第10話 まさかの寝落ち?


 料理と酒が進んで、座がすっかりほぐれたころ、所長が立ち上がった。


「はい、みんな聞いてー。日頃あんまり顔を合わせない人もいるんだし、一言ずつ自己紹介いってみよー!」

 おー、などとノリノリの面々も、いやだあという否定組もまあまあとなだめて、所長は咳払いをした。

「僕は開会の挨拶をしたからね。まあ、ここに僕のことを知らない人がいたら、まずいわけだけど」

「言うほど知ってるわけでもないぞぉ」

 間髪入れずに飛んだ声に、一同が沸いた。

「えー、そうかな? じゃあ、改めて。森脇高志です。所長です。オーナーです。趣味は釣りです。もうじき、スズキがねらい目の季節がきます! 興味のある方は、初心者でも大歓迎! 一緒に行きましょう! ということで、次はここからこう、ずーっと回っていって」


 所長に指示されて、隣から順に立ち上がって自己紹介を始めた。名前と所属のほかは「よろしくお願いします」だけもあれば、所長に負けじと笑いを取りにいく者もいた。

 司は、見るからに緊張して上の空だった。なので、緑川が立ち上がったときも、ろくに見ていなかった。


「営業の緑川です。趣味は、世界を救うことです!」

「よっ。待ってました!」「勇者殿!」


 どっと沸く中、右のこぶしを突き上げる緑川を見て、司はぽかんと口を開けた。


「熱中しすぎて寝不足ーという時代は通り過ぎましたが、そのようなお悩みをお持ちのお客様の力にもなれればと、思っております」

 拍手と笑いの中で腰を下ろした緑川に気を取られていたせいで、自分の番が回ってきても、司はどこか上の空だった。


「リバーサイド店から参りました、山田司です。泊まりの対応もしています。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げると、所長がすかさず「昨夜も緊急の泊まり、お疲れさん!」と声をかけてくれた。おかげで、驚きの声と、お疲れさまという大きな拍手が起こった。

 次の時任も、立ち上がりながら拍手をした。

「と、き、と、お、です。ときと、う、では返事をしません」

「あんたは赤毛のアンかい」

「トキトオのオにはNが二つ。って、違いまーす」

 中林の突っ込みに、彼女は素早く返した。女性陣は笑ったが、男性陣の反応は微妙だった。

「ときと、お、です。ときとおと、呼び捨てでどうぞー」

 ウグイス嬢風に言うと、今度は男性が大きく沸いた。

 

