし、落ちたら確実に死ぬ。そんなやばい崖だ。


 だが、ここは彼が今朝方指示した道順。ちゃんと渡る方法は用意されている。

 なんと冒険者達が自主的に架けた橋があるのだ。丸太橋だが凄く頑丈なのが。

 冒険者偉い。各国で協賛して国際的に支援してる甲斐はあった。




 ―――その橋を渡った先で昼寝しているのが、今回の難題。巨大羆である。




 何がヤバイってでかい。ともかくでかい。具体的には普通の羆の十倍くらい。

 羆と言えば森の王者だ。少なくともうちの国ではそうだ。それが十倍だぞ十倍。

 目の前の崖だってちょっと背伸びするだけで前脚届く。そんなでかさだ。


 ただでさえ剛力で賢くて凶暴な羆がそんなでかいとか、魔剣あっても勝てんわ。


 戦闘は絶対無し! やらない、やりたくない! そう決めた、私が決めた!!

 ってか橋なんて渡らずとも向こう岸行けるし。崖上に綱を張れば良いだけだし。

 何せ非常用背嚢には重さが私と同程度という長い長い綱が入ってるのだ。

 これを使えば移動経路作るくらい楽勝よ。こんな物持ち歩ける空間魔法万歳。


 というわけで橋は使わず自力で渡る。本当に本当に残念なことながら。

 あとは如何に気付かれず渡るかなのだが……この点については思うことがある。

 前提条件全てひっくり返すようなことを。



 ―――ぶっちゃけ既にバレてねえ?



 私は学んだ。学べたのだ。主に「岩砕き」の貴い犠牲のお陰で。

 野生動物の縄張りの中で"気付かれてない"はあり得ない。それは大前提だと。


 即ち、今襲われてないのは"見逃されている"だけである。そう見抜いたのだ。


 これは実際に確認も行った。投石紐使って向こう岸に小石を投げてみたのだ。

 勿論、ある程度距離をとっての実験だったが……結果は私の思うとおりだった。

 何度音を立てても起きなかったのだ。気付いてる素振りはあったのに。

 散々コンコン鳴らしたら、その度に耳動かしたり寝返りうってんだもの。


 これ絶対気付いてるよ。その上で「うるせえ、寝かせろ」としか思ってないよ。


 だって私の朝の様子と一緒だもん。侍女が常々嘆いてた内容と一緒だもん。


 こいつ、起こさなきゃ絶対起きんわ。


 ただ、だからといって現状が安全なわけじゃない。寧ろ逆。割とヤバイと思う。

 というのもこいつが起きないのはあくまで私が"取るに足らない相手"だからだ。

 あの巨体からすれば私は小鼠みたいな物。餌にも敵にもたり得ない存在だ。

 故に無視されているんだろうが……その認識を覆す物を私は持っている。


 それ即ち、我らが魔剣「巨人の干物」だ。


 こいつのヤバさがバレた時、あいつは問答無用で襲ってくるだろう。ヤバイ。

 ただまあ、この魔剣の脅威は幸い地味だ。丁重に扱う限りは異常性を示さない。

 戦闘してでかい音なんて立てず、静かに崖を渡ればそれで済む話ではある。



 ……でも居るんだよなあ。崖下にも魔物が。



 そう、居るのよ。さっきもチョロッと触れたけど。これまたでかいのが。

 私の見立てだと多分、恐らくは大蛇か大鰻の類っぽいのが。

 水面下を大きくうねる細長い身体。獲物の影が近付くと瞬間的に食いつく動き。

 どれを見ても如何にもそれっぽいと思う。ってか断定して良いんじゃないかな。


 で、この手の魔物は大概、捕食時の瞬発力と跳躍力が凄い。それが問題だ。


 奴もまあ、ご多分に漏れずでかいからね。全長はよく判らないけど。

 川魚だけじゃ満足せず鳥まで襲っていてもおかしくない。そう考えるべきだ。

 それはもう崖をノロノロ渡るマヌケぐらい一飛びで襲えると仮定すべきだろう。


 と、くれば奴が元気な限り渡るのは不可能であり……狩るしかないかなあ?


 勿論、派手に立ち回ると魔剣が羆にバレてとても困るから、出来る限り静かに。

 もっと言うなら羆の見てない場所で仕留める必要がある。要は暗殺だな。

 巨大な魔物相手に何と面倒な、と思うが出来なくはないはずだ。



 取り敢えず、その仕込みをするために向こう岸に綱を投げるか。


 ……よし、絡まった。一発成功するとは思わなかった。



 んで、本来ならピンと張るんだけど……敢えて垂らす。

 両岸の崖肌を這わせるように、中央が弧状に撓むように……よし、出来た。

 これで途中までは崖を伝って下り、川の上はぶら下がって渡れるはずである。


 名付けて「U字綱渡り」だ。


 こいつで崖を降りていき、襲ってきたところを返り討ちにする。


 具体的には魔剣の陰に隠れながら敵を誘い、自ら魔剣にぶつかって貰うのだ。

 何せこの魔剣は重すぎて、ちょっとぶつかるだけで何でも壊してしまう。

 そんなものに食いついても頭突きしてもただじゃ済まないだろう。

 仮にそれで死なずとも、その場に留まっての対応もできる。行けるはずだ。


 そんじゃまあ、綱に命綱結んだらさっさと進もうか。

 短めに切った綱を腰に結んで片方を綱に繋ぐ。これで滑っても川には落ちない。

 まあ索道みたいな繋ぎ方だからその場で止まらず、一番下まで滑り落ちるけど。

 その時、魔物が生きてたら格好の餌だな。絶対滑らないよう気をつけよう。


 そんじゃ出発。

 さあ、掛かってこい! 蛇だか鰻だか野郎! ゼリー寄せにしてやらあ!!




