第3話 ミドリふミドる≪横隔膜のド真ん中≫

      1


 まさむらも死んだ。

 メールを何度も何度も読み返す。たったの三行。

 まさむらが予定通り今日死んだことと。

 さねあつを一週間後に殺すことと。

 そのあと自分も死ぬことと。

 どうすればいいの?どうしろってゆうの?どうして欲しいの?

 うすほ。

 あたしは。

 そんなことして欲しいんじゃないの。

 大丈夫。だいじょばない。だいじょぶ。大丈夫じゃない。

 ノック。

 秘書はとっくに帰らせたし。社員ももう誰も残ってないはずだし。

 幽霊?

 幽霊はノックしないか。勝手に入ってこればいいわけだし。

 残ってた。

 ひとり。本社の地下に棲みついてる。

「夜這いなら帰って」

「社長にしては珍しい。お下品なジョークで」甥だ。

「ごめん忘れて。疲れてるの。電話もメールも却下して」最上階に。「上ってきた理由を言いなさい」

「プレゼントがございまして」

「なに?」ちょっと期待してる自分がすごく厭だ。ちょっとどころではない。

 だいぶ。相当。すごく。

 何を持ってきたのか。というより。

 誰から。なのか。

 甥があたしに何かくれるわけないし。見返りを求めてるなら話は別だが。

 賄賂とか。

「昼間のあれ、結局どうなりました?もらったんですか?」うすほの。

 グロテスクな彫刻。

「なによ。欲しいの?三億だそうよ」ここにある。

 誰も動かさないから。

 動かせない。重すぎて。

「三億?あれがすか。てゆうか、入れてくれませんか?廊下が不気味で」

「地下より明るいでしょう? いいわ」期待なんかさせて。もしそうじゃなかった場合。

 どうゆう穴埋めをしてくれるの?

 一生埋まらない落とし穴を未だに掘り進めている。そろそろマグマが見える頃。

「お邪魔しまーす」甥は両手に買い物袋を持っていた。

 三つ。

 印刷された店の名前から中身は。

「置き逃げ爆弾ですよ。危ないので爆発する前にお届けに上がった次第です」

「なによそれ」

「煎餅ですよ。あれ?お好きじゃなかったでしたっけ?」

「だから、なんでそれが置き逃げだとか」白竜胆会の総本山へ向かう道すがら。

 その店はある。知ってる。知らないわけない。

 あたしの管轄内。

「誰が持ってきたと思います?」

 つる。と言いそうになって。「誰よ」そんなわけがない。

 憶えてるわけがないのだ。

 あたしの好みも。あたしのことすら忘れてるくらいだから。

 昨日、白竜胆会に呼び出された奴がいるじゃない。

「何しに来たわけ?」さねあつだ。

「ですから、これを社長にと」

「そんなこと聞いてないのよ。ちょっと。帰ったわけ?それだけ置いて」こんな夜中に。あたしに顔も出さずに。本社に来といて社長のあたしに顔を出さない無礼者は。

 あの子しかいない。

「連れ戻して。早く。走って、ほら」

「えー」

「じゃない。あたしが走れったら走る。聞こえた?」

「そんなことしなくても」ケータイ。「出るかどうか保証できかねますが」甥がそれを耳に当てる。「あ、駄目だ。留守電」

「だから追いかけなさいってゆってるの。ほら、いい運動になるわよ」

「社長こそ。増えたとか増えないとか」

「減ったのよ」ストレスで。

「ああ、そうでしたか。そいつはめでたい」甥が乾いた拍手を寄越す。

 揃いも揃ってあたしを嘗めきってる。息子といい甥といい。まったく男ってのは。

 スーツを適当に着崩してもそれなりに形になる。あたしが身なりにうるさいから、仕方なく着ている。そうゆう反抗的な意志がみえみえ。

 あたしには似てない。外見は姉の旦那の若いころに、中身は姉の現在までにそっくり。

 甥がいなければKREは運営できない。地上にも立派な椅子を誂えてやったのだが、それが気に入らないのか与えられたこと自体が嫌だったのか、地下に自分の城を建設してそっちに移住してしまった。

