昇龍

タツマゲドン

水を蹴れ

「こら、また喧嘩したのか?」

「違うんだ師匠、あいつらが馬鹿にしてきたのが悪いんだ」


 年を取った男性に反抗するように、少年が返す。


「シウロン、カンフーは何の為にある?」

「心と体の調和、って師匠は言うけど何故なのか分からない。俺は嫌な奴をやっつけたい」


 少年は二つある拳を握って見せた。


「カンフーは確かに戦いの手段ではあるが、まずは手段を用いる為の心と体が必要だ。それが無ければ、いつかは追い付かなくなった己を滅ぼしてしまう」

「でもやられっぱなしじゃ嫌だ。勝たなきゃ気が済まないんだ」


 諭す様な老人の口調に少年はまだ刃向かう。


「じゃあシウロン、お前は水を殴れるか?」

「水なんか飲んでやる」


 苦笑する老人。


「飲んでもやがて体の外に排出される」

「じゃあ師匠ならどうするんだよ」

「その答えが分かれば、お前に教えてやれる事はもう無い。そうすれば一人前だ」

「本当?」

「本当だ。きっと分かる時が来る。さて、今日も基礎から練習するぞ」


 少年は部屋の隅にある、人の腕程長く太い枝の付いた丸太らしき物と向き合い、手を枝に当てる。そして順序良く枝や幹に腕や拳を連続して打ち付けていく。


「俺、この木偶の坊嫌い。だってこいつ何時も動かないんだもん」

「まずは守れ。それを活かし、自分のものに出来るかはお前次第だ」






 少年は成長して青年となり、既に老人の元を離れていた。


「中国人の癖に堂々と道場なんか作りやがって、随分と生意気だな」


 彼の正面三メートル先には、体格の良い西洋人が居た。その奥には更に大勢。


「師匠、こいつらどうするんですか?」

「皆、下がっててくれ。俺に任せろ」


 後ろから掛けられた声に青年はそう答える。突然の来客に戸惑っていた弟子達は青年の後ろのスペースに座り、一辺九メートルのリングの中心に彼は立った。


「カンフーだかカラテだか知らんが、俺なら一発でお前を倒してやる!」


 先頭の若い男が掛け、右ストレートを仕掛ける。


 バババッ!――二人を見物していた者達は皆呆然としていた。


 間もなく、青年に襲いかかっていた人物はひざまずいて腹を押さえ、苦しそうな顔のまま絶句していた。


「おい、大丈夫か?」


 仲間の一人が心配して駆け寄る。問題の人物は掠れた声で言った。


「あ、ありえねえ……あいつ、一瞬で三発も殴りやがった……」

「野郎!」


 血気盛んな別の男が青年を殴り掛かろうとした。


 すると、青年が体を回転させ、後ろ回し蹴り。綺麗に突進してくる相手の側頭部にめり込んだ。


「や、やっちまえ!」


 蹴りを受けて倒れた人物が痛みに顔を歪めながら叫ぶ。途端、後ろに控えていた若者達が青年の横三百六十度囲んだ。


 一方、青年は動じず右半身を前に右手を腹の位置に、後ろの左手で顎をガード。足は一定のリズムで、低くかつ素早く跳ねていた。


「「うおおおおお!」」


 前方の二人が同時に襲いかかる。途端、青年は右へ一歩。


 右方の駆け込みパンチを躱し、カウンターに右フックを決める。


 思わぬ衝撃によろけた人物は倒れ、今度は左方から左ジャブが来た。


 瞬時に判断した青年が、裏拳気味の右ジャブ。双方の腕がぶつかり合う。


 だが敵の横向きの腕は、縦向きの青年の肘によって下に逸らされ不発に終わった。しかし、上に逸れた青年の拳は見事に相手の顔面へヒット。


 次は後ろから三人がそれぞれ時間差での突進。一番先頭は組み合おうと両腕を前に出していた。


 一瞬、青年が前進し相手の腕を掴む。空いた手で敵の腹を押し上げ、その軌道は宙に弧を描いた。


