第5話 眠りたくない
母子の客を待たせて司が向かったのは、予約確認ではなくて事務室だった。
「えーっ、今夜? 今夜は泊まりは取らないって決めただろう」
「ちょっと待って。山田さんが言うからには、何かあるのよ。そうでしょう?」
不満顔の森脇所長と、なだめようとする夫人に頭を下げて、司は表の客のことを説明した。
「高校生か。夜寝られない、朝は起きられないっていう悪循環かな」
小声でうなった所長は、あごに手を当てて考え込んだ。
「母親に内緒でカウンセリングを受けたいってことは…、原因に心当たりがあるってことかしら」
この春から大学に進学して家を出た一人息子がいるという夫妻は、心を引かれたようだいった。
「山田さんは、話を聞いてあげたいって思ってるのよね?」
「はい」
「じゃあ、所長。空いてる部屋でいいから、泊まってあげなさいよ」
「ええーっ、やっぱりそうくるか?」
参ったなあという顔をしながらも、所長もそうするしかないと決めていたようだった。
「山田さんを一人にするわけにもいかないし、どうせあんたは役に立たないし」
「ひでぇな」
「何かあったら呼んでもらうってことにして、寝てなさい。泊り客が他にいないって気付かれない方がいいし。そうしましょう」
早く行って部屋を選んでいただきなさいと夫人に言われ、司は母子のところに戻った。
空き部屋があると告げ、母親に受付票を書いてもらっている間に、本人に部屋を選んでもらうことにした。
本来なら奥のカウンターで書いてもらう受付票を、司はあえて店舗のレジカウンターに出した。
そのまま息子だけを連れて行き、一番奥の部屋は埋まっていることにして他を見せようとしたが、最初の部屋をのぞいただけで、すぐに「ここにします」と言われた。
「そうですか。それでは、そのようにいたしましょう」
司がいつもの静かな表情で応じると、彼はおや、と眉を上げた。それでも何も言わなかった。
「受付票を拝見して、注意書きをお渡しします」
そう言うと、黙ってうなずいて後ろについてきた。
寺田直哉、十七歳。薬の服用、無し。住所は同じ市内で、そう遠くない。
夕食はすませて午後九時までに来店してほしいこと。部屋で食べる行為は禁止。パジャマは自分で用意してくること。そのほかの注意事項をざっと説明してから<お泊りのお客様へ>という一枚の紙を出すと、本人が受け取った。
「学校の用意、忘れ物のないようにしなさいよ。お弁当は無理だから、買っていくか、学食か、ああ、朝ごはんもどうにかしないと」
「大丈夫」
「送って来られないから、バスで来ないといけないのよ」
「わかってる」
司が「それでは、お待ちしております」と送り出してから、せわしなげな母親はエレベーターまでずっとしゃべり続けていた。
「なんか、あれだねー。母親から離れたいだけってこと、ないよな」
いつから見ていたのか、事務所から出ていた所長が店に戻った司に声をかけた。
「さあ、どうでしょう」
司の表情は、それほど動かない。口角の上がった、いつもの顔だ。
「そっか」
所長は何か納得した表情だったが、何か思い出したように付け加えた。
「それにしても、あれだね。あの子、ひらがなの<そ>みたいだね」
「そ?」
司が首を傾げると、彼は楽しそうにもみ手をした。
「横から見た立ち姿。ほら、膝とお腹に力がなくて、うなだれてるから、な?」
言いながら、ぐにゃりと姿勢を崩してみせた。しかし、反応しない司を見て、恥ずかしそうに頭をかいた。
「いや、これは忘れてくれ。お客様に失礼だった」
「はい」
司にしては声に力のある返事だったからか、所長は少なからず動揺した。
「あー、僕はこれから家に帰って、九時までに出直してくるよ」
「はい、お願いします」
「山田さんには、お客様の来店時間にここにいてほしいから、女房が弁当を買ってくるってさ。経費で落とすからね」
「いえ、それは」
「本当は今日、早番だろう? 時間がきたら、休憩室でゆっくりしててよ」
司に断る隙を与えず、所長はひらひらと手を振りながら去っていった。
店舗の営業終了時間である午後九時ぎりぎりになって、寺田直哉は制服姿で来店した。
