side.僕
幸福請負人(自分を除く)
僕は恋を知らない。
生まれてこの方、恋なんてしたことがない。
小学校まで共学に通ってはいたが、中高6年間でイカ臭い男子校の不純粋培養の洗礼を受け、世に聞くような甘酸っぱい制服時代を完全にスルーして大学生になってしまった。というか何だよ甘酸っぱいって。腐ってるのか?
幸いなことに上に二人と下に一人の女きょうだいが居るお陰で、女性と話せない! なんて事態にはならなかったけども。
けれど、思春期に家族以外の女性がいる環境になかったせいか、小学生男児の感覚を抱えたまま大学生になってしまった。そして友達感覚でしか女の人と話せないことに気が付いた。
それがどうだ! 入学してみればやれ惚れた腫れたの薔薇色桃色キャンパスライフが広がっていて、共に不純粋培養を受けた同窓生と共に驚愕した。
一人っ子や男兄弟しかいない友人たちは入学時、女性の目を直視する事が出来ず、もちろん会話もままならなかった。皆でイカ臭い青春の延長を覚悟したものだ。
だというのに、だというのに! 気が付けば皆ひとりずつ桃色ライフに当てられて、失った6年間を取り戻さんと、女性とのラブ・ゲームに身を投じていった。
その様はまるで、一人ずつ何者かに毒矢を射かけられて発狂していくようだな、と思ったのをよく覚えている。
なんなんだ! 恋っていったい何なんだ!
そんな僕だけど、大学では「幸福請負人」なんて呼ばれている。
女性と友達感覚で話していたら、本当に女友達が増えてしまった。その縁で男女の紹介とかを頼まれることが多くなって、岡目八目で適当にアドバイスなんてしていたら、いつの間にか祭り上げられていた。
この恋をしたことの無い僕が、恋愛マスターのように扱われているのは、とても片腹痛い。けれど、皆がそれで幸せだと言ってくれるならば、喜んで道化を演じよう。
ただ、この役目の不満を一つ言わせてもらうならば、必ずと言っていいほどあらぬ誤解で不条理に痛い目に遭うことだろうか。最後には誤解も解けるので後には引かないけれど。
★★★
サークルの後輩から突如呼び出された。相手は一年生女子、いわゆるイチジョというやつだ。
彼女とはあまり話したことがなかった気がするけれど、何の用事だろうか。もしかしてイイ話だったりしないかな!?と若干心が浮足立つ。(こういうのをワンチャンあると言うらしい。こういう言葉にも一年たってやっと慣れてきた)。
まあどうせいつもの恋愛相談に違いないけど!
「やあ、こんばんは。あんまりちゃんと話したことはなかったよね」
「相沢さん、折り入って相談したいことがありお呼び立てしました」
やっぱり恋愛相談みたいだ。
「恋をしました」
「そうか。恋か」
「………」
「………」
弱った。彼女が顔を赤くしてフリーズしてしまった。おおかた照れて単刀直入に議題を言い過ぎて、後が続かなくなったんだろう。
仕方がない。こっちから助け舟を出してあげよう。
「それで、恋について僕に相談したいことがあると?」
「はい、そうなんです」
彼女はほっとした表情をした。やっぱり僕は関係のない恋の話だったみたいだ。
全く期待なんてしていなかったつもりなのに、なんだか肩の力が抜ける気がした。
され、僕のあずかり知らぬところの恋ならば、岡目八目、こんなに簡単なことはない。それにこの口ぶりからすると、想い人と上手くくっつけないとかその類だろう。チャチャっと相談を聞いてみることとしよう。
「お相手の問題?」
「お相手の問題です」
「難攻不落?」
「難攻不落です」
「競争者多数?」
「いえ、競争者はあまり聞いたことがないです。敵は多いみたいですが…」
「ふーん…実態が分かりにくいなあ。そのお相手の方はド真面目の学徒で、学問こそ学生の本分、女性にはわき目も振らずという感じだったりするのかな?」
「いいえ、そんなことはないみたいです。いくつもの教科を再履修しているみたいですから」
「ううん…?」
これは一体どういう事情だろう。彼女の置かれている状況がうまく想像できない。妖怪相手にでも恋しているのだろうか?