 そこから出てこないわけじゃない。頻度がそう多くないから見掛けると社員は、殊に女性社員は街中で偶然贔屓のアイドルを見掛けたかのようにはしゃぐ。そこをあたしに見つかって、きついお灸を据えられようがお構いなし。懲りずにきゃあきゃあと。

 地上にいる誰の手にも負えないような問題が起こると、しぶしぶ地上に現れるので、その性質を逆手に取り、わざと問題を起こす不届き者はそのたび処分している。それにも関わらず。まだ続いている。

 ので、昼間は地上に出るな。と禁止令を発した。甥は特に不満ではないらしく、むしろ煩わしくなくていい、とも。そもそも他人を避けて地下に潜ったのだという。

「サネが命を狙われてるって」甥はソファに袋を放る。壊れ物だとわかった上でそれでも放ったのは、

 うすほの置いてったあれに眼球を固定されてたから。

 でも特に感想は出なかった。

 吸い取られたのだろう。ニンゲンの不用意な発言を養分にして、この世に存在するこじつけの理由を体現している。

「ちょっと、割れたらどうすんのよ」一応言っておいた。

「取り寄せます。ほらここ、発送承ります、て」

 甥が、昨日うすほが座ってた位置に腰掛けようとしたので。「喉渇いた」

「この時間だと。その、増やそうとしてます?」

「水があるでしょ。そっち」冷蔵庫。「持ってきて」

「水ばっか飲んでるから減ったんじゃないすか? へいへい、ちょいとお待ちをね」ここに来たということは。あたしに顎で使われることがわかっていたということだから。

 そこまで嫌な顔はしなかった。うんざり、が近いかもしれない。

 八つ当たりの当て擦りだ。なんにも晴れない。好物を齧る気も起きない。

「さっきの話なんすけどね」ペットボトルとグラス。最初の一杯だけ注いでくれた。「本当なら、こんなことしてる場合じゃないんじゃ」

 飲み干す。

 冷たくて頭が冴えてくる。幻覚作用。

「死ぬわね。あたしがどうこうしようが無理なの。決まってるのよ」うすほが座ってた位置に甥を座らせないには。

 あたしが座ればいい。そうすれば絶対に。

「死ぬって。社長、そんな簡単に。て、マジすか?マジで?」

「うすほが」言ってから後悔した。

 甥はすごく勘がいい。一を聞けば十、は言いすぎだがせめて五は想像できる。

 うすほ。

 は、あいつに直結する。義理の息子。

「まさむらさんは?無事なんすか」甥は浅樋まさむらを尊敬している。甥の扱う分野のちょっとだけ先を行ってるから。

 人格的にも。

 甥は知らない。と思いたい。想像の範疇にないことを願う。

「死んだわ。あの男もね。うすほが殺してくれた」あたしのために。

 あの男。

 甥は、わかってくれたと思う。誰のことを指すのか。

 その証拠に。しばらく無言だった。

 あたしはひたすらペットボトルを空っぽにしようとした。冷却作用が欲しかった。

 アルコールは駄目だ。

 アタマが冷えてこないから。

