第14話 好意の置き所

 

 司は、まばたきをして時任を見た。


「なによぅ?」

「時任はすごい。いつも見ていてくれて」

「はぁ? 突然どうしたの?」

 面食らったように、彼女は司に問いかけた。

「うん。緑川さんも、ああ見えて観察眼の鋭い人だと思った」

「ああ見えてって…、ひどい」

 時任は遠慮なく、げらげら笑った。

「でもまあ、司の言うことはあってるよ。ただ、口は悪いから」

 言いさした時任は、はっとした。

「もしかして、デリカシーのないことでも言われたの? だったら、私ががつんと」

「ううん、そんなことない」

 司は慌てて、彼女の発言をさえぎった。

「緑川さんは、時任に気を許してるから、乱暴なことも言うんじゃない?」

「そっ、そうかな?」

 時任は、不意を突かれたように目を泳がせた。

「私には、営業マンらしく紳士的だった」

「へえ。変なの。でも、何となく解る気がするのが、やだ。で、どんな話したの?」

「耳鳴り持ちで、<あおぞらクリニック>で診てもらってる、とか」

「えー」

 時任は、わざとらしく非難がましい声を上げた。

「それは、リョクさんじゃなくても紳士的対応になるわ。それに、営業マン的なやつ」

「だって、共通の話題もないし」

「そっか。仕方ないね」

 仕方ないと言いながら、時任はあからさまにほっとしていた。もちろん、それを見ても司は表情を動かさない。


「あ、今更だけど、二人の共通の話題、思い出した」

 時任が突然そう言ったので、司は首を傾げた。

「ほら、リョクさんが心酔してる、白男川先生」

 司は、ああそうかとうなずいた。

「カラス云々の話は、リョクさんには内緒にしてるんでしょ? そんな感じだから、私も言わないでおいたけど」

「うん。なんか、ややこしくなるかなって思って」

「だよね。それでね。白男川先生がリョクさんに、司のことを訊いてたみたいなのね。先生が司のことを気に入って、自分のところに来てくれなくなったらどうしようーって言うから、馬鹿言うんじゃないって言っといた」

 時任は小鼻をふくらませた。

「でも、先生はどうして、私のことを訊いたりしたのかな?」

「リョクさんは、感じの良いお嬢さんねって言われたって言ってたよ。だから、司に先生を取られちゃうって思ったんでしょ」

「本当に? 私、何か先生の気分を害したんじゃないかな」

「ないない。司に限って、それはないわ。店で会ったときだって、ちゃんとお礼を言ったんでしょ?」

 時任は豪快に笑って、話と休憩時間を切り上げるべく、壁の時計を見上げた。



 その日から、時任の予想通り、直哉が週に一度かそれ以上、司の元を訪れるようになった。

 眠りたい盛りの高校生が不眠に悩んでいるという状況は<こもれび>の人びとの同情をかったらしく、司は直哉の相手を推奨されていた。どうも、所長夫妻が話の大元らしい。

 なので、直哉が現れると、気付いた誰かがすぐに司を呼びに来る。直哉本人も、それを当たり前に思っているらしかった。

 中林あたりは「専任のカウンセラーってことでしょ?」と言い出す有様だ。

 従業員の休みは不定期なのだが、直哉はいつの間にか、司の休日まで熟知するようになっていた。




 その日も、司は直哉の相手をしていた。

 夏物のシーツが大々的に売り出されたばかりで、直哉はサンプルを触りまくり、一応は客であるというアピールをしていた。

 大きなポップも立てられたその一角には、他の客もやってくる。それもあって、プライベートな話はしないつもりらしい。


 他の客が途切れたとき、姿勢良く真っ直ぐ進んでくる白男川の姿に、司はいち早く気付いた。

 白男川の方は直前まで気付かなかったようで、司を見て驚いたような顔をした。そのまますいっと視線が流れる。司の少し左横。一瞬だけ眼光が鋭くなったが、彼女はすぐに笑顔を浮かべた。


「いらっしゃいませ」

 司は丁寧に頭を下げた。

「こんにちは。なぜか、あなたとはすれ違いになっていたのよ」

 彼女は、はきはきと言った。

「そうでしたか。度々いらしていただいて、ありがとうございます」


 挨拶をしていると、司の陰に隠れていたつもりの直哉が「ゆみ先生?」と、おずおずと顔をのぞかせた。そんなことをしなくても、頭は上に突き出ているのだが。

「あら? そう呼んでくれる君は、私と体操をしたことがあるのかな?」

「はい! やっぱり、ゆみ先生なんですね」

 司は一歩引いて、黙ったまま二人を交互に眺めた。

「君は、どこの幼稚園、それとも保育園、だったのかしら」

「くるみ幼稚園です。弟が通ってたときも、体操の日に行ったんです。すっごい楽しかったの、覚えてたから」

「そうなの。こんなに大きくなっても、覚えていてくれてありがとう」

 にこやかなやり取りを聞きながら、司は小さくうなずいていた。

「あ、体操のこともだけど、僕、陸斗と友だちなんです」

「えっ、そうなの?」

 白男川が目を見開いたので、司も小首を傾げた。

「何かのときに、幼稚園の頃の話をしたことがあって。ゆみ先生の体操の日の話をしたら、叔母さんなんだって自慢されて」

「まあ、リクが自慢だなんて。嬉しいわ」

 白男川は、小さく手を叩いた。

 直哉も嬉しそうにして、司に顔を向けた。

「あ、山田のお姉さん。実況動画の友だち。あのシルクロード。先生はその、叔母さんなんです」

「シルクロード?」

 何度かうなずく司の横で、白男川がなぜだか眉間にしわを寄せた。

「あ、先生は知らないか。これ、言っても大丈夫なのかな?」

 その表情が気になったのか、直哉はしまったというように唇をかんだが、白男川はすぐに笑顔に戻った。

「私なら、リクを叱ったり、言いつけたりする関係性が無いから大丈夫」

「なら、良かった。あいつ、鹿児島に行ってから、実況動画の投稿してるんです。あ、ゲームをプレイしながら、解説みたいなことをするんですけど、解りますか?」

「ええ、解るわ。ゲームはやったことないけど。で、リクのハンドルネームがシルクロードなのね?」

「ハンドルネームって、知ってるんだ」

「それくらい知ってるわよ」

「すごいな。そうなんです。僕も、更新があったら必ず見てます」

「そう。離れてもリクのお友だちでいてくれて、ありがとう」

「いえ」

 直哉は、とても嬉しそうに笑った。

「今日は、先生に会ったってリクに教えます。あ、お姉さん、俺帰るから」

「え、お買い物じゃないの?」

 白男川が引き留めかけたが、彼はいそいそとした雰囲気を振りまいて帰ってしまった。




「先生、幼稚園でも、体操を教えてらっしゃるんですね」

 直哉が引っ張り出していったシーツの袋を戻しながら、司はさりげなく話しかけた。

「年に一回ほど、呼んでくれる園があるのよ。父の日とか、体育の日とか、親子イベントに」

「楽しそうですね。寺田君も、よく覚えているようですし」

「何年もたっているのに、ああやって喜んでもらえると嬉しいわ」

 白男川が手元のシーツを眺めているので、司はそっとその場を離れようとした。しかし、話は終わっていなかった。


「あの子。寺田君? よく来るのね?」

「はい」

「リクの動画の話をしてるっていうことは、買い物するだけじゃないっていうことでしょう?」

「そうですね」

 白男川はうつむいて、くすっと笑った。得心が行ったように「なるほど」とつぶやいてから、司に視線を戻す。

「なんだか、ワンちゃんみたいだったわ」

「え、寺田君がですか?」

 首を傾げた司は、視線をさまよわせた。

「そう。あなたになついた犬」

「…他にも、そう言った人がいます」

 ため息に続けた司の言葉に、白男川は大きくうなずいた。





 

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