第26話 小旅行
光陽女子大学に着いた司は、それほど広くもない構内で迷いそうになりながら、白男川の研究室にたどり着いた。
「お呼びたてして、申し訳なかったわ」
さりげなく人払いをした白男川は、司と二人きりで向かい合った。
「驚いたでしょう?」
「はい」
白男川は、ふふふと笑った。
「件の動画を見たら、どうしてもすぐに行動すべきだと思ってね。緑川君も宮崎だっていうじゃない。これは逃しちゃいけないって思ったの。彼とも、もう連絡をとったのよ」
「そうだったんですか。あの、やっぱり、お母様の声がきっかけですか」
「そうね」
白男川は、優雅に腕を組んだ。
「あの動画を見ていると、リクと母の光景がなんとなく浮かんできたというか。これも、私に見えるものの一つなんだけど」
彼女は説明しようとして、しばらく言葉を探した。
「…記憶の中の、ぼんやりした情景に似ているかしら。古い学習机の上に、テレビやらパソコンやら機材を並べて、ゲームの録画なんかをしているところ。実際には見たことのない光景だけど、どこかで見たように浮かんできたのは、そういうもの。そこで、立派な椅子に座ってゲームをしている母と、マイクに向かっているリク」
「はい?」
司は、控えめながら問いただすような声を出した。
「言い間違いじゃないわよ。そして、私にとっては意外でもないの。母は、前からゲームが好きだから」
「失礼ですが、お母様のお年は」
「八十六」
「…お元気ですねえ」
司は、しみじみと言った。
「私なんて、二時間もしないうちに、ぐったりしてしまいました。目も肩も疲れました」
「やり慣れてるからじゃない? きっと」
白男川は、当たり前のように言った。
「ともかく、そんな光景が見えてから、もう一度動画を見直してみたの。そうしたら、やぞろしかって言う前にも、何か言ってるらしいことがわかった」
「そうでしたか」
「現実の音声じゃなかったかもしれない。でも、言ってるのは間違いないはず。それが、リクにマイクを近づけさせるような何かじゃないかしら」
「わざと?」
「わざと」
しっかりと肯定して、白男川はちらりと司の横を見た。
「だから、あなたを母に会わせるべきだと確信したの。あなたと私だけじゃ、ゲームの話についてゆけないから、緑川君も。宮崎からなら遠くないし。彼は快諾してくれたわよ。あなたも覚悟はいい?」
白男川は、冗談めかして司を見た。
「覚悟、ですか」
司はすぐにはうなずけなかった。
「ここに来るまでずっと、考えていました。お母様が睡眠に問題をかかえていらっしゃるということ。でも、病院は拒絶していらっしゃること。先生が里帰りなさる機会に、私を連れて行きたいとおっしゃってくださったこと。出張として同行させていただけること。所長が、先生の無理を聞いたと思うように、仕向けてくださったこと。そういう、先生が作ってくださった台本に乗ってしまっていいのかと。お母様には、問題はないんでしょう?」
「そうね。たぶん、とっても元気だと思うわ。何かあったら、リクが家に泣きついているだろうから」
白男川は、芝居がかったしぐさで肩をすくめた。
「それにね。あなたは、そこのものの存在に気付いていなかったし、助けを求めてもいなかった。私が勝手に見て、勝手に指摘しただけでしょ。見えてしまう自分を、なだめるために。だから、あなたは私に怒ってもいいくらいかも」
「それはないです」
司は急いで言った。
「先生以外にも、直哉君や他の方が、見ているんです。もっとはっきりしない状態ですけど。だから、怒るなんてとんでもありません」
「じゃあ、一緒に鹿児島に行ってくれるのね?」
「はい。よろしくお願いします」
司が立ち上がって頭を下げると、白男川は安心したようにほっと息をついた。
「明日の朝は、どうしても外せない会議があるの。もし初めてなら、先に行って観光でもする? そういう気分じゃなかったら、家をゆっくり出ればいいし。どのみち、緑川君は学会が終わらないと合流できないし、母に会うのはあさってでいいかしら。明日の夜は、市内のホテルをとったから。晩御飯はご一緒しましょう。どう?」
「遅く出て、駅で誰かに会っても気まずいですし、先に行かせていただきます」
「それもそうね。じゃあ、ホテルで待ち合わせしましょうか」
時間と場所の打ち合わせをして、司は帰らせてもらった。
そして翌日。司は、生まれて初めて、鹿児島の地を踏んだ。