「差し支えなかったら、一応お相手の方の名前を聞いてみてもいいかな?」
珍妙な人間なら、名前を知っているかもしれない。一応聞いておこう。
すると彼女はしばらく「うーん……」と考え込んでしまった。そしておずおずと口を開いた。
「相沢さん、『別れ話請負人』って知ってますか?その…」
途端、僕は気管に飲んでいたコーヒーを大量に吸入してむせてしまった。咳が止まらない。
やっとのことで呼吸を整えると、我慢できずに大声で叫んでしまった。
「見どころあるな、君!」
彼女は目を真ん丸にしている。
彼は半妖人と呼ばれている。その業は「別れ話請負人」。
この大学の桃色の瘴気にあてられた、不幸の種をはらんだカップルを、片っ端から別れさせている男である。
彼の獲物は学生から教授まで多岐にわたる。断ち切った赤い糸の数だけの怨嗟と、モテない男たちからの歓声をその身に受け、またエロ本の収集を生活費を削って行う、不健全にストイックな変人だ。
彼のまだ遠い昔の青春にいるような生き様は、私も含めた同窓生たちが失ってしまった、忌むべき汚い純粋さを保ち続けているように思える。
僕らのやっていることは真反対だが、なんの因果か出会ってしまった。また意外なことに気が合って、互いの評判に傷を付け合いながら、よく飯などを食っている。
「しかし君、よりによってあの唐変木とは…確かに難攻不落だ。奴は人と人の感情を察するのは上手いが、自分に向けた感情となるとてんで駄目だからな」
「本当にそうなんです。そもそも先輩を捕まえるのに一苦労で」
思わず笑ってしまう。
「そうだろう!そうだろう!あいつほど神出鬼没な奴はこの大学にはそうそう居ないよな!」
「笑い事じゃないんですよ…。大学中を探し回るおかげで私、3回生の方よりもずっとキャンパスに詳しくなっちゃったんですから」
「それは苦労をしてるね!」
いやあ、あの半妖人にもついに浮いた話が出てくるとは!彼は捻くれ屋を気取ってはいるけれど、根は本当に優しく善いやつだ。やっと正当な評価を受けたと言ってもいいのかもしれない。
「それに先輩、やっと見つけてお話ししても『ウム』ばかり言って、長い会話にならないんですよ……」
「うーん?それは奇妙だな」
思わず首をかしげてしまう。あの口から先に生まれたような男が寡黙に?
「あいつ、詭弁と奇策が信条なような奴だからなあ。あいつがあまり喋らないというのは妙だ」
彼女の顔がふっと曇る。
「もしかして私、疎まれたりしてるんでしょうか……?」
面倒くさい女だと思われてると心配になっているのだとしたら、
「うーん、直接聞いたわけじゃないから確かなことは言えないけど……」
それはきっと勘違いだ。
「あいつは相手を疎んでるからと言ってぞんざいに扱うやつじゃないし、それにもし本当に疎んでいるなら、それこそ何らかのサインは発すると思うよ。あいつはお互いが傷つかないようにすることに関しては、やけに繊細で勇気があるんだ」
ちょっとほめ過ぎかな?今度あいつに何か奢らせよう。
しかし弱った。相手があの唐変木となれば、下手な小手先のアピールなど気付きすらしないだろう。となればガツンと本丸に切り込むしかない。
「さてと……。それじゃあ次のステップはデートかな」
「デデデデートですか⁉」
「うん。デート」
おお、面食らってるねえ。
「やっぱり二人で過ごさないと、いつまでもその他大勢の一人だからね」
その他大勢という言葉は、恋する者たちにとってあまりに辛い一言らしい。彼女にも効いてるようだ。
「いやでも私、先輩と向き合うと全然素直にお喋りできないんです!」
「それだったら、どこかに何かを体験しに行く、みたいなのがいいんじゃないかな。いざとなったらそっち側に集中すればいいような」
「その上私、緊張して歩き方も変になっちゃうんです!ひょっこひょっこってなるんです!」
「うーん、それは困ったね…」
喋れない、歩けないとはなかなか難しい。映画かなんかを見に行くのがいいかもしれない。
「まあなんとか良いようにするよ。任せてくれ。参考までに君が好きなものとかあったら、教えておいてくれないかな?」
さてと、わが親愛なる友人よ。貴様をありふれた恋のしもべに変えてやろう。その胸、キュンキュンさせてやるからな!
