第21話 甘いお菓子


「無理っ、無理ですって」

「いや、とりあえず物理で殴れば」

「でもでも、杖って魔法を使うためのものじゃないんですか」

「そうだけど、使ってる暇ないだろうが。棒だと思って振り回せよ」

「えっ、あれっ、これどっち向いてるんですか」

「反対反対。それじゃない、右のボタン」



「あらー」


 我に返った司が目をやった先には、お盆を持った緑川の母親が立っていた。


「あっ、こら、よそ見すんな」

 緑川が手を伸ばして、コントローラのホームボタンを押す。

 画面は一旦停止状態になった。


「るうくんったら、乱暴なんだから。どう?山田さん。楽しんでらっしゃる?」

 母親はにこにこしながら、部屋に入って来た。

「チーズケーキを焼いてみたのよ。お口に合うといいんだけど」

 二人の前の床に盆を直置きして、彼女はちょっと残念そうな顔をした。

「テーブルがないから、こんなところにごめんなさいねえ」

「いいえ、そんな。とってもいい匂いですね。それに、かわいい」

 司は小鳥の形をしたティーコージーを見た。

「冷たいものの方がいいかもと思ったんだけど」

「いいえ、こちらがいいです。ありがとうございます」

「そう? ごゆっくり、どうぞ召し上がれ」


 母親が階段を下りて行く足音を聞きながら、二人は口もきかず、盆に手も伸ばさなかった。

 足音が遠ざかってから、ようやく司が動いた。


「えーと、スフレチーズケーキですね。これ、結構手間がかかるんですよね」

「そうなのか。まあ、お袋の趣味だから。食べてくれ」

 緑川も、微妙に視線を外している。

「おいしそうです」

 司は、まずティーコージーを外した。小花プリントのキルティングだ。

「もしかして、これもお母様の手作りですか?」

「ん、ポットのカバーか? バザーかなんかで買ったんだと思う」

 司は注意深くティーポットを取り上げて、二つのカップに紅茶を注いだ。

「ティーセットはウェッジウッドですね。素敵」

「それって有名なのか? どっかからの貰い物だったはずだけど」

「私なんかにとっては、持つにも緊張する高級品です」

「へえ」

 たいして感動もせずに、緑川はカップをソーサーごと取り上げた。それからチーズケーキの乗った皿も。

「チーズは大丈夫か?」

「好きですよ」

「そうか、良かった。甘いものを作るなら、せめてチーズのにしてくれって、俺がしょっちゅう言ってるから」

 

ケーキを口にした司は、思わず「おいしい」と言った。

「すごいですね。お店みたいです」

「そうか。そりゃあ良かったけど、本人を褒めるのは適当にな。調子に乗るから」

「でも、これは本当に玄人はだしだと思います」

「え、なんだって?」

 緑川が眉根を寄せたので、司は早口で補った。

「プロのようだっていうことです。いいですね、しょっちゅうこんなものが食べられるなんて」

「良いことばかりじゃないさ。日常的に、こんな高カロリーのものを食べさせられてみろ。あっという間にでぶでぶだぞ」

「でも、緑川さんは…あっ」

 司は思わずトレーニングマシンを見た。

「お母様のおやつがきっかけで、鍛え始めたとか?」

「まさしくその通り。物心ついたころから、バターと砂糖たっぷりのおやつ漬けでさ。小学校低学年のころには、豚って言われる体型になっちまった。黒じゃない緑ブター、なんて言われて、もう絶対そんなふうに呼ばせないって決心したんだ。まあ、その頃は筋トレっていうより、走ったり縄跳びしたりだったな」

「そうだったんですか。そうやってカロリー消費して、おやつは断らないようにしたんですね」

「まあ、そうだな。俺は一人っ子だから、仕方ないもんな」

「羨ましいです」

 緑川は、そっと顔を背けた。

「山田ちゃん、兄弟は?」

「兄がいます。ここ数年、会っていませんけど」

「ふうん。実家を離れてるんだったら、そういうものなのか」


「…それで、あの」

 司はちょっと間を開けて、続ける。

「口に出さないのも、あれなんで。先ほど、お母様が呼びかけられましたよね」

「うん。そう。聞いてて聞かないふりされると、かえって妙だよな。うん」


 緑川は、坊主頭を掻きながら、明るく言った。

「あんな呼び方をするのはお袋だけだから、それはまあ置いといて。俺の下の名前、知らないだろ」

「考えてみたら、そうでした」

 司は膝を揃えて座り直した。

「前からいる奴らは、気を遣って知らんふりしてる。あれだ、今でいうキラキラネームってやつだからな。流れるに麗しいと書いて、るれいと読む」

 緑川はふうっと息を吐いて、一気に言った。

「そうなんですね。そこからの愛称でしたか」

 司は、さすがに<るうくん>と口にしなかった。

「本当は、琉球王国の琉って字にしたかったんだってさ、お袋。俺が生まれた頃は、まだ許されてない漢字だったから、仕方なく変えたんだと。麗しの琉球にしたかったんだとさ」

「お母様は沖縄のご出身ですか?」

「いーや。新婚旅行で沖縄に初めて行って、すっかり気に入ったんだってよ。俺は行ったことないけど」

「そうですか。そう言えば、麗しいっていう字は、時任と同じですね」

「ああ」

 思い出したという顔をして、緑川は大きくうなずいた。

「初めて会ったころ、そのことで盛り上がったなあ。まあ、今後は二度と口にしないってことで、互いの希望が一致したから盛り上がったっていうか」

 それを聞きながら、司は黙って何度もうなずいた。

「そう言えば、白男川先生のご主人は、沖縄のご出身だそうですね」

「うん。上原さんな」

「え?」

 司は、きょとんとして緑川を見た。

「あれ、知らなかったか? 先生は仕事上、旧姓を使ってるだけなんだ。戸籍上は上原なんだって」

「そうだったんですか。白男川っていうのが、沖縄のお名前だって思い込んでいました」

「そっちは鹿児島の名前。山田ちゃんでも、知らないことがあるんだな」

「そりゃあ、たくさんありますよ」

 司は、やや呆れたように言ったが、緑川は大きく手を振って即座に否定した。

「だって、山田ちゃんは物知りだろ」

「…物知り、ムヌシリって、ユタさんのことなんですよね。沖縄では。あの、ユタさんというのは、占いをしたりする、霊能者のような」

「ほら、な」

 緑川は、にやりとした。

「いえ、たまたま、でもないですけど、最近読んだ本にあったんです。先生がマブイの、あの、えーっと、沖縄で言う魂の話をされたので、沖縄の本を読んだんです」

「先生が、俺がいるときに言ったやつ?」

「そうです」

 緑川は、うーんと唸って考え込んだ。


「魂か。なあ、陽炎みたいな透明なものって、人の形をとれない魂じゃないのかなあ?」

「…魂? ああ、どこかで、魂にしっぽがあるって話を読んだような…、あれ、それって人魂の話だっけ…」


 一緒になって考え込んだ司は、自分の頭をこつこつと指で叩き始めた。

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