第34話 夢の帳面
「例えば、どんな話が?」
緑川が問う。
「いろんな種類の葉っぱを全部つけた木が、子どもを産んだ」
「は?」
緑川だけでなく、全員が首をかしげる。
「葉っぱの種類が箇条書きになってた。細かいところは覚えてないけどな。一本の木なのに、変だなって思ったもんだ。それよりも、枝の分かれ目から、赤ん坊がぽんぽん出てくるっていうのがもう、笑って読んだと思うよ。こう、ぽんぽんって空中に、丸まった赤ん坊が飛んでいくっていうんだから」
右へ左へ、ものを投げるようなしぐさで、有村は説明した。
「その赤ん坊は、どうなるんです?」
緑川の表情は、呆れているのに近い。
「そのまま、あちこちに飛んでいくっていうんだな。で、<その子たちが、よその女の腹に入って生まれ直すものか>とか、書いてあるの。たぶん、おばちゃんの感想」
「そのまま、創作活動ができそうですね」
呆れた表情のままで、緑川が言った。
「あれもだ。機織りの女が、とんでもなく大きな布を織り続けている。いつまでも織り止めないので、布は空を覆ってしまう。なのに、空は暗くならない。空が布そのものか」
「あれ?」
「な? アラクネーダに取り入れてみたんだ」
「最近のゲームに取り込むほど、ノートの内容を覚えているの?」
由美子が疑わし気な声を出す。
有村は、なぜか陸斗と顔を見合わせた。
「まあ、最初はガキのころの話だが」
ごほんとわざとらしい咳払いをはさんで有村は続ける。
「何年か前、こっちに帰って来たときだが、実はそのころ仕事に行き詰まっていてだな。おばちゃんに<夢の帳面>を見せてくれって頼んだんだ。そうしたら、そんなものはもう書いていない。どこにやったか忘れた。捨てたかもしれないって、こうだ」
「ふうん」
由美子の目は、じっとりと彼を見据えている。
「その日、俺はおばちゃんの勧めに従って、家に泊めてもらった。おじさんもまだ生きていたころだからな」
「そんな前の話?」
「うん。で、泊めてもらったのが十畳間だ」
「人を泊めるには、あそこしかないものね」
「うん。で、あの部屋には、作り付けの箪笥があるだろう」
「あるわね」
由美子の目つきが険しくなる。
「洋服箪笥だなーとは思ってたんだ。前から知ってた。で、こう、何気なく開いてみるとだな、樟脳の臭いがぷーんときて、いかにももう着ませんってスーツなんかが掛かってた。びっしりと。で、下のところの引き出しを開けると、着物が入ってた。なんだっけ、紙に包んで」
「たとう紙」
「うん。そういうのがびっしり。なんとなくこう、手を差し込んでみたら、その、包みの下に、古い紙袋がだな」
「紙袋の中にはノートが?」
「うん。まあ、そうだ。何冊かノートが入ってた。武志の使いかけのやつもあったし、そうじゃないのもあった。で、それをだな」
「持って帰った?」
「うん。そういうこと」
「盗んだんじゃないの!」
由美子が金切声を出したので、全員が慌てた。
しかし、そこは居酒屋と言うべきか、そのまま静かになったからか、外から咎められることもなかった。
「盗んだか、盗んでないかと言えば、盗んだに相違ない。そこは申し訳ない。だけど、俺としては、おばちゃんに託されたんだと思ってる」
「なんですって?」
由美子はきりりと眉をつり上げた。
有村以外の全員の腰が浮く。
「話が前後したな」
有村は、由美子以外の皆に落ち着くよう手真似をした。
「そもそもは、最初にノートを見たときのことだ。ジュースでも持ってこようって言ったおばちゃんが、急に黙ってな。こっちはガキだから、ジュース、ジュースって思ってるだろ。しかも、勝手知ったる他人の家だ。俺が行って取ってこようかって聞いたんだ。飲んでいいのはどのジュース?って、確かめてな。ところが、返事が返ってこない。こりゃ変だ、具合が悪くなったのかもしれないっておばちゃんの顔を見たら、こーんな、目がどっか遠くを見ていてなあ」