★★★
翌日、件の彼に呼び出された。突然の呼び出しの上に30分ほど遅刻してきたのはいつも通りだが、その日は様子がおかしかった。
やけに思いつめた様子で、飯を前にしてもしばらく手を出さなかった。必修の単位を落とした時だってどこ吹く風だった彼をこんなにも悩ませる事柄とは、一体何だろうか?
「相沢!助けてくれ!胸が、胸が苦しいのだ!」
「胸が苦しい…狭心症かい?」
「狭心症ならば治しようもあろう!ならばどんなに良かったことか!」
「ならば末期癌か…」
「いや、恋だ」
「そうか。恋か」
僕は静かに味噌汁に口をつけた。うん、美味い。
そうかー、恋か。なるほどね。
………は?
思わず目の前の顔に味噌汁を吹きかけた。
「明日は槍が降るぞ‼」
彼から一通りの話を聞き終えた。思わず「オーマイゴッド」と声が漏れた。
「かのカップル破壊神の君が今となっては恋の僕、その上なんと一目惚れときた。こんなに愉快なことがあるだろうか!」
「相沢、声が大きいぞ!壁に耳あり、どこで誰が聞いているかわからん!」
こんな面白いことが年度始まって早々に起こるとは。
共に薄汚い青春でまどろんでいた仲の彼が、遂に恋の道を見つけたということに対しては、若干の寂しさと妬みを感じずにはいられないけれど、ここは友人として精一杯の祝福を送ろう。
「ところにして、一射で君の心を射止めたその名撃手はどこのお嬢さんだい?」
すると彼は、昨日の彼女の名前を告げた。
雷に打たれたような衝撃をうけた。
「ほうほう………なるほどね。なるほどね」
瞬間的に表情筋を硬直させて、真顔を保った自分を褒めたい。
「……そう来たか。覚えておこう」
……そんなことある? まじ? そんなことある?
こいつら両想いじゃん! まじ? こんな完全にマッチすることある?
なんなの、運命の相手かよ、こいつら。
「さて、本題に入ろうか」
さて、この話を突然してきたってことは、きっと彼が呼び出したのは「幸福請負人 相沢」にちがいない。この訳の分からない感情を何とかしてくれと、僕に相談に来たのだろう。
わが親愛なる最低で最高の友人よ。貴様の別れ話請負人としての名声もこれまでだ。その鋭利な刃を丸めて、型にはまった幸せという名の泥の中で眠る、幸福な豚にしてやろう。
「ほ、本題?」
「君は内に秘めたる恋心をただ僕に伝える為に会いに来たのかい?違うだろう?」
「いや、それは…」
「頼みごとがあって来たんだろう?男らしくはっきり言いたまえ」
お、恥ずかしがってる。からかうしかないな。
「その、私と彼女を…」
「私と彼女を?」
「仲良く…」
「友達関係でいいのかい?」
「いや…その、こい…」
「こい?」
めっちゃ楽しい。
「恋仲にしてはもらえない…でしょうか…」
「はい、よく言えました」
こんなにたじたじな彼を見るのは初めてかもしれない。食費が底を尽きてもキャンパスの野草を食って生き延びるような奴だからなあ。
「では相沢、力を貸してくれるのか?」
「ああ!勿論だとも!他ならぬ君の頼みだ!」
「本当か?」
「ああ」
「男に二言は無いな?」
しつこいなあ。なんでそんなに疑うんだろう。
「やけに念を押すなあ。もちろん二言は無いとも」
「ならばよし」
彼は味噌汁を口に含み、僕の顔めがけて全力で噴射してきた。
「ところで、君は今どんな方策で動いてるのかな?」
目が痛い。涙が止まらない。何かが瞳に飛び込んだまま出てこない。……あ、出てきた。これは…、ワカメ?
「常に彼女を探している。なるべく動かないようにしながら」
「なるほど。…は?」
なんですって?
「…え?」
彼が味噌汁滴る顔面で。どうしたの? という表情をしている。もっとも僕も味噌汁まみれなので、マヌケさは似たようなもんだろう。
「まさかと思うが…それだけ?」
「え?うん……」
可愛く認めてるんじゃないよ。問題大ありだよ。
「小粋な会話とかは?」
「そんな余裕はない」
「ごはん連れて行ったりしたかい?」
「それが出来れば苦労はせんよ」
「ならば君、彼女に何か贈ったりはしてるのかい?」
「勿論!毎日飽きもせずに熱視線を送っている!」
「あのさ……」
さてはこいつ、女性へのアプローチの仕方を全く知らないな?
