第25話 出張?
司に出された、クリパレの中の知っている音を探すという課題は、まったく進展しないまま数日が過ぎた。
テスト前だと言っていた直哉も、宣言通り来店しない。
そんなある日の午後、司は久しぶりに緑川を見た。
スーツ姿で外回りをしていたらしい彼は、事務室に呼ばれたようだった。
ちょうど所長夫人への用を頼まれた司は、彼のしばらく後に事務室に入った。
「助かるよー。よろしく頼む」
「所長直々の頼みとあっては、断れませんよ」
「悪いねー。その分、休みをくっつけて観光しておいでよ。宮崎なんて、めったに行く機会もないだろう」
「まるっきり初めてです。美味いチキン南蛮でも食ってきますか」
「そうだね。終わった夜の宿泊は、こっちで精算するからな」
所長夫人と話をする司の向こうで、緑川は署長から大きな封筒を渡されていた。
ほぼ同時に事務室を出た二人は、どちらからともなく廊下で立ち止まった。
「宮崎に出張ですか」
「うん、明日からだって。急だよな。所長が行くはずだった学会。まあ、顔出して名刺配っとけばいいみたいな話だから。ところで、どう? 気になる音はあったか?」
「本編から探せっていうことですよね、もちろん」
「ん? 他にならあったってことか?」
「シルクロードさんの動画です。お婆ちゃんの、つまり、白男川先生のお母様の声が入ってまして。ご存知でしたか?」
「いや、知らない。なんて言ってたんだ?」
「やぞろしかーとか、かえさんならとか」
「なんだそりゃ」
緑川も、まったく意味がわからないという顔をした。
「でも、山田ちゃんが気になるなら、先生と話したほうがよくないか? 店の顧客名簿に、先生のご自宅の電話番号があるだろう。かけてみろよ」
「そのほうがいいでしょうか」
「俺はそう思う。別に、俺を通さなくても大丈夫だろう。どっちみち、留守をするし」
「そうですね」
少し考え込むそぶりをみせたものの、司はうなずいた。
「それと、この間いただいたクッキー、とてもおいしかったです」
「ああ、それは良かった」
「ラッピングも素敵でしたし。お母様によろしくお伝えください」
「うん。きっと喜ぶよ。伝えとく」
そのとき、こちら側につながるドアが開いて時任が現れた。
司も緑川も驚いて、一瞬硬直した。
「あらー、珍しい取り合わせ」
時任の目も驚きに見開かれたが、すぐに顔中でにっこりした。それはもう、恐ろしいほどの笑顔で。
ちらりと緑川を見上げた司は、彼の色白の頬が明らかに赤くなっているのに気づいた。そういう司の頬も、かなり熱かった。
「私、これを頼まれているので。失礼します」
司は、手にした書類をひらひらさせて、緑川に一礼した。そして、そのまま時任の横をすり抜けて店に出た。
書類を頼んだ相手に渡し、レジカウンターの奥に行って、パソコンから白男川のデータを呼び出す。
自宅の電話番号のほかに、大学の研究室の番号もあった。内線番号も記載されている。
司は少し迷ったが、時任が店に戻ってきたのを見て、すぐに電話をかけ始めた。
電話には、若そうな声の女性が出た。
『すみません、白男川はただいま外に出ておりまして、あっ、先生。あの、今戻ってまいりました。先生、こもれびの山田さんからお電話です。あ、お電話切り替えますね。そのままお待ちください』
司は、保留中の音楽を聴きながら、少し待った。
レジの近くまで来た時任は、司が電話中なのを見て、すぐに離れている。
『山田さん? お待たせしてごめんなさい』
「先生。ご無沙汰しております。学校にまで、失礼かとは思いましたが」
『いいえ、大丈夫よ。あれかしら。これは、緑川君に頼んだ件のお返事かしら』
「そんな感じなのですが、少し違うんです。でも、お知らせすべきだという気がししたんです」
レジに客がやって来たが、中林が気づいて対応してくれる。
「シルクのところで、別件に気が付きまして」
『お店でかけてるのね。シルクというのは、リクの動画サイトのことでいいのかしら』
ごまかした表現を、白男川はすぐに察した。
「さようでございます」
『そして、その別件というのが、あなたには見過ごせないものなのね』
「ご一緒にいらっしゃる方のお声がですね」
『ご一緒。リクとご一緒。私の母のことなの?』
「さようでございます」
『それはつまり、リクの動画に母の声が入っているということ?』
「はい。パソコンをご覧になれますか?」
『ここにあるから、すぐに見ます。シルクロードで検索したら、すぐにわかるもの?』
「近くに人がいたので、失礼しました。シルクロードのゲーム実況チャンネル、というとろこで、まず、クリスタルパレス。いくつもありますので、アラクネーダというのをみてください。もう最新じゃなくなっているかもしれませんが、新しいものです」
白男川は何度か聞き返し、メモを取っているようだった。
『すぐに見ましょう。それとは別に、あなた個人の電話番号をお聞きしても?』
「はい、それもあって、電話させていただきました。緑川さんが、宮崎に出張されるので、連絡が遅れそうですから」
『宮崎? いつからなの?』
「明日からだそうです。急に決まったらしくて」
『そうなの? 大変ね』
「はい。では、先生。番号を申し上げてよろしいでしょうか」
司は、白男川に個人のスマートフォンの番号を伝えて電話を切った。夜にでも、かかってくるのではないかと思いながら。
しかし、白男川の行動は、思った以上に早かった。
一時間ほど後、事務室に呼ばれた司は、そのことを知って戸惑ったが、努めて表情には出さなかった。
「白男川先生が?」
「そうなんだ。こういうことはないだろうけど、そこを曲げて頼むと言われちゃあねえ」
「個人的にだったら、すぐにでもお受けしますけど、店の名前で、私のようなものがうかがってもいいんでしょうか」
「僕としては、そこはまったく心配していないんだけどな。問題があるとしたら、急だっていうことだけなんだが、行ってくれるか? 先生も、よくよく困ってのことらしいんだ。力になりたい」
「はい。私でよければ、できる限りのことをしたいと思います」
「そうかー。良かった! 先生に貸しを作るっていうんじゃないけど、良かったよ。じゃあ、これから大学の方に行ってくれ。今日はそのまま帰っていいから」
事務室を出た司は、まず店頭の中林に、光陽女子大学の白男川を訪ねなければならなくなったと報告に行った。
「所長には、そのまま帰宅していいと言われたんですが」
「そうなの。いいわよ、もちろん。でも、大変ねえ。カウンセリングが人気になるのもいいけど、忙しくなりそうで」
「なんとか、がんばってきます。では、失礼します」
「気を付けてね。領収書をもらい忘れないようにね」
中林に手を振って送られた司は、すぐにロッカーに向かった。
私服に着替えて出たところで、休憩室から出てきた時任ともう一人に出くわした。
「あれ、早退?」
「違うの。白男川先生のご用で、大学に」
「外回りでもないのに? 大変じゃない。それって、リョクさんの代わり?」
「さあ。じゃあ、行ってくるね」
時間を気にするふうを見せて、司は急いでその場を離れた。
背後では、リョクさんの代わりって何なのと問う声と、急な出張でいないからと答える時任の声がした。
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