第28話 シルクロードさん
三人はホテルを出て、タクシーで白男川の実家に向かった。
白男川から緑川に、鹿児島に来ることになった経緯は説明したと言われていたが、司は肝心のことを聞き忘れていたのに気付いた。
「私たちのことは、何と説明なさったんですか?」
「ああ、それね。大学の方でお世話になっている業者さんって話したの。宮崎で同じ学会に出席したから、実家の鹿児島をご案内するって」
「先生、俺の学会を流用したんですね」
タクシーの助手席から振り返った緑川に、白男川は黙っていなさいというように目配せした。
「お若い方だから、シルクロードのファンで、それが私の甥っ子だってわかったから、一言ご挨拶をしたいってことなのよ、って言ったの。つまり、リクに会いに行くの。わかった?」
「了解です」
司が答え、緑川は黙ってVサインを向けてきた。
どんどん坂を上っていたタクシーは、かなり高いところまできていた。
「おお、すげえ」
緑川の声につられて左を向いた司の眼下には、住宅が連なっている。
「ずいぶん山ですねえ」
「後ろを見てごらんなさい」
白男川にうながされて二人が振り返ると、桜島が見えた。
「こりゃあ、すごいですね。おお、噴煙が」
興奮している緑川を置いておいて、白男川は司の顔を見た。
「今回はプライベートだけど、名刺って持ってる?」
「はい、あります」
「そう、良かった。母は名刺をもらうのが好きなの。今でもきっと、好きだと思うわ。特に、あなた方のは」
「私たち?」
「会えばわかると思うけど」
やがて、三人は一軒の家の前に立った。
緑川はスーツにネクタイ。司も白のブラウスにグレーの千鳥格子のスカートで、仕事で来ましたというスタイルだ。白男川も学会という建前を意識したのか、ベージュのパンツスーツにしていた。
時間は朝の十時過ぎだ。
白男川は意味ありげな目つきで、門のところの郵便受けを指し示した。
銀色の年季の入った郵便受けには、家人の名前が書いてある。
黒いマジックの色も濃いものが<白男川陸斗>で、その上に色あせているのが<白男川秋雄>と<絹子>だった。
指先は<絹子>の上にある。
「お母様のお名前ですね?」
緑川は「絹子さんとお呼びしたほうがいいですか?」と言ってから、あれっと首を傾げた。
「絹子さん? まさか、シルクロードって?」
緑川は、片方の眉を上げた。
「絹、シルク。うん? お婆さんの名前から取ったとか? 仲が良いんですねえ」
「絹子さんでしたか」
感動している彼をよそに、司は白男川と目を見かわしてうなずいた。
白男川が玄関のチャイムを鳴らすと、すぐにばたばたと足音が近づいてきた。
開けられたドアの向こうには、年のわりに背の高い、痩せぎすの老婦人が待っていた。
「まあまあ、遠かところを、お疲れだったでしょう」
鹿児島に着いてから何度も耳にした独特のアクセントを聞いて、司は笑みを深めた。
緑川が、まず進み出る。
「先生にはいつもお世話になっております。私どもは<睡眠研究所・こもれび>の従業員でございます」
「まあまあ、研究所。ご立派なお仕事で」
「緑川と申します。お実家にまで、無理をお願いしまして、申し訳ございません」
「山田と申します。本日は急にお邪魔いたします」
二人が続いて名刺を渡すと、絹子は嬉しそうに押し頂いた。
「さあ、ごげな汚かところですが、上がってください」
母と娘は、簡単に頭を下げあっただけで、みんなでぞろぞろと仏間に上がった。
「こちら、学会で行った宮崎のもので、珍しくもないでしょうが」
まずは仏壇の前に座った由美子の後ろで、緑川が菓子折を絹子に渡した。
「まあ、ご丁寧に、ありがとうございます。お父さんに供えさせていただきましょうね」
由美子に続き、二人が仏壇を拝んでいるうちに、絹子が麦茶のポットやコップを運んできた。
「お二人とも、研究ち、むっかしかことをされて。ええと、緑川さんな、お名前もむっかしかですね。外国の血どん、入っちょっとですか?」
座卓を囲んで座ると、老眼鏡をかけて名刺をよくよく眺めた絹子がそう言った。
「外国? ああ、私は生粋の日本人です。よく間違われますが」
