第6話 吹雪龍ファブニル

 おとぎ話のような風景という言い方がある。中世ヨーロッパ風の場合に、よく使われる表現だろうか。


 フレイア村。


 何らかの植物で葺いた、きのこの傘のような茶色い屋根の家々。緑に覆われた緩やかな丘陵地帯。放牧された羊。どこもかしこも丸い感じの景色。いかにものどかな農村だ。


 暮らしているのは人間だ。耳が少々とがっているが、そのほかの見た目はまあ、普通の人々である。長めのエプロンドレスにボンネットという女性、くるぶしの見えるズボンにチョッキという男性。だいたいが茶色の髪で、やはりヨーロッパ的である。

 シチューだろうか、暖炉の火にかけた鍋をかきまぜる母親。犬を交えて追いかけっこをしている幼い兄弟。家の前でパイプをふかす老爺。りんごのような赤い実をかごに入れて、隣家を訪れる老婆。のんびりと羊を追う少年。畑を耕す壮年の男性。

 空は青く、ぽっかりと浮かんでいる雲も丸みをおびて、小川の水面はきらきらと光を反射している。


 ところが、この美しくのどかな村の大地が小刻みに震えだす。

 素朴な木製テーブルの上の食器が、かちゃかちゃと音をたてる。立っている人々がよろける。幼子が尻餅をつく。焼き物のカップが床に落ちて割れる。柔らかな草に覆われた牧場に地割れが走る。