「本当に?」甥はミネラルウォータ2リットル分の時間をフルに使ってようやくそれだけ絞り出した。無理矢理信じようとしている。

 信じてない。真実だと思っていない。

「本当なんすか?本当の本当に?」

「死んだわ」

「ちょ、冗談やめてくださいよ。社長。俺がいくらあれだからって、それはないんじゃ」

 うすほは、「嘘なんかつかない」あたしに対しては。「本当よ」

「いつ?」

「葬式なんかしないわ。死体だって」見てない。

 正直、生きてたって死んでたってどうだっていい。二度とあたしの前に顔を出さないでくれれば。

 甥は、グロテスクな彫刻を見ている。あたしの顔を見ないでくれたのだろう。

 ひどい顔。

 見なくたってわかる。見るに耐えないひどい。

「奥方が」うすほのことだ。「サネを殺すってのは」

「何度も言わないで。そんなに心配ならあんたのとこで」地下で。「匿ったら?」

「社長のご命令とあれば早速着手いたしますが」甥はわかってる。

 あたしが、

 さねあつを見殺しにすることを。

 生きてようが死んでようがどうだっていいことを。

 あの男とも。浅樋まさむらとも同様に。

「言いたくなかったらいいんすけど」

「だったら訊かないでくれる?」何を訊かれるか。自明。

 どうして堕ろさなかったのか。

 そんなに憎いなら。育てたくなかったなら。

 社長を継がせたくないのなら。

 ああ、そっか。あの男はもういない。浅樋まさむらだって。

 死んだ。

 あれは、無効だ。

 さねあつを社長にする必要はなくなった。会長に教えなきゃ。

 もうあたしは自由だと。なにものにも縛られてないと。

「もし、もしですよ?サネを匿ったら俺も」

「そうね。あの子を殺すためならなんだってするわ」うすほは「あんたひとり増えたところでなんてことないでしょうね」

 なんでそんな。甥の口が動く。「非道な感じなんすかね。息子ですよ?」

「あたしの子よ。あたしの子だから」非道?なのはどっちよ。「顔突っ込まないでちょうだい。死にたくないんなら」

「一個だけ。一個だけ答えてもらえません?本気でマジで」これを聞いたら帰る。何も言わずに、これからも何もしない。傍観者の淵でただ無意味に棒立ちする。甥の顔にはそう書いてあった。が、甥は嘘が巧いから。

 本気のマジかどうか。あたしにもわかりかねるけど。「なによ」

「サネを殺すだのどうだのって、あれ。社長が奥方に頼んだとか」

「あり得ないわ。信じてくれなくたっていいけどね」

「よかったです。それだけ聞ければ」甥は首だけでお辞儀して退室する。

 ドアが閉まったのを見届けてから買い物袋を漁る。

 一袋目。煎餅のみ。

 二袋目。煎餅しか。

 三袋目。

 あの子の書いたメモ。これを届けるそれだけのために、この重厚なカムフラージュ。

 誰に似たんだか。

 もしかして、このためにわざわざ。買ってきたんじゃないでしょうね?

 

 お世話になりました

 

