第8話 夜は明けた


「後で調べたら、あいつらのゲームのセリフだった」


 直哉は、わざとらしく肩をすくめた。

「話題になっていた、そのゲーム?」

「そう。まあ、普段言うようなセリフじゃないじゃん? もしかしてと思ったら、メインキャラの決めゼリフだった。金髪のイケメンなのに、こう角が生えてんの。鬼だから。そんなキャラのセリフ吐いてんじゃねえっての、ブスが」

「そこで、容姿についてのその言い方は、無いと思いますが」

 小声ながら笑みを消して言う司から、直哉は目を逸らした。

「うん、口が滑った。悪かった」

「同類として、受け取っておきます」

 司はにっこりしたが、直哉は少しだけ首をひねった。


 それでも司のことは、まあ気にならなかったのだろう。直哉は振り払うように首を振った。

「あのときは、普通じゃなかったな、あいつ」


「今まで、忘れていたんですね? そのこと」

 司は、ほんの少し首を傾げた。

「うん。だけど、あいつの目つきにはぞっとした。だから、関わらないでおこうって思ったんだな。あっちも、もう絡んで来ようとしなかったし。でも、そもそも何だったんだ、あれ?」

「…夜は妖の時間。我々の領域から出て行けっていう意味では?」

「え? すげえ、さすがお姉さん。そうかも」

 直哉は素直に感心した。

「山田です」

「山田のお姉さん、すげえな。でも、その場で通じなかったんだから、やっぱりあいつ、馬鹿じゃね?」

「そういうのはやめましょう」

「はいはい」

「通じてなかったとしても、発動はしたんじゃないですか?」

「発動?」


 直哉はさっぱりわからないという顔をしたが、すぐにうっすらと笑った。

「そんな×××みたいな××、×××ねえし」




 

「…お姉さん……山田のお姉さんってば」


「ごめんなさい、ちょっと」

「なんか、貧血みたいな顔してるけど、大丈夫?」

「あ、ええ」

 司は両方のこめかみに両手の指先を当てて、きゅっと目をつぶった。

「申し訳ありません…」

 司がようやく目を開いたとき、心配そうな顔の直哉がほんの一瞬だが、何かに驚いたようにまばたきした。


「あの、ちょっと耳鳴りが。お客様の前でこんなことに」

 司は何度も頭を下げた。

「いや、そういうのはいいから。店の人、呼ばなくていい?」

「いえ、あの、それは」

「あ、怒られるのか? ごめん」

 困った顔の司を見て、直哉は勝手に気をまわした。

「自分の勝手じゃなくって、起きてなくちゃいけないのって、大変だな」

「いえ、あの、起きているのは大丈夫なんです」

「本当に? 俺だって、しばらくちゃんと寝てないせいなのか、今、目が変になったけど」

「えっ?」

「あ、別に具合は悪くない。気のせいだったかも」

 直哉は慌てて手を振って笑ったが、司は一瞬にして真剣になった。

「目が、どうかなったんですか?」

「何でもないって。ちっちゃい光のつむじ風みたいなのがさ。うん? これって変な言い方だな。何か光みたいなのが見えた気がしただけ。ほら、あるじゃん。ちかちかっとした光の点々みたいなのが見えること。あれみたいなのが一個だけ、ぴって」

 矢継ぎ早に言って、ふうと息をついた直哉は、そのまま小さなあくびをした。


「あれ? 俺、今、あくびした?」

 司がうなずくと、信じられないというように首を振った。

「ちょっと、横になってみますか?」

「あ、その方がいいかも。その間に休んでて」

「いえ、そういうお気遣いはなさらずに」

「でも、他の客も寝てるだけだろ? 休めばいいじゃん」

「勤務中ですから」


 ぎこちない初デートのようなやり取りの後、直哉は部屋に入ることになった。司も後ろからついて行く。

「私はこのカウンターにおります。出てきてくださっても、お電話でもかまいません。眠れないようなら、お相手します。無理することはありませんよ」

「うん、わかりました。じゃ、ちょっと」

 

 なぜだか恥ずかしそうに部屋に引っ込んだ直哉を見送って、司はカウンターの中の椅子に座った。とたんに常よりも血の色を失った顔が、何かに耐えるようにゆがめられた。


 数分後、ふうとため息をついた司は、カウンター下からバインダーを取り出した。直哉の顧客カードに<カウンセリング/山田>と記入する。その後、ボールペンを握ったままの手を宙に止めてしまった。ときどきまぶたがぴくぴく動く。何事か熱心に考え込んでいる様子だった。

 しばらくしてカウンターの脇のパソコンに向かったものの、その手は止まりがちだった。





 翌朝七時過ぎ、部屋から出てきた直哉は、パジャマ代わりにしたのか体操服姿だった。夜の間にしゃべりすぎたことを恥じるように、司からは微妙を視線を外していたが、顔色はずいぶん良い。

 身支度を整えてきてからは、親しみも取り戻したようだった。


「俺、起きてるつもりで夢を見てたのかもしれない」

 彼はさわやかな口調で、そう言った。

「昨夜は夢も見なかった、と、思う」

「はい」

「布団に入って電気消したら、自分のスイッチも切れたみたいだった。目が覚めたときも、スイッチが入ったみたいだった。びっくりした」

「そうでしたか」

 大きくうなずいた司に向かい、彼はぺこりと頭を下げた。

「話を聞いてくれて、ありがとう」

「いくらかでも、お役に立てたなら良かったです」

 

 司は従業員用の通路から、直哉を店の外に送り出した。

「それでは、いってらっしゃいませ」

「あー、はい。照れるなあ、そういうの」

 おどけながらエレベーターに向かう足をふと止めて、直哉は片手を挙げた。

「病院で診てもらった方がいいよ。じゃ」

「そうします。お気を付けて」



 中に戻った司は、事務所前の廊下で所長に会った。

「おはようございます」

「おはよう。お疲れさん。無事に登校したようだね」

 所長も機嫌が良さそうだった。

「はい。寝られたそうです」

「そりゃ良かった。それにしても、昨夜は他がいなかったからいいけど、カウンセリングの場所を考えなきゃならんな。自販機のところで話したんだろ?」

「はい」

「人によっては、だだっ広いところは嫌がるだろうからなあ。相談に行ってみるか」

 あごに手を当てて考えていた所長は、司を待たせていることに気付いて手を振った。

「ああ、戸締りしたら帰っていいよ。今日は、夜に出てきてくれたらいいから。場所はわかるね?」

「はい」

「僕は、朝飯食いに帰ってくるから。じゃ、夜にまた」

 あー腹減ったと出て行く所長を見送ってから、司も部屋の片づけに戻った。

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