「地震だ!」

 誰かが叫ぶ。

「いや、違う」

 目元が長い毛に隠れた牧羊犬のように、長く白い眉毛で目が隠された老爺がゆっくりとつぶやく。

「厄災が訪れたのじゃ」


 みるみるうちに盛り上がった地面、村を引き裂くように広がった割れ目から、大量の土砂が吹き出す。

 その陰に、暗い灰色のかたまりが現れ、伸びあがり、金色の瞳と鋭い牙がまがまがしい光を放つ。


 岩砕龍クニパル。


 銀茶色の鱗をまとった巨大なサーベルタイガーのような姿。

 猛々しい前足をちょっと振るっただけで、水面を叩いたかのように土砂が吹き上がった。

 村は、跡形もなく土砂に覆い尽くされた。





「まるで映画のようですね」

 ため息を吐くように言いながら、司は直哉にスマートフォンを返した。

「結構前のゲームだし、ハードもハードだからグラフィックは良くない。それでもまあ、がんばってるかな」

 平然といようと思っているのだろう、ぶっきらぼうなしゃべり方をしながらも直哉の声はかすれていた。

「最近のゲームは、もっとずっときれいだし」

「そうなんですね。縁遠い世界ですが」

 司はにっこりとうなずいた。

「関連動画もたくさん表示されてましたね」

「や、古いソフトだから少ないほうだし。これは、懐かしがってる奴が最近上げてた」

 ぶつぶつつぶやくように言いながら、直哉はスマートフォンをポケットにしまった。

「ゲーム関係の動画、よく見るんですか」

 司は、ふと思いついたように訊ねた。

「うーん、まあ。最近、あんまゲームできないから、代わりにっていうか」

「ああ、お勉強があるから、お母様も制限しようとされるんですね」

「うん」

「そういえば、今夜は宿題とか、大丈夫ですか?」

 司は腕時計を見た。

「明日の分は大丈夫」

 そう言いながら動いた直哉の視線の先には、帰ってゆく従業員の姿があった。


「夜通し働く人は少ないんだ?」

「はい」

「お客の具合が悪くなったら?」

「そのときは、事務所から男性社員を呼んできますし。三階の警備会社とも契約していますからね。ボタン一つで飛んできます」

「そっか」

 直哉はテーブルに肘をつき、組んだ手にあごを乗せた。

「体調に不安がありますか?」

 司が首を傾げると、腕を下していいやと否定する。

「夜、お客が寝静まって」

 その続きがなかなか出てこない。そんな直哉の胸のあたりに視線を向けたまま、司は表情も変えずにじっとしていた。


「………こんなとこで起きてなきゃなんないとき、何かあったらどうしようって、悪い方に考えたりは?」

「夜に限らず、あります」

 司は、口元の微笑みを消さずに続けた。

「地下街を歩いているとき。ひとりでエレベーターに乗っているとき。バスや電車に乗っているとき。大災害が起きたらどうしようって考えることがあります」

 直哉は、のどの奥でうっとかすかな音をたてた。

「…そういうときは?」

「非常口の確認をします」

 司の目つきは、いたって真面目だった。

「うへえ」

「非常用ボタン、特にエレベーターのを押してしまわないように、ありったけの理性をかき集めます」

「へええ」

「だから、パニックの原因になりそうなものは避けます。映画とか」

「だろうな」

「でも、残念にも起こる状況はあって、混乱の毛糸玉って呼んでるんです」


 短く声を発しながら反応していた直哉が、黙ったまま顔中で<?>を表した。

 一瞬、二人の視線が交錯した。


「クニパルって、倒せたんですか?」


「いや、その毛糸玉の説明してよ」


 それぞれが、互いの目を見ないように注意しながら、大真面目に発言した。


「ご要望であれば」

 司は小さく咳払いをして続けた。

「一般論として、慣れた場所では人は深く考えずに行動します。左足を出したら次に右足が出る的な。自宅近くのバス停からバスに乗ったら、降りる場所のことか、その場所で行うことを考えるかもしれません。三時間目の数学は嫌だなとか、帰りにノートを買いたいとか」

「うん」

「それがまっすぐ伸びた毛糸、家から学校といった場所に至る動線を表すとします。毛糸玉は拠点、つまり自宅にあります。イメージできますか?」

「うん、まあ」

 直哉の視線が、ちょっと泳いだ。

「ところが、いつもの生活では起こらないような事件災害事故が起こったとします。毛糸はぐしゃぐしゃにされて、きれいな玉に巻き直そうとしても難しい。それは嫌だ。そのために、自分を落ち着かせる呪文にしているんです。混乱の毛糸玉に注意、って」

 直哉は即座に身震いをした。

「お姉さん、いつもそんなこと考えて行動してんの?」

「山田です。いつもじゃないですよ、もちろん」

「ふうん。…まあ、俺も人のこと言えないか」


「クニパル登場のシーンが、引き金を引いたんですね?」


 司に問われて、直哉は素直にうなずいた。

「やり込んだゲームだったんですよ? 登場の仕方もよく覚えてたし。なのに、首から背中がすうって冷たくなって、貧血でも起こしたんじゃね?って焦ったりして。手も冷たくなったり。でも、何考えてんだって言い聞かせて、ちゃんとプレイに戻ってクニパル倒したし」

 直哉は、半笑いで自分の頬をべしべし叩いた。

「倒したとこで、その夜は寝ようとしたんです。いつも通りに。家族の寝静まった夜中に、こそこそトイレ行ったりなんかして。部屋の電気消して。ところが、さーてと目をつぶったら、次から次へと村の破壊シーンが浮かんできて。見てないはずの、村人がぐしゃぐしゃになってる姿とか、浮かんできて。たまらないから電気点けて、音楽聞いたりして、ちょっと目をつぶったらまた繰り返しで。頭の中っていうか、耳の奥っていうか、わかんないところがびりびりするし。でもそのうち、スズメの鳴き声とかが聞こえてきて、朝だなって思ったら寝てたみたいで。目覚まし止めたのも覚えてなくて、電気点けっぱで寝るなって叩き起こされたんです。その日は、授業中爆睡でした」

「その日から、同じようなことが続いているんですか?」

「いや、寝ようとしたらやばいってわかったから。鳥の声が聞こえたら、解放されたみたいに寝られるってわかったし」

「努力して起きているんですか?」

「うん、まあ。でも、一晩中っていうほど勉強したくないし、ファブニルはラスボスまでクリアしたし。動画見たりしてぼーっとしてるだけ。朝になったらわあわあ怒られて、朝飯も食べないで学校行って、また爆睡して。たまに先生に怒られて。もう、口から魂出てる感じ」

「ああ、そういう漫画表現ありますね」

「ねえ」

 司は淡々と言ったのだが、直哉は自嘲するように肩をすくめた。

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