 そんな走り書き。口で言いなさいよ。

 きっと遺言なんだから。

 そしてやっぱりあたしは。

 あの子に死んでほしいと思ってる。のを再認識した。


      2


「いい加減教えてくださいよ」ねちこい。

 朝頼トモヨリアズマは、さっきっからそればっか。

「わかってるんですよ?あなたが支部長に寄生して現金その他を搾り取ってる理由」

 睨んでも付け上がる。無下に扱ったところで。余計に喜ばせている。

 なんだこの嗜虐性。

 そろそろ僕の家で。と言わせないために。

 閉店ぎりぎりまでうろうろしてやろうと思った。まったくの無目的。購入というただ一点のみにおいて。

 見るからに未成年。なせいか、店員が訝しそうな、通報二歩手前みたいな目線をじろじろじろじろと。

 このカッコか。

 学ランじゃ、せいぜい中坊止まりだ。この心許ない身長では高坊には程遠い。

 童顔だし。いや、それは気にしていないのだが。身長だってこれからぐんぐんぐぐんと伸びるわけだから。伸びるだろう。伸びる伸びる。

 それよりなにより、朝頼アズマの出で立ちが未成年すぎて。支部長より年上だというアレを虚偽だとしなければ、未成年はものの見事に否定されるのだが。

 虚偽だろう。はったりだ。

 どこぞの学ラン少年より十センチ以上小さいし、どこぞの学ラン少年より著しく幼い顔つきで。こないだようやく中坊に昇格しました、みたいな出で立ちの。

 お前だろ。通報二歩手前で踏みとどまらせない原因は。

 あーあー。呼んでる。絶対その顔は。

 呼びましたよ。的な確固たる雰囲気。

「行こか」

「お待ちしてました。さあさあ」

「ずあほお。行くえ」

 生誕祭までまだ二ヶ月あるだろうに。カボチャおばけが終わったが早いか。切り替えが早いのはいいことで。緑と赤と。街の明かりが支配されている。

 夜のほうが動きやすい。

 暗いから。ぜんぶ紛れる。

「どーせ明日もヒマなんやろ」

「行きましょうどこへでもどちらへでも」

 アホ社長にケータイを返し損ねた。そもそも使ってなかった。万年着信拒否。永久につながれないリード。つなぐつもりもない。

 次の飛び石だ。次に飛ぶための。

 どこに飛ぶか見定めるための。一時的な。

 夜は得意だ。いつまでも起きてられる。朝頼アズマがいくらじゃんじゃんばりばりに起きてようが。起きてようが。

 疲れた。起きる前からどっさり疲れた。

 招待されたのに。

 行けなくなった場所。信者にならない方法でなるたけ平和な手段でもって。

 侵入したかった。むざむざその機会を握り潰されて。すごすご引き下がれない。眼の前で逃すのが一番悔しい。電車然りバス然り電車然り。

 朝頼アズマが改札目前で立ち止まる。「僕行きたくない方向なんですけど」

「ほんなら、ばいばいね」次期総裁の許可さえ取り付ければ。大手を振ってうろちょろできる。

 鳥居をくぐって。

 拝殿までは、どこぞの誰でも。それこそ無条件で。

 幾許かの賽銭は必要かもしれないが。

 その奥だ。

 追加料金を支払わずに、もっともらしい方法をでっち上げて。踏み入るとなると。関係者の案内以外に。

 依頼が来たときは、ようやく。と心躍ったのだが。

 くるくる踊るだけ踊らされて。踊り損。

「これ、言ったと思うんですけど。言いましたよね?」朝頼アズマが短いコンパスで猛追してくる。

 結局付いてきたのか。

 ねちこいの鎌足、じゃなかった。塊。

「言ったはずですけどね。行ったって。盗まれたって、言ったじゃないですか」神像。

「そんなんわーっとるさかいにな」用があるのは。実物はおいおい手に入れるとして。

 その末裔。

 絶対に知っている。行方不明は方便だ。どこぞの後ろ暗い組織に身柄を狙われているので、幽閉と称して隠遁。

 逆だ。隠遁と称して幽閉。それも変か。

「娘がおったやろ?」

「いますね。現在進行形で存命ですね」

「会われへんかな」

「いませんよ」

 いない?

「は?」

「とっくに結婚してこんなとこ飛び出してますよ」朝頼アズマが妙に得意そうなので。

 蹴りを入れてやった。

 たぶん、痛かった。痛くなるように蹴った。

 蹴ってから思い出す。こいつは、

 痛いほうが好みなのだ。

 見ろこの至高の笑顔。見たくもない嗜好。

 見なかったことにする思考。

「総裁は」

「知らないと思いますけどね」

「ほんなら、どいつが」知ってるのだ。娘を人質に、こいつの命が惜しくばよろしく誘き出そうと思ったのだが。

 その娘が見つからないことにはうんともすんともなんともかんとも。

 生きているなら、年齢は。

 三十代後半から四十代前半。顔はわからなくもないのだが、

 なにせ二十年以上前の。中坊か高坊かそこらの。容貌なんか変化するためにある。最近の顔は手に入らなかったのか。

 やる気の欠片もない。本当に本気で欲しいのだろうか。

 どうせ最後は強奪。最初からそうしておけば面倒のない。

 寂れた社務所から誰か出てこないかと思って睨んでいたら。

 緋の袴を穿いた、髪の長い少女が出てきた。石畳を平行移動して。ちっとも体が上下しないのだ。ベルトコンベアに乗ってるみたいに。

 どこぞへ遠ざかる。

 朝頼アズマがあからさまにあさっての方向を。

「だれなん?」信者だろうとは思うが。妙な術を体得している。

「総裁の娘ですね」

「おまの妹?」

「そうのようなそうでもないような」

 彼女は、朝頼アズマに気づいたのかそうでないのか。特に何もしなかった。いてもいなくてもどうでもよさそうに。

「行ってまうえ?」

「そうしてもらってください。あんまり関わりたくないので」こちらもどうでもよさそうだった。関わっても関わらなくてもどうでもいいが、関わらないほうが手間もかからなくていい。とそんな感じで。