昼間も覇気などなかったが、いよいよどんよりした立ち姿に見える。彼の姿をちらっとでも目にした側が、表情を曇らすくらいの力の無さだった。
店を閉めたからといって、従業員がすぐに帰るわけではない。閉店後の業務も小一時間ある。彼らはそれぞれにため息をついていた。
呼びだされた司は、できる限り速やかに、直哉を奥に案内した。
U字型の枕を選び、希望していた大型の光目覚ましを確認して、彼は泊まる部屋に荷物を置いた。
念のため、アラームと光のセットについて説明してから、実際に自分でやってもらう。司は設定の五分後にモーニングコールをすると伝えた。「それから」と言いかけたら、直哉はすぐに「話ですね」と、もっさりした前髪の陰の目を上げた。
「どこで話すんですか? ここで?」
直哉は狭い部屋のベッドを見た。二人で座れる場所はない。
「横になったままで話したいというお客様の場合は、そうさせていただくんですが。よろしければ、店の方のテーブルでいかかですか?」
「はい、じゃあ、そっちで」
ぽっと赤くなった直哉に気付かなかったのか、ふりなのか、司は静かに案内した。
窓の近くに無料のウォーターサーバーと飲み物の自動販売機、丸テーブルがある。
別段きれいな夜景が見えるわけではないが、直哉はなんとなく外を眺めた。
店の照明はすでに半分くらいに落とされていたが、自動販売機の灯りもあって暗くない。
「こちらでお出しできるのは、お水だけなんですけど」
「あ、いただきます」
直哉は手を出しかけた司を止めて、自分で紙コップを取った。水を注いでからテーブルにつく。
「仕事の時は、朝まで一睡もしないんですか?」
一口飲んだ直哉は、上目遣いに司を見た。
「はい」
「眠くならないですか?」
「慣れてますから」
司は笑みを深めて、ひとつうなずいてみせてからゆっくり問いかけた。
「寺田様は、眠たくならないんですか?」
「ああ」
ため息をついて、直哉は握っていた紙コップから手を離した。
「眠りたくないんです。自分の意思です」
そう言うと、卑屈にも見える笑みを浮かべた。
「うち、母親がゲーム機の管理してるんです」
いきなり話題が変わったが、司は黙ってうなずた。
「うち、小六の弟と二人兄弟なんだけど、ゲームはリビングでしか、しちゃいけなくて。僕のスマホも、勉強中はリビングに置いとかなきゃいけなくて」
「そうですか」
「ちょっと前に、小学校の頃の友だちに偶然会ったんです」
また話が飛ぶ。司はうなずく。
「すっかり忘れてたんだけど、昔貸してたゲーム機を返すって、家に連れて行かれて。中学受験の頃に、うちではゲーム禁止になったから貸してたやつなんで、もうどうでもよかったのに。あいつだって、そうだ。もうスマホ持ってるんだし、そっちのゲームしかしてないんだ」
つまらなさそうに言うわりに、視線はせわしなく宙を動く。
「でも、しょうがないから受け取って、なんとなく自分の部屋に隠してました。今更そんなゲーム機使ってる奴なんかいないし、母親に話すのが面倒だっただけなんです」
「そうなんですね」
「まあそれでも、ケースに入れて一緒に貸してたソフトもあったんで、ほんのちょっとのつもりでやってみたんです。貸してた奴が作ってたキャラを消したついでっていうか。そういうのも、どうでもよかったけど。でも、昔は結構好きだったゲームなんで、懐かしいし、ついやっちまったっていうか」
「ばれなかったんですね」
「そりゃもう、見つからないように、こそこそやってました。で、とうとう来たっていうのも、変な話なんですけど。中盤のボスまで来たんです、フレイア村の」
「中ボス」
司が重々しくつぶやくと、直哉はわずかに嬉しそうな顔をした。
「あ、<吹雪龍ファブニル>、やったことあります?」
「いいえ、ゲームはまったく」
「なんだ。詳しい感あふれてたのに」
わざとらしくがっかりしてみせながらも、彼の手はかすかにわなないていた。
「知ってたら話早かったけど、あんま説明したくないんで。ちょっと動画見てもらっていいですか」
「動画? いいですよ」
司がうなずくと、直哉はズボンのポケットからスマートフォンを引っ張り出した。
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