間違われることもなさそうだが、彼はそつなく答えた。
「研究所の営業ち、どげなとけ行かれっとですか? 大学で、由美子もお世話んなっちょっとでしょうが」
「あ、はい。どげな、えーと、大学や、病院が多いですね」
「病院な。病人には、いろいろあっでしょうなあ。田舎の婆ちゃんには縁の無か、立派な方ん名刺ば頂いて、ありがたかー」
絹子は、二人の名刺を交互に眺めて嬉しそうだった。
「いや、こちらに伺うことができたのも、白男川教授にご鞭撻いただいているお陰です」
「教授。なあ。まあ、ありがたかこっじゃ」
やや突き放したような口ぶりに、緑川はおや、と眉を上げたが黙っていた。
「ところで、リクは家にいるのよね?」
場を救うように発言した由美子のイントネーションは、すっかり鹿児島のものだった。
「おっど。こっちから行ったほうがよか」
絹子はよっこらせと立ち上がった。
彼女に続いて全員で、玄関脇の部屋に向かう。
「リク、お客さんじゃっど」
一応ノックはしたものの、返事が返るのを待たずに絹子がドアを開けた。
「おはようございます。お邪魔します」
「お邪魔します」
「リクのファンの方をお連れしたわよ」
緑川、司、由美子の順に部屋に入ると、小柄で黒縁メガネをかけた青年が椅子から立ち上がった。
「おはようございます」
ぴょこんと頭を下げた彼の顔は緊張のためか真っ赤だった。
「ああ、シルクロードさんの声だ」
緑川が嬉しそうに進み出た。
「登録して見させてもらってます。緑川です」
握手のための手を突き出す。
白男川陸斗は、おずおずとその手を握り返した。
「リク、久しぶり。このお兄さんは、こんな見た目だけど、怖くないよ」
由美子が冗談めかして言うと、こくこくとうなずいた。
「私も今、クリパレをやってるんですよ。ぜひ、あの華麗な回転斬りの連続技を見せていただきたいな」
緑川は、そう言って大きな身振りで回転斬りの剣の動きらしきものを披露した。
「シルクロードさんの動画を見ると、自分も簡単にできそうな気がするのになあ」
「それはそれは」
嬉しそうな絹子が、緑川の肘の辺りをちょんちょんとつついた。
「ちょっと、ここでやってみんですか」
「はい?」
「クリパレを、やってみせてくいやい。ください。回転斬りを見たか。前作ではいかんですか? <覇王の試練>なら、好きにでくっで」
「ああ、<覇王の試練>ならいいですね」
「言ってることはわからないんだけど、とりあえずここでやってみたら? 緑川君」
由美子がじっと目を見ながら言ったので、はっとした彼は慌てて承知した。
陸斗が、すぐにプレイできるところまで準備をして、机の前の椅子を指し示した。
「いやあ、緊張するなあ。じゃ、ちょっと肩慣らしをしてから」
緑川は、確かに緊張しているようだったが、わあわあ騒ぎながらやり始めた。
どうやら、おまけのようなステージである。
司と由美子は後ろでぼんやり眺めていたが、絹子は真剣に見入っているようだ。
ぐるっと回転しながら剣を振り、周囲の敵を一掃する。そのままバク転や側転をして、また回転斬りをする。そうするとcomboと表示され、続く数字が加算されてゆく。
三、四回続いては途切れ、また続くということを繰り返しながら、緑川は一つのステージを勝利で終了した。
「上手いじゃないの」
由美子が言うが、彼は坊主頭を掻いた。
「いやあ、シルクロードさんの前で、これじゃあ恥ずかしいっす」
「貸しやんせ」
彼が言い終わらないうちに、絹子がぬっと手を出した。
「はい? ああ、やってみますか」
緑川は、優しさを顔中に表して、コントローラを彼女に渡し、席を譲った。
しかしその数十秒後、彼の表情は驚愕一色になった。
最初から最後まで、comboを積み重ねての勝利。
「お母…さま?」
あんぐりと口を開けた緑川に、絹子は満面の笑みを向けた。
「あたいがシルクロードじゃっど。ああ、あたしが、シルクロードです。緑川さん」
「へっ?!」
一呼吸遅れて、緑川の間抜けな声が発せられた。
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