その39 母親との関係

「……よし」


 雲一つない空から降り注ぐ光に照らされながら、私は大きく背伸びをした。

 洗濯をした服を庭の物干し竿に引っかけるという仕事が終わったからだ。

 それにしても家事を一度もやったことがないせいでかなり時間がかかった気がするな……ラスマさんに迷惑がかからなければ良いのだが。


「パトリックさん、ちょっとこっちへおいで~」

「は、は~い」


 庭から家の中へと通じるドアを潜り抜けリビングへと進む。

 するとそこでは、ラスマさんが椅子に座りながらテーブルに置かれたカップを手に取ろうとしていた。

 まだ入れたてなのだろうか、微かな湯気がちらちらと見える。


「そろそろ休憩しましょう。貴女も疲れているでしょう?」

「い、いや私に遠慮なく一人で休んでくれ」

「あら、それは残念ですね。せっかく二人分のお茶を入れたんだけ――」

「やはり休憩は必要だなぁうん!」


 向かい合わせに置かれた椅子に勢いよく座り、慌てて目の前に置かれていたカップの中身を覗く。

 その中身は緑色のような、だけど少し黄色に近い気もする色だ。


「……」

「ソプテマ茶は初めて?」

「へっ……あっ、ああ」


 な、なぜこんなにも落ち着かないんだ……落ち着け私!

 私の名はラインハルト、アダマンタイト級の聖騎士!

 今まで様々な任務を遂行してきたこの私が——何故こん場所で緊張しているんだ!? 


「……でっででは! いただきます!」


 取っ手を勢いよくつまみ、震えながらもゆっくりと口元へと持ち上げる。

 思ったより匂いは悪くない、とういか少し気品を感じる。


「ふふっ、そのまま飲むおつもりなんですね」

「?」

「兜」

「あっ、ああ……確かにその通りだな」


 兜を外そうと片手を頭へと伸ばしたが……。

 ……この人は私の姿を見て……私を嫌いにならないなんてことは——


「……」

「……?」


 ……駄目だ。

 そんなのないに決まってるじゃないか。


カパッ


「あら」


 鎧の蓋を開けるが、前を向きながらではなく天井を向きながらだ。

 ……そう、こうすることによってラスマさんは私の顔が見えないハズ!


ガチャガチャガチャ


 ……上を向きながらカップ持ってるせいで場所が全く確認できない。

 落ち着け……落ち着け私、上から口の中へと垂れ流すだけだ!


「それだけ私に見せたくないのなら、飲んでいる間だけ外を向きますけ——」

「い、いや大丈夫だ! ラスマさんはそこでソプテマ茶の味をゆっくり堪能して——」


バシャッ


「大丈夫ですか!?」

「……」


 震えた指が細いコップの取っ手を支えることは勿論できず、そのまま下へと落ちて兜の中へと入りこんでいった。

 ……私は何をやっているんだ。


「パトリックさん?」

「えっ……あっああっだっだ大丈夫!」

「本当? タオルならここにあるけど……ごめんなんさい。ここにはこれしかなくて」

「へっ……はい」


 タオルは私が思っていたほど柔らかくはなかった。

 鎧の上からでもわかる弾力性のなさ、肌ざわりの悪さ、そして汚れ、だけど……これで濡れた体を拭くために渡してくれたと思うと、とても嬉しいのだ。


「いや、そんなことよりも謝らせてくれ。折角入れてくれたお茶を無駄にしてしまったんだ」

「そんなことよりって……ソプテマ茶を顔から被ったあなたの方が心配です。火傷ををしていませんか?」

「や、やけどなんて……大丈夫だ」

「本当に? お薬ならありますよ?」

「……ああ」


 ただ心配してくれているだけなのに、こんなにも目を合わせることができない私は、一体何を考えているのだろうか。

 

「ふふっ、あなた達変わった人達ですね。一人は鳥のマスクを被ったお医者さん、一人は獣人を見ても動じずに接する少女、一人は全身いっつも鎧で顔からお茶を被る騎士……この世界ではなかなか見れないパーティーだと思いますよ」

「それには私も同意する」


 あのカラス男と少女に関しては全く情報がなかったらしい。

 様々な書類からいくら探しても年齢、国籍、出身地、職業が載っていなかった。

 けど、それ自体は別にそれ自体は珍しいことじゃない。

 旅人なら様々な各地を転々と移動するだろうから足跡が付きにくいし、生まれが盗賊などの恵まれない家庭であったのならば国に国籍を登録などしていなかっただろう。

 それでもあの二人を見ていると……やはり何かあるのではないだろうかと考えてしまう。

 獣人を見ても変わりなく接し、戦争のことを全く知らず、万能な薬品を取り出すなんて……。 


 最初は否定していたけど……もしかしたら二人とも、異世界から来た——

 

 ……いや、今はそんなことはどうでもいいか。


「……あの、ラスマさんは、その……こんな話を聞くのはあまり良いことじゃないかもしれないが……人間のことをどう思ってるんだ?」


 それを聞いたラスマさんは少し驚いたようだった。

 そう、本来ならばこんな話をするのはいけないことだ……けど。


「私は……他の人達みたいに恨んでないわ。っていうのも昔色々あって人間と——」


バキバキッ


「「……?」」


 今の音は……外からか?

 岩が割れるような音と……鉄が千切れる音だろうか。

 玄関から少し離れた場所から聞こえたような気がするが……


「井戸の改修でもやっているのだろうか」

「この集落ではそういうことをする前には、事前に皆に連絡しておかないといけないっていう決まりがあります。けどそんなことをするなんて聞いては……」

「じゃあ……そこにいるのは誰なんだ?」


 会話が止まり静まり返ったリビング。

 するさっきよりもさらに井戸の音が大きくなる。

 

ガキッギギギギギッ——


ガタッ


 突然違う音が混じったのでそっちを向くと、玄関を見つめたラスマさんが立っていた。


「ちょっと様子を見てくるわ」

「私も行こう」

「大丈夫よ、パトリックさんはゆっくり休んで——」


 ——ッ!!


「「ラスマさん  

「「パトリックさんさがってッ!!」」


 そう言った直後、軋む音もせず一瞬でリビングの壁に大きな穴が空く。

 飛んできたそれは平べったいものを無理矢理丸めたかのような鉄球で、一切の曲がりや減速をせず線を描くように直し、テーブルに当たろうとした直後。


 ――その鉄球よりも、私が剣を抜く方が早い。


ガキィィィィィンッ


 ——金属と金属同士が擦れ合い互いに反発しあう音。

 次の瞬間、天井にも大きな穴が空いた。


「うーん……なんですかぁ?」


 聞き覚えのない声だ。

 それはリビングの壁に空いた穴の外から聞こえてくる。


「うるさいですねぇ! 今の耳障りな音を出したのはどの虫けらなんですかぁ!?」


 そう言いながら空中を動き回るそれには見覚えがある、一言で表すなら「ハエ」だろうがそれとは少しだけ違った。

 私の知っているハエより体が大きく、そして人間らしい形をしていたのだ。

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