「お前バカなんじゃねえの?」
ググれよ。〔好きな人 女性 仲良くなり方〕とかで。
「あ、相沢…?それはどういう…」
「そんなんじゃ、たとえ両想いでも成就するわけないだろう!」
あ、両想いって言っちゃった。まあこの調子で勘づく訳もないからいいか。
「君、彼女の事が好きなんだろう!?」
「それはそうだが…」
「性的に好きなんだろう⁉」
「いや、そんな破廉恥な気持ちで好いているわけでは、断じて…」
腹が立ってきた。おまえせっかく恋心という得難いものを手に入れたんだから、変なプライド掲げてないでケツ追いかけろよ‼
「いやもだってもヘチマも無い!好きなんだろう!?性的に好きなんだろう!?認めろ!だったらもっとがっついて行けよ!ガンガン行けよ!恋仲ナメんな!」
「相沢!落ち着け!」
彼は味噌汁を再度噴射した。。
「すまない、取り乱した」
鼻をかむと割れた豆腐が出てきた。味噌が粘膜にしみてツンとする。
「なににせよ、このままだと恋仲になるのは至難だよ」
熱視線送って恋が成就したら誰も苦労しない。
「ぬう…。だがあの蛮族どもがな…。
百歩譲って私はどうなろうと構わないが、もし彼女に魔の手が伸びたらと考えると、それだけで寒気がする」
「それは確かに大きな障害だ。君が尻込みするのも分かる。でも、彼女と恋仲になるのであれば、いつの日にか対峙しなければならない問題には違いないよ」
この屁理屈人間を黙らせて型にはまった幸せにぶち込むためには、正論で追い込んでいくしかない。
彼の方に向き直る。
「さて…」コホンと咳払いをして、昨日と同じ言葉を発した。
「とりあえず、君。手始めに彼女をデートに誘うんだ」
「なるほど……なるほど?なるほど!?」
「なんで疑問形なんだ」
おお、面白いように面食らってる。こういうところは彼女と一緒だな。
「いや、なるほどじゃない!いきなりデデデェトとはこれ如何に!?」
大正期みたいなカタカナ語の言い方するんじゃないよ
「二人っきりで過ごす時間がないと、彼女にとって君はいつまでもその他大勢の一人だよ」
「それは確かに…」
昨日も抜いた「その他大勢の一人」の伝家の宝刀は、どうやらこの朴念仁にも効いてるようだ。やっぱり恋してるんだなあ。彼も。
「いやしかし!20文字以上の会話もままならないのに、間が持つわけがない!破局だ!」
「破局も何もまだ始まってすらいないじゃないか…」
そして恋の奴隷に特徴的な理性の浸食も見られる。いい傾向だ。
「ならばあまり話さなくていいようなプランにすればいい。一緒にご飯食べるとかじゃなくて、用意されたコンテンツを楽しみに行くようなプラン。どっかに何かを見に行くとか。例えば………美術館とか」
昨日、彼女が日本画が好きだと言っていたことを思い出して、急遽フラグを立てていく。
「なるほど…なるほどじゃない!そういう問題ではないのだ!そもそもそんなに簡単に誘えたら苦労はしないのだ!わかるかチャラ男!」
「ならこうしよう。奇遇にも僕と彼女は面識がある。そこで僕と君と彼女の三人で出かけることにすればいい。僕は適当な用事で予定が合わないことにするから、あとは二人でデートという寸法さ」
彼の無理だなんだという慟哭を丸ごと無視して、3人の連絡グループを作った。
あとはそれとなく誘導していって、彼自身から日本画美術館の案を出させれば完璧だろう。
突然3人しかいないチャットを立ち上げるのも不自然かな?と思ったけど、どうせ二人ともお互い遊びに行きたいと思ってるんだし、なんんだかクソ茶番に付き合わされているような気分になってきたから、趣旨は適当に「三人で遊びに行こうぜ!」という胡乱なものにしてしまった。どうせ文句を言うものは誰もいない。
僕がやがて抜けることを彼女には……なんかこれ以上三文芝居をするのも嫌だし、黙っておこう。
あとはお若い二人でお話ししてもらうということで。オホホホホ……。
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