「妹と違うん?姉えやん?」ちっとも似てなかったようだが。

「あれは総裁の娘ですが、僕は母の息子なんです。人の」シンゾウ「盗んでった泥棒紛いの。次期候補といっても、別に血を引いてなくたっていいんですよ。世襲でもなんでもないんですから」

「せやからね?総裁とその泥棒紛いとの間に生まれたんが」朝頼アズマじゃ。

 違うのか?こっそり仕入れたジェノグラムの僻覚えか。

 総裁の娘とやらが竹ぼうきを携えて戻ってくる。散らばった枯葉を集めるのかと思いきや、柄の先を。

 朝頼アズマの鼻先に突きつけて。

 空気が滞る。

「邪魔ですよ」

「認識してるじゃないですか」朝頼アズマは両手を広げ、顔のあたりに並べて。制止の意志を訴えかける。「ご挨拶ですね。それに邪魔しに来たわけでは」

「存在が邪魔です。早々に立ち去りを」なかなかの迫力だった。朝頼アズマでなければなんらの液体を飛び散らせていたかもしれない。

 緑色の。

 逆流。

 柄の先端に手をつけて下ろさせる。凶器の竹ぼうき。「どうか僕じゃないほうを認識してくださいよ。彼は」目線をこっち遣るな。

 見もしない。「秘密兵器。KREから強奪した」

「知ってましたね。そうでしたそうでした。あなたに知れないことは」朝頼アズマがお得意の嘘くさい笑顔を浮かべて。「見せてあげてくれません?ファンだそうですよ」

「入会希望?祈祷?」彼女は竹ぼうきを入り口の脇に立てかける。

 宝物殿が聞いてあきれる。

 小張エイスが、生前根城にしていたアトリエを。主がいなくなったのをいいことにそのまま見世物小屋に改造した。罰当たりな雑庫。

 カネ取るのか。

 感度の悪い自動ドアの向こうに、視線独り占めの立て看板が仁王立ちでお出迎え。

 場合によって気分を害されることもありますが。

「でやろ。パトロン?」

 作品の保護云々といえども、少々暗すぎやしないだろうか。ただでさえおどろおどろしいのに、これ以上相乗効果も要るまいに。

 やけに煌々と輝く照明に、眩しい眼を細めて壁に貼り付けてあった能書きに、

 氏の代表作

 臓器シリーズ

 という記述を見つけて吐くほどげえげえ後悔した。観る必要はなかった。

「これ、なんぼ?」

 彼女は振り向かない。足も止めない。

「そのような意味でしたか」パトロン。「ちなみにご予算は」

「このきっしょいナカミの創造主の居所、知りとうない?」

 朝頼アズマは、通路中央のベンチに腰掛けて。脚をぶらぶら。完全部外者を装いつつも、ちゃっかり内容だけ搾取しようという魂胆。

 気に喰わないが、ここまでの手間賃と考えればまあ。支払い過多なような気もしないでもないが。お前昨日何発。

「黙って持ってったのよりよっぽど合法的や思うけどな」見返りの情報に加え、カネもくれてやろうという。親切極まりない。

「あれは」シンゾウは。中性的な発音だった。

 神の像なのか。心の臓なのか。

 両方を指したのか。「あの人の所有物です。どうしようとあの人の勝手」

「つまりあれが」シンゾウ「欲しゆうたら、あんさんに四の五のゆうたとこで」

「直接ご交渉ください。徒労とは思いますが」

 カネで手に入らないものが。あるとしたらそれはやっぱり。

 カネが足らないだけだろう。

「そいつが」盗んだんが。「娘か」小張エイスの。

「三億」緋の巫女は祝詞のように呟く。「ご用意ください。最低でも」


      3


 浅樋を絶やすのが浅樋うすほの目的なら。俺を殺すのはお門違いじゃないか。

 俺は浅樋の血は引いてない。はずだ。社長が何か隠していないなら。

 遺伝的に、浅樋まさむらは他人だ。と聞いている。

 だから浅樋の血は俺には。

 本当に?流れてない?

