第29話 ふいの来客
座ったままの絹子は、自分がシルクロードだと名乗ったためか、頰を薔薇色に染めていた。
「やっぱりそうだったのね、お母さん」
由美子がやや呆れたように声をかけると、絹子は我が意を得たりと言う顔をした。
「いやー、リクが動画をやってみんかち言うたときは、何を言いよっか、そげなことはできんち言うたけどなあ。あたいは好きにやったら良かで、楽しか。他は何でんリクがやっで」
「そうだったのね、リク」
由美子がそちらを向くと、陸斗は黙ってうなずいた。
「いやあ、信じられません。お母様が、あんなプレイを…」
緑川が唸るように言うと、絹子は豪快に笑った。
「こげな婆ちゃんが、ゲームばすって、思わんかったでしょう」
「いや、それは、正直なところ…」
「よかよか。じゃっどん、あたいも初めて、リク以外の人に打ち明けたでなあ、良かったー。リクも最初は、相当、ひったまがったどなあ」
「驚いたって言う意味よ」
ぽかんとしている緑川に、由美子が耳打ちした。
陸斗は、祖母の言葉にうなずいている。
「陸斗君。私は寺田直哉君と、店の方で、親しくさせていただいています」
司は、彼にそっと声をかけた。
「ナオと? そうですか」
陸斗はぱっと表情を明るくした。
「シルクロードさんの動画のことも、直哉君が教えてくれたんですよ。緑川さんは、その前から知っていたそうですけど」
「そうです。新作が出るのが待ちきれなくて、クリパレ関連の動画を漁ってたら見つけて。チャンネル開設してから、一年くらい経ってるよね?」
すぐに話に乗ってきた緑川に、陸斗ははにかんだ顔でうなずいた。
「最初ん頃は、見てくれる人も少なかったですよー。このごろは、リクの小遣いくらいは入っで、ありがたかなあ」
「入るといえば、お母様の声のファンも多いようですね」
司がさりげなく言葉をはさんだ。
由美子が大きくうなずいている。
「えー、そうけ? コメントっちゅうたか、あたいは読まんですからなあ」
陸斗に向けて確認を取ろうとした後、すぐに司に向き直って、絹子は首を横に振ってみせた。
「みなさん、気持ちが和むんですよ。つい先ごろも、鹿児島の言葉が入っていましたね」
「そうでしたか。そりゃあ、何も思わんじゃったー。妙なことは言うとらんじゃったか? げんねかー。恥ずかしいです」
「そういえば、かえさんってどなたですか?」
司が訊ねると、絹子より先に由美子が「それは勘違いよ」と笑いながら答えた。
「何か、由美子?」
絹子は不思議そうだ。
「お母さんが、カエサンナラって言ってたのを、動画を見た人たちが、カエって言う名前の人がいるって思ったらしいのよ。シルクロードっていう孫のプレイを見たお婆さんが、カエさんだったら、もっと上手にできるって言ったんだろうって」
「んだもしたん!」
絹子は目を丸くして、不思議な言葉を発した。
「お嬢さん。山田さんけ。山田さんも、そげん思ったですかー?」
「コメント欄を読んでしまいましたから。不思議だなとは思ったんですが」
「はあー。ちょっしもた。何の動画じゃったけ?」
絹子は陸斗を見た。
「アラクネーダだよ。そうですよね?」
「ああ、それです」
「返せ返せち、どげんしてあっちに伝えっとか、とも言ってたよね。それから、やぞろしかって言ってた」
由美子が司に続けて言うと、緑川はあれっと言う顔をした。
司は表情を崩さない。
「あ、はい。あれですね」
そうだったかと考え込んでいる絹子の代わりに、陸斗が肯定の返事をした。
「手招きされたから、マイクを近づけました」
「なるほど。それで、いつもよりはっきり声が入ったのね」
由美子がうなずくと、絹子は諦めたように笑った。
「覚えちょらんが。ないごて、そげん言うたじゃろかい? ほがねっどな」
「覚えてないのね。自分のことを、ボケていたって言ってるわ」
由美子が、通訳するように司たちに言った。
「夢中でプレイしていたら、何やかや口走りますよ。よくあることです。な?」
「そうですよ」
緑川と司は、そうフォローした。
