美術館に行こう!

 某日。私は彼女と日本画美術館にいる。

 正直なところ日本画にも美術にも、もちろん館にも興味はあまりないが、トラディショナルでハイ・カルチャーな教養薫る男であると思われたい虚栄心で美術館を選び、「セザンヌだかスザンヌだか知らんが、そんなお高くとまったものをわざわざ見に行きたくない」という捻くれた反骨精神で日本画に決まった。ただそれだけである。


「せんぱい」

「ひゃいっ‼」

「私の話、聞いてました?」

「ええ、ああ。勿論だとも…」

 とっくに彼女成分が致死量に達し胸が一杯いっぱいな私は、こんな事態を作り出した一人の男の事を思い出していた。




「さて…とりえず、君。手始めに彼女をデートに誘うんだ」

「なるほど……なるほど?なるほど!?」

「なんで疑問形なんだ」

「いや、なるほどじゃない!いきなりデデデェトとはこれ如何に!?」

「二人っきりで過ごす時間がないと、彼女にとって君はいつまでもその他大勢の一人だよ」

 確かにそれはその通りだ…。

「それは確かに…。いやしかし!20文字以上の会話もままならないのに、間が持つわけがない!破局だ!」

「破局も何もまだ始まってすらいないじゃないか…」

相沢は呆れた様に呟いた。

「ならばあまり話さなくていいようなプランにすればいい。一緒にご飯食べるとかじゃなくて、用意されたコンテンツを楽しみに行くようなプラン。どっかに何かを見に行くとか。例えば………美術館とか」

「なるほど…なるほどじゃない!そういう問題ではないのだ!そもそもそんなに簡単に誘えたら苦労はしないのだ!わかるかチャラ男!」

「ならこうしよう。奇遇にも僕と彼女は面識がある。そこで僕と君と彼女の三人で出かけることにすればいい。僕は適当な用事で予定が合わないことにするから、あとは二人でデートという寸法さ」

 その5分後には私の無理だなんだという慟哭もむなしく、三人で遊びに行こうぜ!という連絡グループが出来上がっていた。

 その後は良いように流されてこの有様である。




「私の話、聞いてました?」

「ええ、ああ。勿論だとも…やっぱり北斎は素晴らしいな」

「小林古径です。そもそも浮世絵じゃありません」

 こばやしこけい?誰?知り合い?

「せんぱい、ほんとに日本画好きなんですか?」

彼女はにやにや笑いを浮かべて私の顔を覗き込む。

「ああ、勿論だとも!画家の名前やらはさっぱりだが、なんかこう、胸にぐっとくるものが、あるな?」

「なんで疑問形なんですか」

 彼女が可笑しくてたまらないといった様子でカプカプと破顔する。つられて私の頬も緩む。

 髪をふよふよ揺らしながら、彼女が次の絵までゆっくり歩く。私も続く。

「でも、びっくりしました。せんぱいが私を誘ってくれるなんて」

 彼女を誘うことになったのは十二割がた相沢に謀られたせいだが、ここでは黙っておくに限る。

「ほんとうにほんとうに、今日は誘ってもらえて嬉しかったんですよ?」

「喜んでもらえたなら何よりだ」

私の前を歩いていた彼女が、くるりとこちらへ向き直る。

「でも驚きました。せんぱいがそうだったなんて」

「えっ…」

 私は声にならない悲鳴を上げた。

 それは私が貴女を好きだという事がいともたやすくばれてしまったという意味なのか。

 彼女はステップを踏んで笑った。

「実は、私もそうなんです」

私は心臓の深部に衝撃を受けて耐え切れずによろめいた。

 実は!?彼女も!?私の事が好きなのか!?

 いや待て、きっとよくあるパターンだ。どうせ「あの相沢さんとお友達だったんですね!私もそうなんです!」とかに違いない。浮かれるな。いつもの自己嫌悪を思い出せ。

「ん、何のことだ?」

 よし、これでいい。良い返しだ。冴えてるぞ。

「え、何のことって…相沢さんから聞いたんですよ」

彼女は怪訝そうな顔になる。

「好きなことです」

 その場で泡を吹いて倒れなかったことを褒めてほしい。辛うじてシャットダウンこそしなかったものの、その言葉の衝撃たるや、私の言語野を破壊するのには十分すぎた。

「すすっすい⁉‼??きゅうい、いい⁉」

「はい」

彼女が私の目をじっと覗き込む。

「私も大好きなんです。日本画!教えて引き合わせてくださった相沢さんに感謝しないとですね!」

 相沢ぁ‼謀ったな‼どうりで美術館を推してくるわけだ!私の日本画美術館を選ぶ捻くれ根性までお見通しか!あの野郎め!ほんとうにありがとう‼


 気付けば私たちはこの美術館の目玉の絵に辿り着いていた。真っ赤に燃え盛る炎に蛾が大量にたかっている絵だ。その炎の燦めきを受けてか、彼女の頬が茜色に染まった。


 火群を映して熱を帯びたように輝く二つの紫水晶から、わたしは目を離すことが出来なかった。

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