第20話 お宅訪問
司は緑川とまだ電話中である。
「ともかく俺は、山田ちゃんがクリパレをプレイしてみなきゃ、話にならないと思う」
「いえ、でも、やってみたからといっても。ゲームの中で<滅びの門>の結び目を解くことが、私には必要だっていうんですか?」
「違うのか? それこそ、やってみなきゃわかんないだろ?」
司は、いやいやをするように首を振った。
幼い子どもがするように。
「あ」
「ん? どうした?」
「今日、病院で会った女の子なんですけど。たぶん、保育園児の」
「うん」
「その子、先生が陽炎みたいなものを見たっておっしゃる、同じところを指さして、小さい子って言ったんです。それも、しっぽが長い小さい子って」
「しっぽ? 小さい子?」
「クリパレに、そう表現できる何か、出てきますか?」
「しっぽなあ。リザーディアン?」
「リザーディアン? ということは、トカゲ系の魔物か何かですか」
「うん。まさしくそうだけど、敵のザコキャラだぞ。そんなものが見えたってか?」
「私がその子を助けるものだって、決めつけてました。敵を助けるべきなんでしょうか?」
「助けるのか? だったら、リザーディアンとは関係ないのか。そもそも、そんな小さなリザーディアンなんかいなかったし。山田ちゃんの頭サイズ以下だろ」
「そういうことになるんでしょうか」
「他にはなんて言ってた? 色とか」
「それが、それ以上話せなかったんです」
「うーん、情報が足りないな。絵でも描いてもらえたらいいんだけどな。通院してたら、また会えないか?」
「お母さんが、そういう話をさせたくなさそうでしたし、会えたとしても難しいでしょうね」
「そうか。先生の見たものは、そもそも形が無いし。やっぱりプレイしてみろよ。たしか、次の休みって俺とかぶってるだろ?」
司は、ひっと震えあがった。
「ん?」
「あ、いえ、何でもありません」
「ゲーム機から買ってやってみろとは言わないから、とりあえず、俺んちに来てやってみろよ。水曜日だろ?」
「いえ、その、いきなりお宅にお邪魔するっていうのは、その」
「ああ、妙齢の女性として遠慮してる? 大丈夫だよ、俺、実家住みだから。日中も、専業主婦のお袋がいるから」
「いやいや、それはかえって」
「じゃ、とりあえず水曜日に。旭台の愛真病院って知ってるか? そこまで来てくれたら迎えに行くから。午後二時でどうだろう」
緑川は、司に有無を言わせなかった。
司としては、了承した実感のない水曜日。
午後二時少し前に、彼女は愛真病院の玄関の近く、白いマリア像の前に立っていた。
服装は、薄い水色の無地の半袖ポロシャツに、デニム生地のフレアスカート、紺色のスニーカーである。髪の毛はいつもの黒ゴムでまとめただけで、出勤時と違わない。
「よう、お待たせ」
時間ぴったりにやって来た緑川は、スポーツブランドのTシャツにバミューダパンツで、サンダル履きだった。
「うち、すぐそこだから。いいだろ、わかりやすくて」
愛真病院は、大きな総合病院である。表は国道に面しているが、裏手は住宅街のようだ。緑川は、そちらの方へ先に立って歩き出した。
「救急車がしょっちゅう来るから、その音はあれだけど、他は静かな町だから」
「そのようですね」
高級住宅街というのではないが、落ち着いたたたずまいの、庭が広い家が多いようだ。
緑川家はその一角にあり、建てたころにはかなりモダンだったのではないかという洋風の建物だった。白い壁に明るい栗色の屋根、玄関ドアもアンティーク調だ。
緑川が「ただいま」と声をかけると、ぱたぱたとスリッパの足音がして、なんともふんわりした雰囲気の女性が出てきた。
「まあまあ、ようこそいらっしゃいました」
ふっくらした曲線でできているかのような小太りの女性は、サーモンピンクのひらひらしたエプロンを着けている。
横に立った緑川とは固いものと柔らかいもの、大きなものと小さなものという対比が際立っているが、顔の造形はどことなく似ていた。
「山田と申します。緑川さんには、いつもお世話になっております」
「緑川の母でございます。こちらこそ、ご面倒をおかけしているでしょう」
「いいえ、そんなこと、まったく」
「ちょっと、お台所をしてるものだから、失礼しますね。どうぞ、ごゆっくり」