 一人を床に投げ倒し、残る二人が左右から挟む。青年は冷静だった。


 双方からの連続攻撃を流れるような動きでいなした。自棄になった二人は無意識に握力を高め、更に勢い良く攻めてくる。


 右方のフックを殴り止め、左方のローキックを蹴り止める。攻撃の度に跳ね返し、二人の勢いは徐々に弱まっていく。


 そこへ真後ろから別の一人が跳び蹴りを放った。助走の足音を聞いた青年は瞬時に振り向く。


 青年の身体が跳び、空中の敵に回し蹴りを当て飛ばす。着地した時、向こうは部屋の壁にぶつかって止まっていた。


 前二人は痛みにスタミナを取られ、威力を失った拳が二つ飛んでくる。青年はそれらを引き寄せ、二人を正面でぶつける。


 容赦なき二方向からの手刀が二人を気絶させ倒した。周囲を見ると、来客達は驚きに目を見開き、逃げ腰になっている者も居た。


「やあああああ!」


 緊迫感に唆された一人が奇声を上げて後ろから殴り掛かろうとした。


 鈍い音――青年は片膝を着き、背後に迫っていた腹へ肘打ちを決めていた。


 痛みよりも驚愕が強かったか、相手は立ったまましばらく動かない。やがて彼は床に伏した。


 今度は正面、緊張で震えていた奴がじりじりと近寄る。顔も強ばっていた。それを青年の目は逃さない。


 不意に青年の上半身と右手が動いた。対する男はビクリと震えたが、青年の右手は引き戻されていた。


 再び青年の右手が動く。向こうは顔に来るだろうと予測してガードを固めた。が、足元を刈られるのを覚えた瞬間、倒された。


 今度は百八十度逆方向。一人が青年に向けて回し蹴り――対する青年はしゃがんで躱す。


 低姿勢のまま、青年が回し蹴り。攻撃瞬間の隙を突かれ、相手が蹴り飛ばされた。


 また逆方向を振り向く。先程足を蹴られて倒れていた奴が起き上がっていた。しかも手にはナイフを持っている。


「ぶっ殺してやる!」


 手に持つ刃を横に薙ぐ――直前、手を襲った衝撃に武器を落としてしまった。


 半分驚きも込め、見ると青年は片手に三十センチメートルばかりの棒を持っている。


 棒の一方の底は鎖が付いており、鎖はもう一本脇に挟まれた同じ長さの棒の端に。


 慌てて囲む残りの敵共が各々の武器を手にする。ナイフが二人、野球バットを持つのが二人、一メートルの長い棒が一人。


 見守るのは、青年の強さで呆気に取られている道場の弟子達と、痛みにうずくまる負傷した道場破り達と、腕を組んで仁王立ちのリーダー格の男。


「そんな棒切れ繋げただけでやれるかよ!」


 バットを持つ一人が右前方から横に振り払おうとした――次の瞬間、脇に挟まっていたヌンチャクが向こうの顔面へ直撃。


 続けて左右から同時に掛かるナイフ二本――左方の頭頂部を遠心力で増強された打撃が炸裂。半回転し勢いを付けて反対側へ――側頭部に命中。


 今度は長い棒の先端が正面から青年の喉狙って突き――直後、ヌンチャクの鎖が棒を上に逸らしていた。


 鎖部分を一捻り、棒に絡みつき、青年がヌンチャクを引っ張る。結果、棒は相手の手中から引き離されたのだった。


「だあああああ!」


 雄叫びと足音――振り向いた先ではバットが振り下ろされている最中だった。


「アチャッ!」


 青年の喉から怪鳥の如き瞬間の叫び。同時に助走を付け、横蹴り。


 ウエイトの乗ったハイキックは上からのバットを折り、武器を失った方は思わず怯んだ。その足元を狙ってヌンチャクが一閃。


 脛を打たれた人物は痛みに負け、その場で崩れる。続けて青年はヌンチャクを折りたたみ、倒れた相手の眼前で寸止めした。


 相手は気を失ったようにしばらく動かず、青年が立ち上がる。棒を取られた奴が震えながら立っていた。