 浅樋うすほが、

 浅樋ゆふすだと結婚しておいて。浅樋ゆふすだを殺した理由。結婚が手段だとしたら。殺すために結婚したとしたら。

 あり得る。やりかねない。浅樋うすほなら。

 その根拠は?

 断続的に動く、伊舞の指を眺めていた。仕事する気になれない。休む気にもなれない。ただうだうだと椅子に腰掛けて。何をするでもなく。

 淹れてくれたコーヒーはすっかり冷めて。無意味な暗黒物質と化している。

「求人でも出してみましょうか?」伊舞イマイは冗談で言っている。俺が誰も雇う気がないことを重々わかっている。

 あいつ以外。

 使い物になっても、俺が使わない。

 契約も結ばないから、給与も支払われない。

「本社から引き抜かれては?」それもしないことは。

「わかってるだろ」そもそも二人だった。

 伊舞が事務だから、実質は俺一人。

 どうやって対応していたのか。

 一人だ。とても手が回っていたとは思えない。

 あいつが。

 いたからこそ、社長が何か言いたそうにしていたが。何も言わせないだけの成果も出せていた。

 いなくなってしまったから、ここぞとばかりに何か言ってくるかと覚悟していたが。いまのところ特に何も。言うだけの価値もないのかもしれない。

 稼げなくなった俺には。

 何の用も。

「社長になれなかったら、お前」

「なるのでしょう?付いていくだけです」

「じじいの、会長のあれが」引退パーティでの指名が。「取り消されたら」

「随分と弱気ですね。支部長らしくもない」

 支部長だって。

 社長の椅子への暫定的な腰掛けだと思っていたが。「まさむらが殺された理由がわからない」

 伊舞がモニタから眼を離す。モニタの向こう側に俺が座っている。

 俺の席は、伊舞と背中合わせのデスクだ。

 今日はそっちに座る気が起きなかった。いまいる席は、よく。

 ツネが座っていた。そこが定位置じゃない。キャスタを転がして、事務所内をくるくると。落ち着きがないわけじゃない。落ち着きたくなかっただけだ。

 ここに。支部に。ずっと、

 いつく気はそもそもなかったと。そうゆう。

 今更気づいたとこで。戻ってくるわけでもなく。

「マサは」そこで一旦区切った。

 伊舞は、まさむらをマサと呼ぶ。5歳は年下のはずだが。

「支部長の、若の」俺のことは若と呼ぶ。若のあとに省略されている役職名が。

 いまになってもわからない。

 単に、自分より若い。それだけの理由だ。

「社長から何か」

「知ってるのか」何か。俺の知らないことを。「知ってるんだろ?なんで」黙ってた。言わなかった。

「社長が言われていないのなら私の口からは」

「父親のことか」父親のことだ。

 浅樋まさむらではない。それは知ってる。社長と、ほかならぬ本人が言っていた。

 なら、誰なのだ?

 知る権利は息子の俺にだって。「誰だ。言え。知ってるんだろ?」

「社長に聞いてくれませんか。言わないでしょうが」

「だったら」言わないとわかってるなら尚更。「お前に聞くしかないだろ。誰だ。お前じゃないだろうな」それだけはない。

 ないと思いたい。

 追い詰められてつい。「悪い。変なこと言った」

「いえ、言えない私が悪いんです」知ってる決定打。

 なんだその、営業スマイルそっちのけの真剣一本は。

「これだけは確かです。若は次期社長になられる資格があります。だからどうか、そのような、社長になれないだとか、仰らないでください。私は、若が社長になるためなら」マサを。