 艶然と微笑んで座った時任は、司の耳元に口を寄せた。

「ねえ。リョクさんにあきれてたでしょ?」

「え、え、そんなこと」

 司は慌てて否定した。

「堂々と言ってすごいなって、びっくりしただけ」

「まあ、そうだよね。なかなか口に出すことじゃないもんね」

 そう言いながら緑川を見やる横顔を見て、司は小さく「あれ」とつぶやいた。けれど、その声は時任の耳には入っていないようだった。





 司の記憶があったのは、全員の自己紹介が済んだあたりまでだった。


「せっかくのデザートだし、どうする?」

「うー、おいしそう」

「ちょっと! もらっちゃおうとか思ってないよね?」


「あ、起きた?」


 司は、テーブルに伏せていた頭を起こした。


「やだ、かわいい」

「つかさー、デザート来たよ。食べられるー?」


 周りの女性たちが、しきりに司の世話を焼こうとした。

「予定外だったから、やっぱり疲れたんだね」

 急な夜勤があったと知れ渡ったので、すっかり同情モードらしい。

 男性たちも、司のことはそっとしておこうという雰囲気だった。

「お酒も弱いんでしょ? 大丈夫?」

「あ、すみません。ご迷惑おかけして」

 差し出された冷たい水を一口飲んで、司は周囲に頭を下げた。

「迷惑なんて何も。ただ寝てただけじゃない」

「そうそう。せっかくのお料理も、あんまり食べてないでしょう」

 言われてテーブルを見回せば、空になった皿数が増えていた。

「まあともかく、みんな、デザート食べよう」

 時任が手を伸ばして、司の分の皿を引き寄せてくれた。

 白くてぷるんとしたプリンのようなものとイチゴに、うっすらと黄みがかった白

いソースがかけられている。

「これって、ミルクプリン?」

「えー、ブランマンジェじゃないの」

「パンナコッタだよー」

「どれでもいいじゃん」

 わいわい言い合いながら、それぞれにスプーンを手にした。

「違いって何よ?」

「パンナコッタはイタリアでしょ。ブランマンジェはフランス。同じものじゃない?」

 料理好きの中林が言ったので、みんな、ああそうかとうなずいた。

「…パンナコッタはゼラチンで固めに」

 ささやき程度の声でつぶやいた司に、時任が反応した。

「あ、司、知ってるの?」

 時任の声に、周囲が注目した。

 司は赤くなったが、小さな声で続けた。

「ブランマンジェは、本来アーモンドミルクとゼラチンで、緩めに作るようです。ブランは、白色っていう意味で。牛乳とコーンスターチの作り方もあって」

「これは牛乳だよね」

「ゼラチンだと思うわ」

 周囲もうなずき合う。

「パンナコッタの方が固めで、生クリームが多いらしい、です。パンナが生クリーム、コッタが煮るっていう意味らしいので」

「生クリームって感じじゃないよね、これ」

「じゃあさ、ミルクプリンで決まりってことで。とりあえず、ここは居酒屋だし」

 時任が締めて、みんなは笑いあった。


「司ちゃん、お菓子作り好きなの? 詳しいのね」

 あっという間に食べ終わった中林が、楽しそうに話しかけた。

「あの、あまり、そういうのは。たまたま、最近知っただけで。自炊はしてます、けど」

「ああ、一人暮らしだったわね。賢く工夫してそうね。あんたたち、料理はするの?」

 中林に話を振られた数人は、きゃあきゃあ騒いでごまかそうとしていた。

「私も、料理はしてないなあ。ま、いざとなったらなんとかなるっしょ」

 騒ぎをしり目に、時任は司に笑いかけた。

「うん。私も凝ったものは作らない」

「でも、栄養は考えてそう」

「旬のものは安くなるって思うから、値段と産地重視かな」

 司はなぜだか目を逸らし、時任はそれを見逃さなかった。

「どうしたぁ?」

「あのね。今日は月に一度の半額市だったのね。スーパーマルエイの」

 二人はひそひそ声になった。

「どうしても逃したくなくて、十時に買いに行ったから、その、寝不足で。まさか、こんな席で寝ちゃうなんて」

「あー、そうだったんだ」

 時任は、さも気の毒そうな表情になった。

「いろいろと運が悪かったね」

 司は首を横に振りはしたが、時任の言葉を強く否定はしなかった。





「さーて、二次会行くぞー」


 お開きになってからは、若手が集まって次の店に行く流れになった。

「司も行く? せっかくの機会だし」

「うん…」

 なんとなくというか、司もうなずいた。男女半々、十数人が参加するらしかった。

「あ、本田さーん。話があったんでしたー」

 一緒にいた時任がグループの前のほうに走って行き、司はしんがりでゆっくり歩いていた。商店街から外れて、人通りの少ない路地を歩いてゆく。

 そのとき、視界の端で何か小さなものが落下した。


「あっ」

 動いた場所を見直すと、緑川の大きな背中があった。

「あ、あの、何か落ちました」

 小走りに駆け寄って、司は彼が右肩にかけたリュックを指さした。

「ん?」

 リュックを前に回して確かめた緑川は、あっと声を上げた。

「無い!」

「キーホルダーか何かですか? たぶん、あそこに」

 司は、通り過ぎた道の側溝を指さした。幸いなのか不幸にもか、蓋はコンクリートではなく金属の格子タイプだ。

「暗くて見えないな」

「ちょっと待ってください」

 司は家の鍵を引っ張り出した。伸びるキーチェーンでバッグに付けたものだ。一緒に、小さなLEDライトも付けてある。

 バッグを体の前に抱えなおすと、司はライトで側溝をあちこち照らした。


「あった!」

 緑川が声を上げたところで動きを止める。

 照らされた先に、小さな剣のようなものが見えた。緑川は蓋を持ち上げようとしたが、うまくはずれない。

「ちょっと、待ってください」

周囲を探していた司は、落ちていたチラシを拾ってきた。斜めにくるくると丸めて棒状にすると、地面に膝をついた。チラシの棒で探ると、何度か失敗した末に、キーホルダーの輪の部分を引っ掛ける事ができた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう。そうまでしてくれて、ありがとう」

膝の汚れを払っている司に、緑川は何度も頭を下げた。

「全然気付かなかったし、助かったよ。これ、やっと手に入れた激レアなんだ」

「落ちたところが偶然見えて、良かったです」

司は、小さな声で言った。

「連中、もう店についてるだろうな。行こうか」


歩き出した緑川は、司に歩調を合わせてくれた。

路地からさらに曲がった先に、ぽっと店の灯りが見えてきた。

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