西日本の地方都市から鹿児島までは近くもないが、新幹線のお陰でそれほど遠くもない。
せっかくの機会ということで、司は前夜にネットで検索し、小旅行の計画を立てていた。
駅前から午後の定期観光バスに乗ることにして、その前にまずラーメンを食べに行く。
駅から近いところでと適当に選んだのだが、昼前だというのにすでに店の外には列ができていた。それでも、思ったより早く順番が回ってきて一安心だ。
値段が高めなので、観光客向けの価格設定かと思った司だったが、間違えて頼んだかと思うくらいの具材の量で、豚骨のわりにあっさりめのスープであるにもかかわらず、お腹がいっぱいになった。
店を出てから、土産物を見るだけ見て歩く。
そして、観光バスに乗りに行った。
半分ほどしか乗客のいないバスは、案外気楽だった。照国神社から、軍服姿の西郷隆盛像、城山とめぐり、フェリーで桜島にも渡って三時間少々。まだまだ見どころはあるのだろうが、建前だけでも出張のついでと思えば十分だろう。
満足した司は、待ち合わせの時間に遅れることなく、宿泊するホテルで白男川と合流した。
緑川は懇親会に参加するので、鹿児島到着は遅くなるということだった。
「どう、鹿児島を楽しんでる?」
ロビーで会った白男川は、司を上から下まで眺めてにこにこした。
「はい。駆け足でしたが観光もしましたし、ラーメンも食べました」
「それはよかったわ。じゃあ、夜は郷土料理を味わっていただきましょうか。魚はお好き? 肉の方がいい?」
「どちらも好きですが、こういう機会には魚派です」
「だったらキビナゴね。豚も牛も有名だけど、現地ならではといったらキビナゴだわ」
白男川の案内で、二人は薩摩郷土料理の店に行った。
司はあまり酒を飲まないし、白男川も少しだけという。
瓶のビールを一本だけ頼んで、食べることを主にすることになった。
キビナゴの刺身がきらきらと銀色に輝いていることに、司は目を見張った。
菊の花に見立てたという、二つ折りにした身を円形に重ねた盛り付けも美しい。それに添えられたのは、醤油ではなく酢味噌だ。
甘めの酢味噌はあまり司の好みではなかったが、刺身につけるとなかなかに合う。
刺身の後は、串焼きと天ぷらでキビナゴを堪能した。
そのほかに、とんこつという豚の煮込み料理。ふっくらと甘いつけ揚げ、これはいわゆるさつま揚げである。
「なんだか、甘い味付けが多いですね」
「そう。それが特徴なの」
「そのせいか、もうお腹がいっぱいです」
二人は、観光地や食べ物の話ばかりして、鹿児島に来た目的については話していなかった。
「せっかくの夜だから、仮定の、仮のね、そういう話ばかりしてもしょうがないわ。母の話は明日の朝にしましょう」
「はい」
「緑川君と一緒に聞いてもらったほうがいいわ」
「そうですね。わかりました」
デザートに紫いものアイスクリームを食べた後、誘ったのだからごちそうすると頑張る白男川を制し、司が支払いをした。
「森脇から、先生とのお食事の機会があれば、必ずこちらで持つようにと申し付けられておりますので」
「そうなの? じゃあ、お言葉に甘えましょうか」
二人は、ぶらぶらと歩いてホテルに戻った。
ホテルの予約も白男川がしてくれたのだが、さすがにシングルルームが二つで、会計は別にしてもらった。
「母のこと以外で聞きたいことがあれば、まだお話してもいいけど。階も同じだし」
「少し頭を整理しないと、質問も思いつかないんです」
それぞれの部屋のある階のエレベーターを降りたところで、司は申し訳なさそうに頭を下げた。
「そうでしょうね。今夜は、お互いゆっくり休みましょう」
白男川はそう言って、先に部屋に入っていった。
さらに廊下を奥に向かっていた司は、着信に気付いて急いで部屋に駆け込んだ。
思った通り、緑川からの電話だった。
『そうか、先生と郷土料理か。いいなあ。懇親会なんて、つまらないんだからな』
「そうでしょうね」
『で、先生も同じホテルに宿泊されてるのか? 実家の近くだっていうのに?』
「はい。同じ階の別の部屋にいらっしゃいます」
『何か事情があるのかな。明日は、しっかりと話を聞いてから行かないとな。先に山田ちゃんに電話してよかったわ』
緑川は、これから白男川にも一言挨拶をすると言い、翌朝の時間の確認をして電話を切った。
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