 どうするって?「殺すか」殺したのか。お前が。「お前なのか」まさむらを。

 それもない。

 どうした。大丈夫か。大丈夫とは程遠い。

 伊舞は、完全に手を止めてしまった。

 仕事にならない。例えどんな状況下でもとめどなくメールのリプライができるのが。お前の特技じゃなかったか。

 どんな状況下、の例外が起こってるのだろうか。それとも、俺のせいか。

 俺のせいだ。「悪い。失言しかしない」

「白竜胆会と、うちの、KREの関係。若が思われているのよりもっとずっと」伊舞は天井をちらりと見遣った。

 監視カメラ。そのレンズの根元にいる人物に。

 後押ししてもらいたかったのかもしれない。

 自分は、間違っていないと。

 本社の地下で。KRE全体を制御してる、社長の甥。俺の従兄。

 あいつも知ってるだろうか。

 知ってるだろう。社内の会話はすべて筒抜けだ。メールも場面も。

 支部だって。いまのこの、

 例外的状況も。

 観てるんなら、なんか言え。助言とか注釈とか。

「ずっと?なんだ」

「ユキからは、何か」かけゆき。伊舞はそう呼ぶ。「聞いてませんよね?余計なことはべらべら喋るくせに、こうゆうことは一切他言しないんですよね。よくできてる。面倒ごとは全部私か、社長に。じゃあ私が喋ってもいいってことなんでしょうか」かけゆきに向かって話してる。レンズという端末の中枢。「いいですね?言いますよ?知りませんから。どうなろうと、私は次期社長秘書ですからね?現社長がどうなろうと知ったこっちゃないですよ?わかりました?」伊舞は、

 俺に。

 にっこりと笑いかける。

「うすほが、マサを殺したのは」復讐です。

 復讐。

「誰の?」一人しかいない。「社長か」

 伊舞は、モニタをちらりと見遣って。「私がどうして、たった一人でこの量をさばけてると思います?さばいてないんですよ。重要度と緊急性を総合的に判断して振り分けてくれるプログラムが、これこそは、と拾ってきてくれたやつだけ、懇切丁寧に対応してるだけのことで。ほとんど捨ててます。カネにならないのは、特に。真っ先に切り捨てます。でもそれじゃ駄目だって、生き残れないって言ってきてくれた人がいます。彼は、私の書いた完璧なプログラムを書きかえて、私のところに持ってきました」まさむらだ。「判断に困ったのでユキにも見てもらいました。結果から見てわかりますよね?いま現在、うちで使ってるのがそれです」

 かけゆきが、

 まさむらに一目置いている理由がようやくわかった。

 でも伊舞が、

 マサと呼ぶ理由がわからない。

 5歳以上離れていて、かつ。自分の書いたプログラムを上方修正された相手なら。

「社長がマサと別れたのは、マサがどうというより、浅樋の家そのものが原因なんです。マサが社長をどう思っていたのか、私にはわかりかねますが、社長はマサを憎んでいました」殺したいくらいに。

 社長には、

 まさむらを殺すだけの動機があった。でも社長じゃない。

 殺したのは、「うすほは、社長の古くからの友人です。うすほの命の恩人が、社長なんです。恩返しをしたかったんでしょうね。推測ですが」恩返しのために、

 殺せるか?

「浅樋ってことは、まさむらの」父親。名前は忘れたが、こないだ死んだとかいう。殺されたとかいう。「まさむらの、父親が」

 なにか、

 したのだ。浅樋うすほが、社長に成り代わって復讐をしたかった動機が。

 そこに。

「社長はどうして、若を産んだと思います?」

「言ってる意味がわからないが」産まない選択肢もあった。そうゆう口振りだが。「何が言いたい?」

「楽してカネが手に入る方法があったらどうします?一生遊んで暮らせるだけの搾取先があったとしたら?永劫の借金取りになれたとしたら?金利も自由自在。払ってるほうは弱みを握られてるから、ただ言いなりになるしかない。自分が犠牲になれば、会社が助かるとしたら?そうゆう立場の最高責任者はさて、一体どんな選択をしますか?」

