side.彼女
恋知らぬ乙女の恋
恋に落ちてしまいました。
何ということでしょう。こんなことは生まれて初めてです。この世に生を受けて18年とすこし、今まで縁遠かった恋というものは唐突に現れました。
この学び舎に入ってからも入る前も、誰も彼もあの子もその子もカレシだカノジョだとうつつを抜かし、やれ惚れただの腫れただのと騒ぎまわるのを傍で眺めてきました。
「眺めてきました」なんて言いましたが、それはちょっぴり嘘です。私の偏見に満ちた理解が正しいのであれば、恋とはつがいになろうとすること。そしてつがいとは二人一組のことです。そして一方にその気がなくとも、もう片方はその気マンマンだということが往々にしてあるようです。
ええ、そうですとも。見事に巻き込まれたものです。私は孤高の点を気取っていたつもりでしたが、同級の男子からの矢印がこちらに向かい、その男子に向かっている同級の女の子からの矢印があって、気が付けば三角形の頂点にされていた、ということがちょっぴりありました。
いやぁ、あれは迷惑でしたね。細かく何があったかを説明するのは、ともすれば嫌味ととられそうなので避けますが、誰一人として得をしない、というか損しかしない、噛み合わない三角形でした。
私は恋に恋する彼ら彼女らのモチベーションが理解できませんでした。なんでまた損しかしないと分かっている関係性に、自ら頭を突っ込もうとするのか、本当に意味不明でした。その時は。今の私ならばわかりますがね!
アイアン・メイデン
私はクラスの男の子にそう言われていたようです。歯の立たない、鋼鉄の処女。瑞々しい少女につける呼び名ではありませんね。不名誉極まりないです。
「アイアン・メイデンでかまわない。だから放っておいて。私を巻き込まないで。あなた方のその理解不能な茶番劇場に付き合っていられない」
そう言い放った私は、親しかった級友たちに「恋を知らぬ手負いの獣」と揶揄されたのでした。失敬な!
そんな人生を送ってきたる私が、恋に落ちてしまいました。その上情けないことに、完璧な一目惚れでした。オーマイゴッド。
できたばかりの友達に連れられて見て回ったサークルの新歓で、私の恋はやってきました。その恋は無精ひげの生えた年上の男の人の形をしていました。
偏屈そうな立ち振る舞い、悪党を気取ったような言動。それなのに誰よりも周りに気を配っていて、ニヤニヤ笑っているつもりで細めた目は何よりも優しげでした。
そんな彼を見るうちに、胸がきゅんきゅんしてしまいました。これが恋というものか!と直感しました。
嗚呼、恋とはなんと温かいものなのでしょう。
いままで手厳しく突っぱねてきた同級のみんな、ごめんなさい。「放っておいてくれ」と啖呵を切った過去の私を共に諫めましょう。今度の同窓会で恋バナしましょうね。
かくなる上は、やっと見つけた恋路を爆走し、型にはまった幸せを追い求める若者の一員となるほかありません。しかしながら私の恋路はオフロードでした。
そもそも先輩が神出鬼没すぎるのです。
履修相談だなんだと言って先輩の時間割を覗き見て、なるべく同じ授業をとったりもしました。
しかし残念ながら、先輩はどの授業でも見かける事が出来ないのです。ちゃんと進級できるんでしょうか。でも先輩が留年したら同級生になるわけですよね。それもまたいいかも…えへへ。
話が逸れましたね。
どうやら話を聞くに、先輩は別れ話請負人とかいうのをやっているみたいです。それで毎日、朝から晩までほうぼうを飛び回っているとか。面白い人ですね。
その活動のせいで、一部の乙女たちには随分と追い回されているようです。私の幸せを返せ!って感じですかね。彼女らには
「あの男だけは止めておきなさい。あんな性格の捻くれたやつそうそう居ないわ」
と諭されたりしました。私はそんなに悪い人だとは思わないんですけどね。
でも、どの女性も心の底から先輩を恨んでいるわけではなさそうなんです。どの方も落ち込んだりしていませんし。それどころか、先輩にどこかで感謝している節まであるみたいなんです。
憎まれ役を買って出たということなのでしょうか?不思議な人です。
さて、そんな恋する乙女こと私が今何をしているのかというと、とにかくひたすらに構内の徘徊です。原始的ですね。
先輩に会いたくとも、残念ながら行動パターンを予測するのは不可能でした。そもそも先輩には行動パターンなんてものが存在するんでしょうか?
その結果、変に当たらない予想でどこかに赴くよりも、無作為に構内を移動した方が先輩と遭遇する確率が高いことに気が付いたのです。今は食堂に友達と来ています。
みんなで食品サンプルの並べられたショーウィンドウを眺めていると、先輩が現れました。心の中でビンゴ!と叫びます。
ですが飼い主が帰宅した時の子犬のように先輩に駆け寄るのもなんだか気恥ずかしいので、しばらく気が付いていないふりをしてみます。
先輩はふらふらとこちらに近づいて来ます。先輩もご飯でしょうか。
あっ、先輩が柱の陰にひょいと隠れてしまいました。見れば先輩の手によって交際者を失った女性たちがいます。彼女らが近くにいると先輩は物陰に隠れてしまうのです。そしてしばらく出てきません。
こうなっては知らんぷりをしていても仕方がありません。私から先輩の方に行くしかありません。
ショーウィンドウを鏡代わりにして前髪を整えます。
コンプレックスの癖っ毛は跳ねていますが、しょうがありません。友達に断ってから先輩に背後から近づきます。
なんで背後から近づくかというと、先輩がいらっしゃると緊張して変な歩き方になっちゃうからです。
小さく咳をして喉を整えます。
「せーんぱい」
舌足らずになってしまいました。先輩の事を先輩と呼ぶのがなんだか気恥ずかしくて、にやけて変な発音になってしまいます。
先輩は後輩の突然の登場にひどく驚いているようです。
「せんぱい、こんなところでさっきから何をしているんですか?まるで不審者ですよ」
キャンパスで先輩を探し回ったりして、不審者は私の方です。
なんだか照れ臭くて、両手を背中でつなぎます。一歩横に動こうとしたらやっぱり変な歩き方になっちゃいました。煽られて癖っ毛が跳ねます。私の足め、いうことを聞きなさい!
「あ、せんぱい、昨日の講義、またサボりましたね。また落としちゃっても知りませんからね」
「ウム」
お話しできるのが嬉しくてなんだかニヤけてしまいます。
「頼んだってノートは見せてあげないんですからね」
ああ、なんだって私はこんな意地の悪いことを言ってしまうのでしょう!もっと素直にお喋りしたいのに!
「一緒に勉強しますか?」とでも言えたならどんなに喜ばしいでしょう!
先輩の目の前に立つと、心臓が早鐘を打ってしまって、どうしても素直にお喋りできません。こんなことは生まれて初めてです。
これが今まで恋を知らずに生きてきたツケなのでしょうか?恨みますよ、アイアンメイデン!
「それじゃあせんぱい、また」
「ウム」
ぴょんぴょん跳ねる癖っ毛を気にしながら、友達の方へぎこちなく歩いて帰ります。
「はあぁぁぁぁあぁ……」
大きく息を吐きだします。あ~ドキドキした。
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