胃袋を掴めって偉い人も言ってました

「相沢さん! よくも! よくも謀ってくれましたね!」

「楽しかった?」

「楽しかったです!」


 報告会と称して呼びだされた相沢さんは、悪びれる様子もなく、さも愉快そうに笑っています。

 私は何も言い返せず、憮然たる面持ちでコーヒーとクリームをくるくると混ぜ回します。

「せめて先に二人っきりだと教えてくれれば、もっと落ち着いて準備できたのに…」

「いやあごめんごめん。緊張であんまり喋れなかった?」

「いえ、そんなことはなかった…ですけど……」

 思わず最後の未遂事件を思い出してしまい、一層激しくコーヒーをかき回すほかありませんでした。



「さてと、それじゃあ次の策を練ろうか」

「次の策ですか…」

「次のデートの企画をしよう。もう二人っきりは慣れたものでしょ?」

 私が恨めしそうな眼差しを向けると、相沢さんは悪戯っぽい笑みを浮かべました。

「次のデートですか…。今度は先輩の趣味に合わせたところに行きたいですね」

「お、殊勝な心掛けだね」

「そこで相沢さんにお訊きしたいんですけど、先輩の好きなことって何ですかね?」

「美術鑑賞じゃないの」

「からかわないでください!」

 相沢さんは「流石に気が付いてたか」とケタケタ笑います。なんだか今日はテンションが高いようです。寝不足でしょうか?

「うーん、あいつの趣味と言ったらやっぱり、縁結びならぬ縁破りかなあ」

「できればそれ以外で…」

 私の縁まで破られたらたまりません。

「他には、書店巡り……」

「本屋さんですか?」

「いや、今のは忘れてくれ……。うーん、まあ、飯にでも誘われたら喜ぶんじゃないかな」

「ご飯ですか。お店探さないとですね」

 ところが相沢さんはふっと眉間にしわを寄せました。

「あー、でも駄目だ。お金ないんだった」

「お金ですか?」

「うん。お金。あいつ今すさまじく金欠なんだよね。きっとあいつのことだから、飯代出そうとするだろうし」

 先輩、そんな状況だったんですね……。この前の美術館のチケットも、何のかんのと押し問答をしながら結局出して頂いてしまいましたし。先輩の負担になるなんて絶対に嫌です。

「わかりました。私が何とかします」

「お、何か腹案が?」

 女の意地を見せるところですよここは!




 なにはともあれ、私には急ぎでどうしてもやらなければならないことがありました。衣服の調達です。

 美術館前夜(正確には当日早朝ですが)の一人ファッションショーで痛感したのですが、私は可愛らしい服をあまり持っていないのです。

 服自体は人並みには持っているのですが、年頃の乙女達に紛れるのを第一目標にして選んだ服ばかり。私的に「かわいいっ!」という感じの服は殆ど持っていません。

 これは大きな問題です。装備不足は大きな弱点になるばかりか、心の余裕が無くなってしまいます。

 私は特に仲の良い友人数人に、「デート用の…服を選ぶの……、手伝って下さい……!」と、顔から火が出る思いをして買い物への同行を頼みました。


「おお……これは……」

 驚きました。私の要望を聞いて友人たちが持ってきたのは、白と瑠璃色のワンピースでした。ウェストできゅっとしばれるタイプのやつです。

 私はずっと「かわいいっ!」ってなるのは、私にあまり似合わないピンクとかフリフリとかの、いわゆるフェニミンでガーリーな服だけだと思っていました。でも、これならばきゃわいい上に適度に落ち着いてて、なんだかオトナな感じです。

 横を見れば友人たちは絵にかいたようなドヤ顔をしてます。悔しいですが私だけではこの選択はできなかったでしょう。感謝の嵐。


 そんなこんなでワンピースの入った紙袋を提げて意気揚々と帰ろうとしたとき、靴売り場が目に入りました。見れば可愛らしい靴が並んでいます。

 ふと自分の足元に目をやると、履きやすさ重視で選んだスニーカーがありました。

思い返せば、私が今まで身に着けてきたものはいつだって履き心地であったり、人に紛れるためだったりの、機能重視でした。


 なんだか無性に胸が締め付けられるような気持ちになって、提げた紙袋を見ました。それからももう一度、靴売り場を見ました。




 当日が来ました。自然公園近くの駅で待ち合わせています。

待ち合わせています、というのは叙述トリックです。なぜなら私は待ち合わせ時刻の1時間前にはここに到着していて、そして30分前から物陰に隠れて様子を窺ってるからです。ほとんど不審者ですね。