「お邪魔します」
緑川は、面はゆそうな顔つきで母親を見ていたが、またぱたぱたと去っていった背中を見送ると、司を階段の方へ促した。
玄関から続く階段を上がると、一番手前が彼の部屋だ。
先に通された司は「わあ」と思わず声を上げた。
家の外観や、玄関ホールの雰囲気とはまったく違う。
フローリングの床と、木製のドアの他は、ほぼモノトーン。
カーテンと、折りたたみベッドに掛けられた寝具は、白に近いグレー系。
本棚やテレビ台などはすべて黒。トレーニングマシンの座面も黒色だ。白色の壁紙にはカレンダーすら貼られていない。
テレビの前に二つ置いてある大きなビーズクッションは、床の色に馴染むこげ茶色。
「すごいマシンですね」
部屋をぐるりと見回した司は、最初にそう言った。
「一台であれこれできそうな感じです」
「そうだな。腕、胸、腹、背中、脚、まあ、まんべんなくできる」
「鍛えていらっしゃるとは思っていましたけど、お家でとは思いませんでした」
「うん。ジムに行く時間がなかなかね」
緑川は、興味なさそうな顔をして、テレビ台の方に行った。
司も向きを変えて、彼の手元をのぞき込む。
「それ、全部ゲーム機なんですか」
「うん。今はほとんど使っていないんだけどな。壊れていないハードは大切にとってある」
彼は、充電してあったコントローラを手元に置き、もう一つ同じものを取り出して司に渡した。
「これ、他のゲームの説明書だけど、使い方は同じだから。ちょっとボタン押したりしてみといて。まるっきり初めてなんだろ?」
用意していたらしいゲームの説明書は、ソフトに付随していたものらしい。
「それ、電源入らないから、安心して使っててな」
いかにも恐る恐る触っている司をちらりと見て、彼は笑った。
「あ、ボタンが説明図とちょっと違いますね」
「ああ、今のと型が違うんだった。配置が違うけど、それほどでもないだろう」
「記号は同じですね」
「記号ね。まあ、あれだ。最近はソフトに説明書が付いてこないからな。やりながら説明するから、大丈夫」
ケーキかクッキーか、菓子の焼ける甘い匂いが流れ込んでくる部屋で、司は緑川と一緒に<クリスタル・パレスⅥ>のホーム画像に向き合った。
そして、ゲーム機に接続したコントローラを手にして、スタートボタンを押した。
司もパソコンで何度も見た、スタートムービーが流れ出す。
こじんまりした家の暖炉の前に並んで、笑っているアマレーナとノーチェ。
森の中で、きのこや花を集める二人。
襲い掛かってくる魔獣。
まがまがしい黒い霧に覆われているクリスタル・パレス。
シンフォニックなテーマ曲。
▽つづきから
▽はじめから
「つづきからを押して」
「え、初めてなのに?」
緑川の指示に、司は首を傾げた。
「最初からやってもいいけど<滅びの門>まで時間かかるぞ。ファイル作ったって言ったろ。ちょいちょいと進めてあるから」
「ああ、そうでした」
▽メテオ
▽ヤマダ
「ヤマダでいいんですね」
「ああ」
ヤマダボタンを押すと、司にとっても見慣れた城壁と門が現れた。
子ども姿のアマレーナとノーチェが立っている。
「あ、ここから?」
「ここまでは、俺のデータをコピーしてある。持ち物はそろってるから、やってみなよ。知ってるんだろ、<滅びの水薬>を飲むところは」
「えー。あのムービーを見なきゃいけないんですか…」
司は小さな声で言って肩を落とした。
「見たくないのか」
緑川は、幾分同情するような顔をした。
「はい」
「うーん。だったら、とりあえずテレビの音声を消すか。しばらく下向いてろよ」
緑川はテレビリモコンの消音ボタンを押した。
無音の画面に向かい、彼の指示通りの操作をして、司はアマレーナに薬を飲ませた。
コントローラを渡して目を伏せ、そのままの姿勢でしばらく待った。
「うーん、何も起こらないな」
緑川はそう言って、音声を戻した。
司が目を上げると、彼は成長したノーチェを操作して、すでに門をくぐっていた。
アマレーナのものだった賢者のマントを、アマレーナが解いた白く長い布でしばって腰に巻き付けただけの、ほぼ裸のノーチェを。
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