「使ってみろ」


 特に構えもしない青年はヌンチャクを対峙先の足元に投げ捨てた。重圧に迫られて向こうが拾う。


 向こうは近寄らせまいとがむしゃらに振り回すだけ。間もなく、相手は自分で背中を打ち、直後に重い蹴りがとどめを刺した。


「少しはやる様だな」


 今までずっと傍観していたリーダーらしき人物が青年へ歩み寄る。青年も決着を付けようと距離を詰めた。


 ふと、走る音――ガッ!――打撃音と短い悲鳴。


 丁度、青年の片手が後ろから掴み掛かろうとしていた人物の股を殴っていた。それだけで相手は苦痛で倒れ込む。


「おい」


 リーダーからの呼び掛け。すると何処からか木の板を取り出し、すぐさま青年の目の前で殴り割って見せる。


「この板が三十秒後のお前の姿だ」

「だが俺は板ではない。お前は水を殴れるか?」

「中国人め、舐めやがって!」


 相手がジャブを打とうとしたその時、青年の手がパンチを根元から押さえる。次なるストレートも上腕を叩かれ戻される。


 攻撃を跳ね返されて無防備となった相手は、青年からの目まぐるしい連撃を前に為す術も無かった。


 気が付けば、青年が敵の喉で指を止めている。リーダーはゾッとし、震えている。


「なああんた、俺に技を教えてくれ! この通りだ!」

「お、俺も!」「俺にも!」「お願いします!」「どうか!」「教えて下さい!」


 リーダーが豹変し、青年の前で土下座、仲間達もそれに加わる。


「断りはしない。では最初のレッスンだ。水を殴る方法を考えてみろ」


 全員が唸るが、答えを出せた者は居なかった。


「この答えは武術で一番大事だが、実は簡単だ。答えは……」







「またそれ観てるのか? 好きだなあ」

「うん」


 テレビ画面を見詰める子供に言った大人。返事しながら子供はまだ見続けている。


 画面には、一人のカンフー服の青年が、胴着を着た大柄な男性と対峙している場面が映っていた。


「このシーン本当に凄いよね。あの一瞬でガード手を押し下げ裏拳を打ち……」

「それ何度も聞いたよお父さん」


 すると、今度は画面内の大柄な男が突進し、それを青年の回し蹴りが迎撃していた。


「今の出鼻のくじき方凄いよね。相手が動いた瞬間に……」

「それも聞いた」


 子供の冷たい突っ込みに苦笑した大人。そして、画面では青年が駆け込みの勢いを付けた横蹴りを決め、胴着の男を吹き飛ばしていた。周囲の観客までそれに押されている。


「威力も凄いよねこれ」

「ねえお父さん、ブルース・リーって本当に強かったの?」


 父親は映画への感嘆をひとまず置き、息子の疑問に答える事にした。


「少なくともお父さんは強いと思っているさ」

「でも嘘とかイカサマとか言う人も居るんだ……」


 子供の顔が俯く。一方、大人は励ますように付け加えた。


「戦いの強さだけじゃないよ。それを置いても、彼の考えは素晴らしいものだ」

「考え?」


 息子が顔を上げる。父は誇らしげに言った。


「水のようになる事、彼はそれが武術において、あらゆる事について、大事だと言っていたそうだ」

「水?」

「水は入れ物によって形を変えるだろう? それに勢いを付ければパワーもある。どんな敵が来ても大丈夫」

「へえー」

「それがきっと彼の出した人生における答えなのかもしれないね」


 映画を観ていた子供がいつの間にか振り向いていた。


「僕もブルース・リーみたいに強くなりたい! 水みたいに柔軟になりたい!」

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