 私がこんなに早く着いた理由は、バッグの中に入っている大きなお弁当です。

 そう、お弁当。先輩との楽しいご飯会実現のために私が用意した秘策です。服を買いに行ったときに友達も、「男は胃袋を掴め!!」って言ってました。

 それで調理を何度か失敗することを危惧して早起きしたところ、時間が余ってしまいました。ですがもう一回寝るには危ない時間だったので、なんとなく落ち着かずにここに来た次第です。


 先輩がいらっしゃいました。深呼吸をして、いつもの通り背後から近づきます。

「せんぱい、お待たせしました」

「ひゃいっ!」

 ひゃいっ! ですって! いつも驚かせてしまうのはとても申し訳ないですが、可愛い声が聞けたのでなんだか得した気分です。

 先輩は私の服の変化に気が付いてくれるでしょうか? ほんの少しでもいつもと違うって思ってもらえたらいいな……。

「それじゃあせんぱい、行きましょうか」

 思い悩んでいても仕方がありません。自然公園の方へ歩きだします。下調べは完璧です。



 先輩がチラチラとこちらを見てくるので、うれしいような恥ずかしいような気持ちでしばらく歩いていましたが、やがて私の大きなバッグに気が付いたらしいです。自分で「ラフな感じ」と指定した割には重そうな荷物が気になるのかもしれません。

 すると、先輩がおもむろに口を開きました。

「あ、荷物持つよ」

 私はギョッとして目を見開いて、思わずバッグを抱いて先輩から距離をとってしまいました。

「え、…嫌です…」

 それは無意識のうちに口からこぼれ出た言葉でした。

 だって、意気揚々と秘密で作ってきたお弁当が入ってるんですよ? それを持ってもらうなんて気が気じゃありません。

 ですが、先輩の顔を見て再度ギョッとしました。

 先輩はまるで、道端に捨てられて雨で凍えている子犬のような顔をしてます。

 というかちょっと泣いてます。

「あ!いや違うんです、せんぱいに持たせるの申し訳ないなって!ホントそれだけなんで!嫌とかじゃなくて結構ですってことで!」

「いや、こちらこそ申し訳ない…気にしないでくれたまえ…」

 急いでフォローするも、先輩は完全に「勘違い男でごめんなさい…」モードに入ってしまったようです。


 違うんですごめんなさい~~‼



「………」


「………」


 気まずいですね。めちゃ気まずいです。

 先輩が委縮して、コミュニケーションが止まってしまいました。

 一度会話が消失してしまうと、中々話題の連鎖を作り出せません。生態系と同じですね。私は何を言ってるんでしょうか。焦りで思考が暴走気味です。

 さっきから何とか話題を見つけようと周囲にある物と頭の中を高速検索しているのですが、なかなかいいものが見つかりません。

 すると、先輩がおもむろに口を開きました。

「今日はいい天気だな」

「そうですね」

「………」

「………」

 私のバカバカバカ!せっかく先輩が無理やり会話を始めて下さったのに、虚を突かれて話題の芽を一瞬で摘んでしまいました……。

 前回の美術館はロケーションに助けられてたんだなと痛感します。私にサシご飯はまだ早かったのかもしれません。あと何回かロケーション勝負な所に行った方が良かったかも…。美術館はダメだから、水族館とか……。

 おっと、脳みそが現実逃避を始めていました。気を確かに持たねば。

 その時、先輩が再度口を開きました。

「服、素敵だね。特に靴がとてもいい」

「――ッ…!」

 私は頭を殴られたような衝撃を受けて思わず先輩の方を見ました。何か言わなければとは思っても口がパクパクするだけで言葉が出てきません。顔に留まらず前進が紅潮してゆくのを感じます。

 先輩、気が付いてくれてたんだ……。胸にじんわりと温かいものが広がります。勇気を出して変わってみて良かった。ほかならぬ先輩に真っ先に見せたくて、先輩に気付いてほしくて……。


 こんな幸せがあっていいんでしょうか?