 ………………


 …………


 ……




 ……おかしい、何も反応がない。




 あれから順調に崖を下り、崖沿いに留まれる限界まで来てしまった。

 その途中で絶対襲われると身構えていたのに、何事もなかったのだ。


 これは不味い。これでは魔物をどうともしないまま川を渡らねばならない。


 おっかしーなー。何でこっち来ないんだろうなー。餌がここに居るのに。

 気付いてないってのはないはずなんだよなー。ちゃんと音立てて下ってたし。

 途中何度かわざと足下崩して小石とか水面落としたし、普通に気付くはずだよ。


 というか、下どうなってるんだろう? 実はよく見えてなかったんだよね。

 何分、両手で綱掴んで崖の方向いてて、背中には魔剣背負って下ったからね。

 視界が凄く悪くて敵わん。まあ予定通り行けばそれでも構わなかったんだけど。


 しゃーない。ちょっとだけ防御解いて下見るか。

 私は左手だけ綱を掴んだまま右手で魔剣をずらし、水面をちらりと見た。




 あれ? なんか、まるい、のが?




 私が不審な影を目撃すると同時、左手に激痛が走る。

 毒虫でも潰したかと慌ててそちらを見ると、信じられないことが起きていた。



 ―――髪の毛である。人間の、黒い髪の毛が、左手に纏わり付いていたのだ。



 私の髪は麦畑のような金色だ。ここに来て大分薄汚れたが、黒くはなってない。

 そんな誰の者とも判らぬ毛髪が私の腕全体を締め付け、食い込んでいるのだ。

 その元を辿れば肘を通じて崖肌に繋がり、それより先は一目で追えなかった。


 何せ崖全体に、レース生地のごとく、薄く黒く、広がっていたから。


 恐らく元々潜んでいたのだ。目で気付かぬほどひっそりと、疎らに。

 そして姿勢を変えた時、肘をついたことで触ってしまい、捕らわれたのだ。

 ここまで気付かなかったのは運良く……いや、運悪く踏まなかったせいだろう。


 この様な異常現象、思い当たる節は一つしかない。私は再び水面を睨む。

 そこでは丸い影が、してやったりと言わんばかりに全容を露わにしていた。




 それは、一言で言うなら"肉塊"であった。


 直径が私の背丈の倍はあろうかという、大きな大きな丸っこい肉塊。


 その中心に大きな目玉が一つ、その周りを人間の口が乱雑に取り囲んでいる。


 それ以外の場所からは所狭しと黒髪が伸びており、触手の如く蠢いている。


 やがて、単眼が私の方に瞳孔を向けると、無数の口が厭らしく開いた。




「お こ ん ぬぃ つぃ ふぁ ?」




 その声と共に、水面から黒髪の塊が私を目指して登ってくる。

 まるで、大蛇か大鰻の群れの如く。



 ……ああ、そうか。ここは「闇の大山脈」だった。常識で考えちゃ駄目だった。



 後悔と共に魔剣を掴み、取り敢えず岩盤ごと絡み付いた髪の毛を切断する。

 本体から切り離された黒髪は、それでも締め付けを止めようとはしなかった。

 だが、私は動揺しない。この長手袋は短剣でも裂けぬと執事長が言っていた。

 つまり、今すぐ肉がズタズタにされる心配はない。へし折られる心配はあるが。


 そうなる前にまずは本体を倒す!!


 決心した私は、崖を蹴って宙へと跳んだ。


 真後ろに黒髪が殺到するのを感じながら水面に向けて落ちていく。


 奴は川の中央に浮かんでいる。当然ながら子供の跳躍で届く距離ではない。

 だが、私の身体は崖に垂らした綱と命綱で繋がっているのだ。

 撓んだ綱が一瞬、深く沈み込むと、命綱は川の中央まで勢いよく滑っていく。


 奴の真上寸前まで滑り降りた時、私はその慣性に乗せて魔剣を投げた。




「あ び ふ っは い じゅ ぬ がぃ で ゆ あ あ あ あ ! ?」




 瞳孔深く突き刺さった魔剣に肉塊は訳の判らぬ悲鳴を上げる。

 単眼の魔物は目が心臓。魔物討伐隊出身の兵士の言葉は、正しかったようだ。

 飾り紐を通じて魔剣を回収しつつ、肉塊に飛び乗ったが……反撃はなかった。



 ………………


 …………


 ……



 ……しくじった! 完全に判断間違えた!!



 "単眼の魔物は視覚で距離感掴めないから他の感覚器官でそれを補う傾向がある"

 これも例の兵士が言ってたことだ。ならば私のやったことは完全に無駄だった。


 恐らく奴は視覚で敵の方向を、触覚で敵の位置を捉える生態だったんだ。


 つまり、最初から狙う獲物は黒髪漂わせた水中か、這わせた崖肌のみ。

 ということは普通に綱張ってその上通過すればよかったんだよ此畜生!!

 藪を突いて蛇出した! いや、蛇がでてこなかった!! 鰻もだ!!


 思わぬ失態に頭を抱えながら、恐る恐る向こう岸を覗き見る。



 ……案の定、あの巨大羆がこっちをじっと見つめていた。



 そりゃ岩盤砕いたりで大きい音立ててたからね。化物も悲鳴上げてたし。

 ああ、もう判ったよ。畜生畜生、此畜生。



 森の王者と国の王族。どちらの権力が強いか、勝負だ。

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