第118話 一人の人よ

「うわッ!? びっくりした! 何だコハルか……」

「二人でコソコソ……隠れて何を話してたの?」


 今日の朝よりも不機嫌この上ないといった表情のコハル。めんどくさいなと思いつつ俺は言葉を返す。


「別に隠れる気はなかったんだ。ソマリがここに来いって言うから……」

「でも、二人でコソコソしてたのは確かだよね? 私、後ろから見てたから!」

「ま、まあ、確かにあまり大声は上げないようにしてたが……重要な話をしていたんだよ」

「重要? 何の話なの?」


 ここまで来たらソマリが斥候スカウトギルドの人間だと伝えた方が早いかもしれない。


「……いいか? ソマリはな――」

「ウチの目的が、イット君の童貞を卒業させてあげることだって話してたんだよコハルちゃん!」


 いきなり、ソマリは俺の腕に抱きついてきた。コハルの表情は固まり、俺も言葉を失う。彼女は続ける。


「イット君ってそういうの奥手だからさ。卒業させてくれる相手いないかなーって話してたんだよ」

「話してねぇ! 話をややこしくするな!」


 ソマリと一瞬目が合う、笑顔を崩さないまま俺を無視してコハルに向けて続ける。


「聞いたんだけど、イット君って巨乳が好きなんだって!」

「……え!?」

「きっと、ウチよりもコハルちゃんの身体の方がイット君は好みなんじゃないかな? もしコハルちゃんが良かったら、イット君の童貞を卒業してあげてよ!」


 人間社会の倫理観を神様に間違えて抜き取られてしまった様なソマリの発言にもはや言葉が出てこない俺。

 聖職者ではなく生殖者と聞き間違えたのではないかと言いたくなるモラルハザードっぷりに物理的に口を塞がないといけないと動いた瞬間、言葉を上げたのはコハルだった。


「イットは……私のこと、嫌いだから……」

「……はぁ!?」


 コハルの発言に、俺は更に硬直する。

 俺がコハルのこと嫌い?

 い、いや、嫌いなんかでは無いぞ!


「コ、コハル! 何言ってんだよ! 俺は別にお前のこと嫌いなんかじゃ……」

「嫌いっていうか……興味ないんでしょ、 私のこと……」


 俯くコハル。

 俺はすぐに近づき両肩を持つ。


「興味ないわけ無いだろ。俺はその……お前のことをいつも気にして……」

「いいよ別に……いつも迷惑かけてたの分かってたから」

「そんな! 迷惑かけてなんか――」

「知ってるよ。昔からイットが私の尻拭いをしてくれてたのを……発情期の時やお仕事の時も、私が人族社会でも馴染めるようにいろいろ考えてくれてたことも」


 耳がおりたたまっている彼女。

 明らかに悲しい時の反応だと分かるのだが、今までになかった彼女の反応に、俺は今何故だか焦りが生まれている。

 耳まで聞こえる鼓動と手汗。

 ここまで居心地の悪さを感じたの初めてだった。

 彼女が続ける。


「だから私は強くなって、イットが楽できるように、恩返し出来るように頑張ろうって思ったんだけど……ごめん、余計なお世話だったんだってわかったんだ」

「な、何謝ってるんだよ。俺はそんなこと思ってない!」

「ううん、違うよ。イットが本当は戦いで活躍したかったんだってわかった。私は……その邪魔をまたしちゃってたんだって……昨日までの出来事で全部わかったんだ。ごめんねイット」

「――ッ!?」


 そんなことないと否定しようとしたが、言葉に詰まってしまう。彼女の言っていることを……否定できなかった。

 俺の心の内でも……いや、コハルに対して愚痴をこぼしていたいたのも事実だ。

 それどころか、この前の朝食の時にも彼女に八つ当たりみたいに当たっていた記憶もある。コハルは顔を上げるが、うっすらと目元に涙を浮かべているのがわかる。


「ルドちゃんとシャルちゃんから聞いたんだ。イットとソマリちゃんが、いつも隠れて楽しそうにしてるって」

「アイツらそんなことを……だから、誤解なんだ。聞いてくれコハル。ソマリはベノムが寄越した斥候スカウトギルド員なんだ、だから俺はいろいろ事情を聞いていてだな」

「そんなの知ってるよ! 何となくわかってたよ!」

「え!?」


 予想外の発言に俺の考えがまた吹き飛んでいく。

 知っていた? そうなのか? コハルにもソマリは話していたのか?

 俺はソマリを見ると、彼女も以外だったのか驚いた表情を見せていた。

 この反応は話していた訳ではなさそうだ。なら本当にコハルは察していたのか?

 コハルが続ける。


斥候スカウトギルドのことを話していたんだとしても、イットがあんなに女の子と仲良くコソコソ話しているところ、私今まで見たことなかった」


 仲良く……はなかったような気がするが?


「でも、何となくわかったんだ。ソマリちゃんとイットは、お互い邪魔し合わない関係なんだって……お似合いな二人だなって私思ったんだ」

「おい、コハル……」

「私も、イットのこと幸せになってほしいって思ってるから……今度から二人の邪魔しないようにするね」

「ち、違う! やっぱりお前は勘違いしてる! 俺達はそんな関係じゃない!」

「だって、今仲良く腕組んでるじゃん!」

「……!?」

「私、イットが童貞ってことも、胸が大きい人が好きだったことも知らなかったもん! イットの好み、私よりソマリちゃんの方が詳しいでしょ!」


 コハルは大きく叫んだ。

 それを聞いてか、遠くからロイスが走ってきた。


「ど、どうしたんだい皆!? あれ? イットにソマリちゃんにコハルちゃん……な、何か喧嘩でもしたのか――」


 ロイスが話し終える前に、コハルが彼の腕を無理矢理組んだ。


「な!? コ、コハルちゃん!?」


 彼女の胸に沈むロイスの腕。

 思わぬ反応に彼が顔を赤らめると、コハルがひっぱり離れていく。


「ロイス、あっちで特訓しよ!」

「え、ええ? わ、わかったけど、何かイット君達とあったのかい?」


 引っ張られながら彼が訪ねると、彼女はピタリと止まる。


「……イットなんて知らない!」


 そう言うとこちらへ振り返り、べーっと舌を出す。そのままロイスを引きずっていく。


「お、おいコハル待て!」


 ソマリの腕を振り払いコハルを引き留めようと走るが、ロイスを引っ張っているにも関わらず追いつけない速度で逃げていき、人間離れの跳躍力で飛んで見逃してしまった。

 俺は息を切らせながら、膝に手を当てうなだれる。


「イット君!」


 ソマリが息を切らせて追いかけてきた。


「ごめんねイット君、ウチ、余計なことしたかも……」

「……いいや」


 ソマリのせいではない。


「コハルのこと……わかった気になってた」


 俺のせいだ。

 俺がもっと早くコハルにいろいろ伝えていれば良かった。

 話し合っていれば良かった。

 俺が思っていた以上に、彼女はいろいろ考える一人の人となっていた。

 当然のことだが、何故かショックだった。

 ショックだと感じてしまった。

 俺は……いつの間にか、コハルを見下していたのかもしれない。

 いつの頃からか彼女のことを何でも知っている気でいた。

 それは彼女の優しさにあぐらをかいていたからだ。

 それが……一気にわからない人間になっていたのがショックで……恐怖を覚え始める。

 何やってるんだよ、俺は……

 俺は、顔を上げられなくなっていた。

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