第157話 母よ

 シグマの後に俺は着いていく。

 薄暗い中足下に気をつけながら奥に進むと明かりと話し声が聞こえてくる。

 一人は楽しげなコハルの声。

 もう一人は……女性の声だろうか。

 奥の方へと辿り着くとまず目に入ったのは獣の姿に変身しているコハルともう一匹の老けた様子の狼が一匹藁のひかれた床に座っていた。


「イット! 大丈夫だった?」

「ああ、見ての通りだ」


 ビショビショだが生存報告をすると横にいたシグマがもう一匹の老狼に話す。


「長老、コハルを連れてきた人間だ」


 彼がそう言うと老狼は頷く。

 それを見たシグマは俺に向けて、


「長老がお前と話したいそうだ」


 と言いながら俺のリードを掴みながら後ろへ下がり壁へもたれ掛かった。

 話したいことか。

 優しい狼であることを望みながら、俺は長老の前に立つ。

 すると、長老の身体は変異する。

 獣の姿から女性の姿へと変貌する。

 見た目は20代後半程でおっとりとした大人の女性といった印象。

 長老というぐらいだから、もっと老け込んでいるのかと思ったが若すぎる……


「あなたが……この子を連れてきた。人間」


 ゆっくりと彼女は話す。


「この子を……連れてきてくれて……ありがとう」


 一呼吸置きながらお礼を言われる。

 息継ぎをしながら長老は話す。

 まるでご年配の方との会話しているような感覚になっているとコハルも人間の姿へと変身する。


「この人が、私のお母さんなんだと思う! 昔冒険者が襲撃した時に娘がさらわれたんだって!」


 詳細を聞くと、15年前に起こった人間の襲撃で撃退したが取り逃した残党にワーウルフの子供をさらわれた。

 歴代の長は里と人間の交流を断ち、同胞達を守っていた。

 時が過ぎ世代が変わり、もっとも長生きしている彼女はあの襲撃で娘をさらわれた母親でもあり、事件を語り継ぐ為にも長老としてこの集落をまとめていた。


「間違いない……この子は私の子です……忘れるはずがない」


 長老はコハルの姿を見て頷く。


「子が死んでも悲しまず……弱気者は切り捨て生き残る……それが我らが根にある理」


 彼女は大きく一呼吸置き続ける。


「それでも……私には切り離せなかった……忘れることなど出来なかった」

「お母さん……」

「ぼやけてでしか貴方が見えないけれど……私と同じ血の気配を感じます」


 匂いや何かなのだろうか。

 俺では確証を得られないが彼女達の間には親子だとわかる繋がりがあるのだろう。

 その様子を見た俺は何か肩の荷がおりた感覚になる。


「良かったなコハル」

「……うん!」



・魔法は万能じゃないのよ。そんなことが出来たら、とっくに私がここの皆を助けているわ

・イットは、その子を本気で助けたいと思っているの?



 救われたかどうかわからない。

 だが、帰りたいという彼女の願いを叶えることができた。

 俺が……イットではなく、俺という認識が生まれて。

 初めて誰かの為に成しとげたのだと思えたのだ。

 俺の大切な存在が叶えたかったことの手助けが出来た。

 この感情は何とも言葉では表現出来ない。

 ただ嬉しい。

 少しでもコハルのためになれたと実感できた。俺はそれでいままでのことが全て許せてしまうぐらい満たされた気持ちだった。



 数日後、長老は息を引き取った。


 寿命らしい。

 俺達が来た頃にはすでに死を待っていた状況だったそうだ。

 そんな時に長老がずっと探していた娘と思われる存在が現れ、反対者を押し切って彼女に会わせたのが事の経緯だったとシグマから聞かされる。

 それを聞き、俺は最低限の手伝いは行い。邪魔をせぬよう彼等のとむらいには参加せず遠くから見守ることにした。

 ワーウルフであり、集落出身であるコハルは参加させてもらった。

 彼女は泣きながらも、ようやく会えた母親を手向けた。


 人族の葬儀とは異なってあっさりと終わった印象だが、その日の夜は宴を行った。死んだワーウルフは残された仲間や家族を何よりも大切に思い、悲しみにくれると魂が成仏できないのだとか。

 馴れているのか長老の土葬が終わり少し時間が経つと、宴でワーウルフ達は盛り上がり始めた。

 人型や獣の姿の彼等は歌って騒ぎ、人間のお祭りのように笑い声がこだました。


 夜。


 雪も止み、紺色の空の下。

 宴も落ち着き寝静まってきた辺りで、俺は集落の近くにある丘へ一人で向かった。ここの近くを通ったとき気付いたことがあったからだ。

 丘の向こうの景色を見たとき、遠くの方に海が見えたのだ。

 間違いでないかを確認しに一人で登る。

 見晴らしも良くワーウルフの縄張りだと思うのだが、野生生物も魔物も此処付近には見かけない。

 だが絶対とは言えないので確認できればすぐ戻るつもりだった。


「はぁ……はぁ……」


 白い息を漏らしながら丘を登るとやはり見間違いではなかった。山を下ってもう一つ山を越えた向こうに大きな一つの三日月と藍色の海が広がっていた。

 俺がこの光景を見つめていると声をかけられる。


「イット」


 コハルが後ろから声、俺は振り向く。


「コハル、寝てたんじゃないのか?」

「起きちゃった。起きたらイットがいなくて、でも足跡があったから」


 人型のコハルは、笑顔を作るもどことなく元気の無い表情を浮かべている。

 寝られるのであったら寝かしてあげたかったのだがしかたない。

 俺は聞かれる前に海に向けて指をさした。


「球体説が正しければ、地図を見るにこの海の向こう側に魔王がいる大陸だ。恐らく……ロイス達もすでにそこへ到着しているはず」


 俺がこの世界に来た使命の先。

 俺がこの世界にいる存在理由の根源がこの先にあるのだ。

 最終決戦となるその方向は、やはり考え深いものがある。


「イット……ごめんね」

「え?」


 遠くを見つめているとコハルが突然謝りだした。


「私のせいで遠回りさせちゃったね……でも、本当にありがとう。おかげでお母さんに会えた。もし数日でもずれてたらきっと……きっと……」


 コハルの瞳から涙がこぼれ落ちる。それを見た俺はゆっくりと彼女を抱き寄せる。


「……これで良かったんだ」


 俺達はゆっくりと顔を見合わせる。


「転生者の使命は魔王を倒すことだ。だが……俺のやりたいことは違う。牢屋でお前と出会った時には決めていたんだ」


 あの時は疑問視されたが、


「コハルを故郷に帰したい」


 その思いは叶った。

 自己満足なのかもしれないが、大切な人の願いを叶えた。


「もし、コハルが余計なお世話だと感じていたら、それこそすまない」

「余計じゃない!」


 彼女は俺と同じ高さまで丘を登り向き合う。あの時からコハルの身長を超えた俺は、彼女の目を見下ろす。


「そんなこと言わないで。イットには本当に感謝してもしきれない」


 彼女は目を潤ませ真っ直ぐ俺の目を見る。


「イット、本当にここまで連れて来てくれてありがとう」

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