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「あら?」
「ああ、来たな。リク、頼んど」
由美子たちがふいの客かと心配顔になるのをよそに、絹子は落ち着いて陸斗に指図した。
陸斗は、うなずいて部屋を出た。
「どうもねー」
部屋のすぐ脇の部屋にいる全員の耳に、来客者の声が届いた。
「えっ?」
中年男性のものらしき低音の美声を耳にして、由美子の表情が引きつる。
「お母さん。まさか、予定してた?」
「あれ、言うちょらんかったか?」
「知ってたら、帰ってこなかったわ」
「おい、由美ちゃん。そりゃないだろうよ」
そう言いながら、堂々たる体躯の男性が入って来た。
「久しぶり。嫁には行けたって聞いてるぞ」
「はいはい。どうも」
普通に懐かしそうな男性に引き換え、由美子の声音は冷たい。
二人のやりとりを、司はいつもの表情で見ていたが、緑川は挙動不審に陥っていた。
「あっ、あの!」
絞り出した声が、少々裏返っている。
「ん?」
「もしかして、有村プロデューサーでいらっしゃいますか?!」
「ああ、はい。有村ですが」
「やっぱり! 御作品のファンです! な、生配信も見ています! 私、緑川と申します!」
「それはそれは。いつもありがとう」
緑川が差し出した手を、その有村氏はしっかりと握った。
「さ、サインください! ああ、シルクロードさんも、ああっ、そうか、お二人とも」
慌てながらゲームのパッケージを取り出す緑川に、有村は笑いかけた。
「大丈夫、大丈夫。すぐには帰らないから。サインもするよ」
「ありがとうございます!」
九十度のお辞儀をする緑川に、由美子はうさんくさげな目を向けた。
「緑川君、知ってるの?」
「知ってるも何も、有村プロデューサーですよ? クリパレシリーズの生みの親、ゲーム界にこの人有りという、有村陽一郎さんですよ?」
「いや、君、大袈裟」
その本人にぽんぽんと肩を叩かれて、緑川は更に感激したようだった。
「はあー、陽ちゃんも大したもんじゃ。知らんじゃった」
絹子はのほほんと言った。
「まあ、立ち話も何じゃっで、あっちに行こかい」
「ああ、おばちゃん、先にリクと仕事の話するわ」
有村がそう言ったので、緑川は目を輝かせた。
「公式の仕事とか、入ってるんですか?」
「うん、まあ、そういうの。終わったら行くよ」
有村は陸斗を促してそれぞれ椅子に座り、他の面々は仏間に戻った。
「先生、有村さんとはどういう?」
緑川はわくわく顔だが、由美子はげっそりしたのを隠さない。
「幼馴染よ。兄の一つ上で、よく遊びに来ていたわ。ご実家がここの三軒上だったし」
山を開いた住宅地なので、高低差があるのだ。
「だったってことは、今はもう?」
「何年も前に売りに出されて。お父さんが亡くなられてから、お母さんを東京に呼んだのよね」
「うん。そんお母さんも、亡くなられてなあ。陽ちゃんな、帰って来てもホテルに泊まっちょっど。うちに泊まればよかのに、遠慮をすっで」
「それは、ホテルの方が気楽でしょう」
由美子の言葉に、緑川は少しだけ妙な顔をした。
「でも、お母さん。仕事の話って何? 有村のお兄ちゃん、しょっちゅう来てるの?」
由美子の問いに、絹子は嬉しそうにうなずいた。
「会社のホームページの仕事があるらしかど。まあ、あたいも売り出し前のゲームばやったりした関係で、リクを引き立ててくれっとじゃろかい」
「え? 売り出し前のゲームですか?!」
緑川が、素っ頓狂な声をあげたので、絹子は大笑いした。
「そげんですよー。何か、出来たと思っても、すぐには売り出せんっちゅうて。えーと、何とかいう間違いがあっで」
「バグですか?」
「そうそう。そんバグっちゅうもんを、探してくれち頼まれてなあ」
「そりゃすごい。先生、お母様は本当にすごいですよ!」
緑川の感激ぶりに、由美子はため息で応えるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます