第9話 夜の女神


 急な夜勤と、予定外の休み。

 通勤途上の人の流れに逆らって、司は一人暮らしのアパートに帰った。

 そして同じ日の夜の初め、同じ道を反対にたどった。帰宅する人の流れに逆らって。


 大通りをそれた司は、駅近くの古い商店街を歩いていた。

 シャッターの下りた空き店舗も一つ二つではない。なので人通りは少なく、ただ屋根のある通路になっている感があった。

 スピードも緩めずに通る自転車があるので、できるだけ端に寄っていた司は、建物と建物の隙間に動くものを感じて、何げなく顔を向けた。


 古いエアコンの室外機の上に、一羽のカラスがいた。しきりに頭を上下しているカラスは、くちばしに何かくわえている。

 思いがけず足がすくみ、司はそこから目を離すことができずにいた。


「何見てんの?」


 思いがけず近くから声が降ってきて、司は金縛りが解けたように振り向いた。時任の声だとわかっていたからか、気まずさを顔中に浮かべて。

「やだ、カラスじゃない。怖くないの?」

 彼女は露骨に嫌悪感を表した。

「司が襲われたって聞いてから、気持ち悪いよ」

「ううん、あれは特別だったから」

 司が首を振って歩き出すと、時任もその横に並んだ。

「でもでも、カラスが人を襲うって話、たまにあるらしいじゃないの」

「うん。でも大丈夫」

「ゲームでも、ちょっとした悪役だよ」

「ゲーム?」

 司はそっと時任を仰ぎ見た。

「ゲームやるの?」

「うん、たまにね。<あかるあやかし>って知ってる? 最近、やってるんだ」

 時任はくすくす笑いながら「知ってるはずないか」と付け加えた。

「ごめん、知らない」

「だよねー。スマホゲームなんだけど、元々あるゲームの簡易版みたいなものらしいのね。選択肢によってストーリーが変わるっていう程度のやつ。アニメや漫画みたいな感じで、まあ面白いよ。基本無料だし。元のゲームのファンもやってるみたい」

「ふうん。そういうのがあるんだ」

 司が大きくうなずいたので、時任は勢い込んだ。

「平安時代っぽい和風の世界の物語なんだ。主人公は、記憶を失った町娘でね、プレーヤーはその町娘になって、選んだキャラとのカップル成立を目指すの」

 時任は、楽しそうにゲームについて語りだした。司の絶妙な相づちでどんどん話が続いていく、それがいつものスタイルなのだ。


「でさー、今はケイショウ様ルートなわけ。エイケイ様のときは微妙だったから、上手に駆け引きできるようにがんばってるんだ」

「結構頭も使うんだね」

「そうだよー。ノリチカ様がやたら邪魔してくるから、怒らせないようにかわさなきゃいけないんだもの」

「それって、悪役?」

「ううん、メインキャラなんだ。主人公を自分に振り向かせようとして邪魔してくるの。それがちょっと快感だから、ノリチカ様ルートはあえてスルー」

 時任は、ふふっと笑った。

「恋の駆け引きってこと?」

「やだー、司、その言い方は婆臭い。あ、あそこのお店だよ」

 話しているうちに、目指す店の前に到着した。

 時任は、勝手知ったるというように挨拶し、靴を脱いで二階へと司を連れて行った。座敷いっぱいに長テーブルが並べられているが、まだ半分も集まっていない。

二人は端の方に並んで座った。


「それで、さっきの続きだけど」

「うん」

「ノリチカ様はボス的なキャラだから、眷属とかも使って邪魔してくるわけ」

「へえ、結構本格的」

「でしょでしょ? 一番の子分みたいなのが夜の女神なんだけど、それがカラスを使って嫌がらせするんだよねえ。金色の目のカラス。怖くない?」

 司は、まぶたをぴくっとひきつらせた。いつもの時任なら、というか時任だけが気付くような変化だったのだが、今は話に夢中で気付かない。

「夜の女神は、醜い姿を恥ずかしく思ってて、着物の袖でこう、顔を隠してるの」

 時任は腕を上げて、目から下を隠してみせた。

「しかも本当は、ノリチカ様に恋してるんだよね。それなのに、ノリチカ様の恋を成就させるための手伝いをさせられるって、設定なの。そこはかわいそうだけど、女神とカラスのコンビって怖いんだ。まがまがしいっていうの?」


「お疲れさまー。って、あんた今日は休みだったね」

「体調万全で飲む気満々?」


 続々と到着した女性陣が、話途中の時任に声をかけた。

「えへ、お疲れさまです」

「それより、司こそお疲れさま。早番からの急な泊まりなんて、大丈夫だった?」

「えっ、司、泊まり明けなの?!」

 時任が目を丸くして、大きな声を出した。

「うん」

「それで一人で歩いてたの?」

「うん」

 女性陣は、店から来るなら一緒に来るよと口々に言った。

「それはそうね。司、大変だったのね」

「ううん、大丈夫」

 司は、いつもの表情だがきっぱりと言った。





「…昭和二十九年に祖父が興した森脇寝具店をたたんで<こもれび>を開設するにあたっては、大きな迷いがありました」


 やがて始まった飲み会で、すっきりと散髪したての所長がまず挨拶に立った。

「しかしながら、旧店舗での創設期を経て<こもれび>への転身、また、期間限定でのリバーサイド店での顧客開拓、一つ一つを積み重ねてこの春、念願であった広い店をオープンさせることができました。私が社長を継いで二十年余り。早世いたしました父、創業者である祖父共々、歯がゆい気持ちで化けて出てやろうと思ったことも、たびたびあったかもしれません。しかしながら、ここに集まってくれた全社員、そして、惜しまれつつ後進に道を譲った元社員の営々たる努力の下、めでたく今日を迎えることができたわけであります」

 所長は目を潤ませながら、声を張り上げた。

「本日は、日頃営業に回っている諸君、先ごろまでリバーサイド店と本店とに分かれていた諸君、新入社員が一堂に会しためったにない機会です。大いに親睦を深め、明日からへの活力としてください。では各々、近くの人のグラスを満たして」

 心得た数人が手早くビールの瓶を回し、全員がグラスを掲げ持った。

「いいね? 皆、行き渡ったね? それでは<こもれび>の明日へ、乾杯!」

「「乾杯!!」」


 皆と声を合わせ、司は半分ほどに控えてもらったビールに形ばかり口をつけた。拍手は熱心にやった。

 さすがにこの夜は泊り客も受けず、一人の欠席者もなく集まったのは三十三名。司の知らない顔もある。

 この人数にはちょっと無理のある座敷に、ぎゅうぎゅう詰め合って座っていた。


「まずは、食べて食べて。温かいうちに」

 かつての寝具店の近くにあり、店主は所長の幼なじみだという居酒屋の二階には、料理の皿が次々と運び込まれてきた。

「ビール注ぎに回ったりしなくていいんだ」

 司のつぶやきに、時任は笑った。

「こんな狭いところで、無理でしょ。心配しないで」

 女性ばかりで固まったテーブルでは、早速大皿の料理が取り分けられている。司も遠慮なく箸を伸ばした。

 定番の鶏の唐揚げなどの他にも、スモークサーモンと野菜のマリネ、小エビとトウモロコシの落とし揚げ、ほうれん草でも入っているのか緑色のシューマイなどが並んでいる。

美味しそうな手作り弁当がいつも注目される中林は、その場の料理のレシピについて周囲と盛り上がっていた。

主に男性陣はビールの瓶を次々空にしている。新入社員の安田が早速、階下に注文に行かされていた。


「山田さんは、トキトウさんと仲が良いんですね」

端の方に座っている司に、ビールを待っている安田が話しかけてきた。当の時任は、ちょうど席を立っていた。

「ええ。いつも、助けられてばかりで」

「ああ、面倒見が良いですもんね」

彼は、まぶしそうな顔をした。

「しゃきしゃきしてるし、華やかだし」

司は彼の既に赤い顔を、いつもより生温い笑顔で見やった。

「表裏もないし、よく気がつくし」

「そうですね。あと、トキトウじゃなくてトキトオって呼んであげれば完璧です」

「え、あっ、マジで? やば、ありがとうございます」

安田がぺこぺこと頭を下げているところに、十枚ほどの取り皿を抱えた時任が戻ってきた。

「あら、安田さん、司をいじめてたんじゃないでしょうね」


「いやいや、そんな、めっそうもない」「とんでもない」


同時に声を上げた二人を、時任は冗談ぽく睨んだ。つんとした流し目が安田に向くと、彼の顔が更に赤くなる。

そこに階下からビールが届き、受け取った安田はそそくさと奥に運んでいった。


「なんで、謝られてたの?」

時任に聞かれて、司はくすっと笑った。

「ありがたがられてたのよ」

「あ、そうなんだ。悪いこと言っちゃったか」

ぺろっと舌を出す彼女を、司は微笑ましげに見た。

「なーに?」

「ううん。同類としては、見守るわ」

「え、何? 変な司」

 時任は面白そうに笑った。


 

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