第27話 母と娘

 翌朝、郷土料理もあるバイキング形式の朝食を済ませた司と白男川は、ホテルのロビーで緑川と落ち合った。

荷物は駅のコインロッカーに預けてきたという彼は身軽だった。

「早速桜島を見ましたが、雄大ですねえ。昨夜は遅かったので、鹿児島に来たっている実感が湧かなかったんですが」

「今日は、どこからでも見えるわよ。それに、せっかく感動してくれてるところ悪いけど、真面目な話をしましょうか」

 白男川は、自分が泊まっていた部屋に二人を連れて行った。




「これは大切な話だから、忘れないでほしいんだけど」

 きちんと整えられた部屋のベッドに二人が座り、白男川は一つしかない椅子に座った。

「母は、私が、人と違うものが見えるということを、認めていない」

 ゆっくりと話す彼女に、二人は真剣な目を向けた。

「小さいころは、よく叱られたものよ。誰もが同じものを見ていると思っていた私には、叱られる理由がわからなかった。正直なところ、今だって、自分が何を見ているのか自信がないんだけど」

「口に出さないからわからないだけで、誰もが同じと思っているものが、実は違っているかもしれないです」

 そう言う緑川には、幾分緊張が現れていた。

「そうね。その通り。でも、母にとっては、正しい世界は一つしか存在しないもので、私は正しくないことを口にする子どもだった。もちろん私も、大きくなるにつれて学習したわ。私が見ているもののことは、内緒にすべきなんだって。でも、誰もが見ているものとの区別がつけられなかったから、極端に無口な子どもになった。今度はそれが、母の気に入らなかった」

 緑川は悲痛な表情で汗をかいて黙っていたが、司は「大変でしたね」と言った。


「大変、だったんでしょうねえ。黙ってる代わりにだったのか、女だてらにって言われるくらい、おてんばにもなってしまって。木に登ったり、高いところから飛び降りたり」

「先生が?!」

 緑川が驚きの声を上げると、白男川はくすっと笑った。

「そうやって体を鍛えたから、体操なんてやろうと思ったのね」

「なるほど、そうでしたか」

 緑川も納得し、司も横でうなずいた。

「体操で全国大会までいくようになったら、ようやくその点だけは受け入れてくれるようになった。国体の選手になったときは、近所に自慢してたらしいわ。直接褒められたことはないんだけど」


「体操のために、早くからお家を出られたんですか?」

 司が訊ねると、緑川がはっとした。

「高校から寮に入ったの。大学は県外だし、そのまま学校に残ったし、実家に住んでいたのは中学三年までっていうことね」

「それは、大変だなあ」


「体操で、大怪我をなさったんですよね」

 司が問うと、白男川はうなずいた。

「森脇さんから聞いたの?」

「はい。その後遺症で寝具を探していらっしゃったと聞いています」

「そうよ。そのときに彼と知り合ったの」


「そのお怪我のときに、お母様は来てくださったんですか?」

 緑川は「おいっ」と小声でたしなめたが、白男川は気にしない様子だった。

「来てくれたけど、さんざん文句を言ってたわねえ。結局、大学の後輩が寮から着替えなんかを持って来てくれたし、用がないって退院前に帰っちゃったわ。保険に入っていて助かったっていう話を、そこら中に吹聴してたらしいわよ」

 緑川は、眉のあたりをぴくぴくさせながら、恐ろしい顔つきで聞いている。

「あなたねえ、そういう顔で、母に食ってかかるのだけは止めてちょうだいよ」

 白男川にくぎを刺されてしゅんとするのが、司にはおかしくもありかわいそうでもあった。

 もちろん、白男川も十分わかっているらしかったが。


「まあ、こんな経緯で、母と私はあまり折り合いが良くないわけ。帰るのも久しぶりだし。だから、昨夜もホテルに泊まったの。どうして実家に泊まらないんだろうって思ったでしょう?」

「それは、まあ、都合があるかと」

 質問を振られた司は、神妙に答えた。

「そういういろいろを踏まえたうえで、これから母に会いに行くわけだけれども。もう一つ」

 緑川は、はっと姿勢を正した。


「実は、母にもそれなりの能力、能力でいいのかしらね、それがあるのよ」


 司は微動だにしなかったが、緑川は大きくのけぞった。

「え、え、お母様も見えるってことですか?」

「うーん、それはどうかしら。まあ、本人がそう思っていないのは確かね」

「じゃあ、何が?」

「夢を見るの」


「「夢?」」


 緑川と司の声がそろった。

「本人は、そう思ってる。つい、うとうとしたときに、夢を見ると思ってる」

「実は違うんですか?」

 ぶるっと震える緑川を無視して、司が訊ねた。

「憑依なのか何なのか、私にもわからないわ。でも、普通にしているときに突然、人が変わってしまうの。多重人格とか、そういうものじゃないのは、なんとなく感じるの。病気なんかじゃない。私が病気じゃないように」

「そうですか。わかりました。でも、決して口外してはいけないんですね」

「ええ。私も誰にも言ったことはない。兄や、亡くなった父が知っていたのかどうかもわからない。リクもね」


「リク君は、問題なく暮らしているんですね?」

 司の問いに、白男川は笑って答えた。

「そうなのよ。追いやった兄本人もびっくりするくらい、平穏らしいわ。でも、それはきっと、ゲームがあるからよね。それと動画配信」

「ご高齢の一人暮らしに、お孫さんが来てくれたのも嬉しかったでしょうね」

「それもあるかもねえ。ああ、そのことだけど」

 白男川は、うっかり忘れるところだったと笑った。

「動画ではべらべらしゃべっているから、私もびっくりしたんだけど。リクは極端に人見知りだから。まあ、いわゆる引きこもりだったんだもの。今は、どういう生活なのか知らないけど。だから、じーっと黙っていたとしても、気にしないでね」

「ゲームの話だったら、大丈夫ですよ、きっと」

 緑川は、胸を叩く勢いで請け合った。

「そういうものなの?」

「そういうものです」


「じゃあ、注意事項は以上、こんなものかしら。あなた方は接客業だし、何かあっても大丈夫だと信頼しているから、よろしく」


 白男川は、自分に気合を入れるようにして立ち上がった。


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