第44話 タマの主

「あなたは、タマの主ですか?」


 司は、周囲を見回した。

《いいえ、違います。タマをうっかり飛ばしてしまったものです》

 うっかりというところを強調しているようだ。

「うっかり?」

 非難しているように聞こえないよう、司はかなり慎重に繰り返した。


《許されたところを越えて、力を使ってしまいました。失われるべき命を留めようとしたばかりに、タマははじけ飛んだし、われは力をふるえなくなったのです》


「命を留めた…。あなたは、神様ですか?」

《神様。あなたがたが神と呼ぶもののことは知っています。でも、われはそうではないでしょう。この世に神と呼ばれるものがあったとしたら、それは、われではない。われのほかにあるかもしれないけれど》


 司が黙っていると、声が彼女の考えを破った。


《回りくどい。ええ、回りくどいでしょう。ああ、いえ、言葉となって生まれたものは、もう隠せませんよ。耳を震わせるものにならなくても、われには届くのです》


 司は、はっとして自分の両耳に手を当てた。


《耳鳴りですか。長く煩わせて悪かったですね。われが、なれに近づいたために、そのようなものが起きてしまったのです。こうして会ったことで消えたのですよ。ええ、それは良かったのです》


 司は、もう一度周囲を見回した。


「タマの主はどちらに? 早く返したいのですが」

《そうですね。カラスについて来てください》


 声がそういうと、心得たというようにカラスがぴょんと跳ねた。そして、再び先導し始めた。


 これが夢ではない証に、司はかなり汗をかいたし、疲れて息もきれてきた。そもそも、気温が高いのだ。耳のすぐそばを飛ぶ虫も煩わしい。


 やがて、木立の合間から前方に岩肌が見えてきた。どこからか、水音も聞こえてくる。

 カラスの導きに従って回り込むように進むと、少し開けた場所にきた。

 そこに着く前に妙だなと思ったのも道理、開けた場所を取り囲むように立っている木々が皆、中央に向けてしな垂れている。

 カラスは平気で中央を進んでいったが、司はなるべく端に寄って進んだ。

 そこを抜けると、左右に分かれた岩肌の間が通路のようになっている。見上げると、上の方には低木が生えているようだ。そして、どこからか水が湧いているのか、通路になった部分はしっとりと濡れている。


《そうです》


 ずっと黙っていた声がささやいた。

《ここから先は、母の腹の中なのです。タマの主は、赤子に戻って守られているのです》

 声の後、カラスは案内は済んだとばかりに飛び立った。

《ええ。カラスは卵から生まれてきますものね》


 迷いようのない道を進んで、司は洞窟のようなところにたどり着いた。

 入り口は背をかがめないと通れないくらい低かったが、中に入ると思ったよりかなり広く、蒸し暑い外部に比べて心地良い涼しさだった。

 生活道具のようなものは何もない空間の奥には、落ち葉や草を集めて作られた寝床らしいものがあった。

 その上に、やせっぽちの男の子が横たわっていた。

 年のころは六、七歳くらいだろうか。小鳥のヒナのように薄くほわほわとした茶色い髪の毛が、血の気の失せた顔を縁取っている。

 男の子が着ているのは、目の粗い布でできた貫頭衣のようなもので、足首には同じ布が脚絆のように巻かれていた。

 そして、胸の上には一匹の生き物が乗っていた。


「ヤモリ…?」


 司は片膝をついて、その生き物をよくよく見た。

 大きさは十五センチほどだろうか。緑と茶色の混じりあったような肌にところどころ黄色が入っていてなかなかに美しい。

 縦長の瞳孔を持つつぶらな瞳は、金色にも見えるような茶色。

 丸い指先の脚を踏ん張って立っているそれは、司を警戒しているのか微動だにしない。

 

「しっぽの長い小さい子…」


《なれをつないだ者は、そこまでしか見えなかったのでしょうね。タマが収まるべき、胸の辺りしか》


「なるほど、そうでしたか。では、この男の子が、タマの主なのですね」

《そうです》

「生きているのですか? じっと見ていても、上下動が感じられませんが」

《深く、深く、眠っているのです》

 声の後に、ため息のようなものが聞こえた。


《七つのタマのうち、一つがなれに。一つがその胸の内に。あとの五つが、ヤモリの内にあるのです》


「えっ?」

 司は思わず声を上げた。


《先のカラスが、食べようとしていたヤモリです。元々持っていた三つのタマが失われたそのときに、われが五つのタマをその内に押し込めたのです。ヤモリにも、身に余る重いものを負わせてしまいました》

「そう…なのですか」

 司は我知らずおののいた。


「それで、どうしたら私の持っているタマを返せるのでしょう?」

《まず、そのヤモリに込めてください。そうすれば、六つがそろって主に戻ることでしょう》

「はい。では、どうすれば?」

《なれは、それを知っているのではないのですか?》


 司は驚きのあまり固まった。どうやら、思考までも停止していたらしい。

 深い水の底から浮かび上がってくるかのように、頭が働き出したとき、声の主もそれを感じ取ったようだった。


《そう、それです。タマが飛んで行った先を探し当てたとき、われはほっとしたのですよ。なれの世では、タマを込めることを知っているのだと》


「でも、私のこれは、ただの雑学知識にすぎません。血の通ったものではないのです」

《知っていることを行うのに、何の言い訳がいるのですか?》

 叱責ではなく、あくまでも不思議そうに声が問うた。

「言い訳…」

《ヤモリの体も、もういつはじけ散るかわかりません。そうなったら、五つのタマもどこかへ散ってしまいます。もう、ときが無いのです》

 声は、そう静かに伝えてきた。

《一つとはいえ、タマを見失ったわれは、なれにすがるよりしかないのです》

 あくまでも静かな声に、司はぐっと両のこぶしを握りしめた。


《そうですね。たまたま得た一かけのもののすべてを、改めて知ろうと努めたのは、その白男川という者との縁だったのでしょう。なすべきことには、必ずや導きがあるものです》


 強い緊張の解けない司に何を思ったのか、声がふふっと笑った。


《やはり、われを神だと思うのですか? なれの世の神も、われのような押しつけをするのでしょうか? アマミキヨ? 聞いたことがあるような名です。いいえ、われはその名で呼ばれたことはありません。でも、そうですね。少しお話をしましょう》


 声はまた、かすかに笑った。


《物事の成り立ちとしては正しくないところもあるので、ただの例え話として聞いてください。青色の世と赤色の世、その二つがあったとします。濃い色、淡い色はあっても、その色のみで成り立っている世ですよ。青の世に赤い色を、赤の世に青色を、少しずつ混ぜて行きます。やがて出来上がったまったく同じ色。なれが紫と呼ぶ色を、二つの世の人は、それぞれどう呼ぶでしょう?》


「紫という言葉がないのであれば、青の世では青、赤の世では赤と」

 司は声に出して答えた。


《おそらく、そうでしょうね。紫を知らない人が、赤や青と言ったって、嘘をついたことにはならないでしょう。それでも、なれの世の人がその答えを聞いたら、間違ったことを言った、嘘をついたと責めることもあるでしょうね》

「はい」

《神と呼ばれるものは、いくつかの世を行き来するものです。一つの名にとらわれると危ういですよ。それを忘れぬようになさいな》


 声と共に、司の体を包み込むようにふわっと優しい風が吹いた。

 自分の髪を揺らした風が、横たわった男の子の細い髪の一本さえも揺らさないのを目にしたとき、司の心は定まった。


「マブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー」


 司はヤモリに向かってそう言いながら、差し伸べた手を丸く形作った。

 

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