有村は、ぼうっとした表情をつくってみせた。
「おばちゃん、おばちゃんって揺すったら、揺すられてることなんか気にしないように、静かーな感じで話しだした」
彼のアクセントは、鹿児島弁独特のものに変わりつつあった。
「これは何か。テレビか。テレビの中に不思議な世界がある。陽ちゃん、俺だな。陽ちゃんが、テレビの中の世界を指で操っているのか。あの女の子の耳は、犬のようだ。どんな話でも聞き漏らすまいとする耳か。陽ちゃんは、あの子を好きに動かせる。良いことでも、悪いことでも、何でもさせられる。でも、悪いことをさせるのに使うな。良いことをさせろ。陽ちゃんは、指先で世界を良い方に変えて、世界を救える」
「カーネムだ」
緑川がささやいた。
「そう。カーネム。俺が最初に世に出したゲーム、クリパレ無印のカーネムだ。主人公のパートナー」
有村は、ふうっと長く息を吐いた。
「俺がそれを聞いたころ、今みたいなテレビゲームは存在しなかった。君たちは、テレビゲームの歴史を知っているか? もしも俺がそのころ、おばちゃんから聞いたようなゲームを作りたいと口にしたら、気が狂ってると言われたと思うぞ」
「で、お母さんは、その後我に返ったのね?」
「うん。居眠りをしてしまった、すまなかったって言ってな。そのときは、それこそ狐につままれたような気分だったが、年を重ねるうちに、あれがおばちゃんの夢を見るっていうことだったのかって気付いたんだ」
「でも、夢だと知っても、うちのお母さんの話を真に受けたのね」
「忘れなかっただけだ」
「そして、今日まで誰にも話さなかった」
「あ、うん」
有村は、ぽりぽりと頭を掻いた。
「それで、本当にゲームを作る人になった」
「そういうことだ。俺は、自分の心の中でカーネムと名付けた子を育て続けた。実際にゲームの中で動かせるようになるまで、そりゃもう、いろんなことがあった。だが、カーネムのことは、そっと隠して育て続けた。それで、節目節目におばちゃんに会いに来た。武志が県外の大学に行って、うちの両親が亡くなって、家が無くなって、それでも今日まで会いに来ている」
「それは、今でもお母さんの夢を見せてもらえるから?」
「夢をみせてもらえる、か」
有村は、なぜか寂しそうに笑った。
「それは、リクに譲った。俺はもういい。あのノートと記憶でやっていく」
彼を含めた全員が、陸斗を見た。
「リク、お婆ちゃんの夢に立ち会ったの?」
由美子が問うと、有村が笑った。
「いい言葉だな。夢に立ち会う」
注目されて肩をすぼめていた陸斗も、ほっと息を吐いた。
「はい。この前も、そうでした。半分くらいだけど」
「この前って?」
「アラクネーダ」
「…やっぱり、そうだったのね」
由美子がつぶやくと、陸斗はどこか申し訳なさそうにうなずいた。
「プレイ中に、あんなになったのは初めてで、僕もびっくりした」
「半分って、どんな感じだったの?」
「手はばっちり動いてるし、目も画面を見てぱっちり開いてたし。でも、突然しゃべりだして、変だなって思った。掛け声みたいなのは出しても、しゃべることなんて、今までなかったから」
「音を拾う前から、かなりしゃべっていたのね?」
「うん。だから、僕は初め、マイクを持って立ち上がって、離れて行ったんだ」
「そうしたら、手招きされたのね?」
「うん。それで、そーっと回り込んで顔を見たら、なんていうか、別の人みたいだった。お婆ちゃんの中に、別の人がいるみたいな」
「なるほど。やっぱりそうだったの」
うなずく由美子を、有村がにらみつけるように見た。
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