 新品の黒いレースアップのコルクヒールサンダルが、嬉しそうな靴音を立てます。いつもより少しだけ高い目線。このヒールの分だけ、先輩に近付けた気がします。

 先輩もしばらくして気恥ずかしくなったのか、顔を赤くし始めました。紅潮した顔で向き合っているのがなんだか照れ臭くって、思わず下を向いてしまいました。

「………がとうございます……。」

 やっと私の口が言葉を絞り出してくれました。どうしても言いたかった一言を、何とか紡ぎだします。

「いいえ……」

 先輩も消え入りそうな声で答えてくれます。

 私たちは目も合わせる事が出来ず、一層静かに黙々と歩みを進めます。ですが、先ほどまでの気まずさは全く感じません。


 言葉がなくとも幸せ、って言葉、今のためにあるのかも。



「ここでご飯にしましょう」

 目的地の広場に着きました。幸い人はまばらなようです。

 先輩は状況がまだ理解できないようで、あたりを見渡しています。レストランを探しているのでしょう。私はその間にレジャーシートを敷いてしまいます。

「せんぱい、突っ立ってないでどうぞお座りくださいませ」

 怪訝そうな顔をしている先輩を驚かせられるかと思うと、楽しくて不敵な笑みが浮かんでしまいます。

「何が何やらわからないって顔してますね。ふふふ、きょうはお店には行きません!」

 先輩の顔は怪訝を通り越して不安そうです。

 私は「じゃじゃーん!」と言いながらお弁当を取り出しました。

 効果音付けたのがなんだか急に恥ずかしくなってきましたが、このまま押し切ります。

「今日はお弁当を作ってきました‼」


「……………………」


 先輩は全くの無言でした。

 自信過剰でというわけではありませんが、「うわ!」とか「すごい!」といった反応を期待していなかったと言えば嘘になります。

 それでも、ご飯を食べに行こうという話をしていて、サプライズでピクニックが始まったら、誰しも何らかの反応をするのが人間味だと思います。

 ですが、先輩はギュッと口を結んで、お弁当を睨みつけています。

 一体どうしたのでしょうか?

「あの、せんぱい…」

 急に嫌な可能性を思い付いてしまいました。

 この世には、自分の家族以外が作ったお弁当やおにぎりが生理的に受け付けられない人がいると聞いたことがあります。それも結構な割合だそうです。

 もしかしたら、先輩もそういうタイプだったのかもしれません。

 それで、無思慮の厚意で用意されたお弁当を前に逡巡しているとしたら……。

「もし苦手だったりしたら、ほんと無理しないでください。晩ご飯で食べますから」


 その瞬間、私の手は先輩の掌に包まれていました。優しい体温が伝わってきます。

 先輩の瞳が私の目の前にあります。その瞳の内にある優しい光を見た瞬間、不安だった気持ちがふっと解けて消えていきました。

「ありがとう。いただきます」

 先輩はそこまで言うと、俄かに我に返ったようで、すごい勢いで飛びのきました。まるで自分の行動が信じられないといった感じで、自分の手と私の手を交互に眺めています。


 一方私はというと、気恥ずかしくって、そして何より泣いてるような笑ってるような表情を見られたくなくて、つい斜め上を向いて目を逸らしてしまいました。

「どうぞ…お食べください……」

 裏返りそうな声を必死に抑えて答えました。


 その後の食事はまるで幼稚園児に戻ったようでした。手が思ったとおりに動いてくれなくて、何度粗相をしたかわかりません。


その上、会心の出来だったはずの味もよくわかりませんでした。



ただ、季節の陽気にしてはやけに、ポカポカとしていたことを覚えています。




 駅でのさよならの前に、先輩がお金のことを話題に上げました。

「おべんとう、美味しかった。ありがとう。材料費は出すよ」

 恐らく先輩は私に奢られてしまったと感じているのでしょう。ですがこの状況は想定済みです。これを切り抜けるために、相沢さんに秘策を授かってきました。

 ここぞとばかりに必殺ワードを唱えます。

「せんぱい、それは野暮ってやつですよ」

 すると先輩は、「野暮なら…いやでも…でも野暮なのか…。うーん、野暮かあ…う~ん…」と唸っていましたが、暫くして「いやしかし…」と食い下がる姿勢を見せてきました。

 ここで相沢さん謹製の第二の矢です。

「じゃあそれなら…」

 私は相沢さんに教えてもらった通りにっこりと笑います。

「こんどまたどこかに連れて行ってくださいね。お代はそれでいいです」

 ……本当はこの後にウインクするように言われていましたが、多分からかわれただけなので忘れたことにします。



 ちょうどその時、私が乗る方面の電車が来ました。いつもは長く待たされるのに、何で今日に限ってこんなにすぐ来るのでしょうか。

 名残惜しいですが、足に根が生えてホームから動けなくなりそうだったので、えいっとドア口に飛び込みます。


 物々しく閉まったドアの向こうで、音を失った先輩が小さく手を振りました。



 音の遠ざかった車内には、私の鼓動だけが響き続けました。

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