 ただの例え話でないことはわかった。

「堕ろすわけにいかなかったんだろ」KREのために。

 そして今度は、

 社長のために。「殺されるんだろ?」俺は。

「殺させません」自分を盾にしてでも。伊舞が、

 そうまでして守ってくれる価値が果たしてあるのかという。

 生まれるべきでなかった雰囲気は、生まれた瞬間から感じてはいたのだが。そうはっきり面と向かって言われると。

 社長が、

 俺を社長にしたくない理由が。好き嫌いの範疇を飛び越えてたことを。死ぬ前に知れたのはいいことだったが。

 一週間の猶予。知らないことを知ってから、

 死ね。

 ということだ。そのための期間。

 なら、伊舞よりももっと。事情を熟知してる人物に直撃するのも。

 死ぬ気でやればなんでも出来る。

 きっと、そうゆうことなのだが。

 でも、俺には死ぬ気なんて更々ないから。なんでもはできない。

 できることは。

 ツネが嫌味たっぷりに置いてったこれを。同じく置き逃げするしか。

 しかも、バケツリレーよろしく。仲介者を立たせて。

 駄目だ。

 死にたくない。死にたくなんか。

 死なないためだったら、

 きっとなんでもできる。

「出てくる」

「お気をつけて」伊舞には、

 どこに行こうとしてるのか見抜かれてる。

 俺が生まれたときから、

 俺のことを知ってる。俺よりも俺のことを知ってる。

 だから、

 止めない。止めて止まるようなら、真っ先に止めるはずだ。

 じわじわと命を吸い尽くされるよりは。

 一撃で仕留めてほしい。「母さん」

「番号間違えてるわ」

 間違ってるのは。「俺です」


      3緑


 その痙攣するほどの勇敢な行動力は。浅樋ゆふすだとも。浅樋まさむらとも画す。

 もとえさんそのものでした。ので、

 つい。

 さねあつさんのご要望を叶えることに。

 もとえさんと初めて会ったときのようでした。錯覚ですけれど。

 もとえさんには、以前のような覇気はございません。消えてしまいました。消されてしまったのです。

 それを取り戻す目論見もあったのですけれど、そううまくはゆきません。

 浅樋ゆふすだも消して。浅樋まさむらも消して。確実に幸せに近づいているはずですのに。何故でしょう。

 もとえさんが、

 消え入りそうです。か細く弱々しく。

 あの痺れるほどに勇猛果敢だったもとえさんは、いったいどちらへ。

「父親は誰ですか」

 会長でしょう、

 と言いそうになって。

「知ってどうされるの?」もとえさんではないのです。電話をかけてきた人物は。

「死んでますね?」

 生きてますわ、

 と言いそうになって。

「ええ、殺しましたわ」

 もとえさんは、たったひとりで。わたくしを助けるそれだけのために。

 友だちだから。

 そんな心許ない理由を掲げて。

 もとえさん、

 と言いそうになって。

「死にたくないのでしょう?当然ですわ。でもあなたが死なないと」もとえさんが。「幸せになれないの。ごめんなさいね」

 あと六日。

「本当に殺したいんですか?」

「そう焦らないでくださいな」せっかちでいけません。

 短気、即断。もとえさんを表す言葉。

「すぐに殺さないからおかしいと思ったのでしょう?苦しめてあげますわ」

「本当に殺したいならすぐに殺したはずです。現に二人も」

「猶予期限が切れただけのこと。さねあつさんは」さねあつさん?本当に?「まだ切れていませんわ。切れるのが一週間後だったの。怨みの量が違いますわ」

 さねあつさんを、

 被害者と見ることもできます。もとえさんの遺伝子が幾分か含まれていますし。

 なによりもとえさんが、

 一度は生かした命。

 ですが残りの半分が。わたくしとしては、

 許せない。許してはなりません。

 それはもとえさんだって。そう思われたはず。なのに、

 どうして生かしたの?

 父親がどなたかわからなかったから。

 ならば教えて差し上げましょう。

 わたくしの、

 遺言に代えて。

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