第32話 出発の準備よ
ベノム……いや、この教会内の彼女は人里離れたエルフ集落の農婦キャシーという名を使っているそうだ。
結局どちらが本名なのかは分からないので、ここではベノムとしておこうか。ベノムは俺達を木の下へ連れ木陰に座らせた。
落ち着いたコハルから話し出す。
「ベ……キャシーさん! 今日は何くれるの! おもちゃ? お菓子? お洋服?」
「今日はアップルパイだ。あっちでチビッコ共に配給してるよ。あ、君達の分はちゃんと持ってきたから安心しな。ほれ」
綺麗に切られ、
焼かれたリンゴとはちみつの甘く香ばしい生地の匂いが、鼻から口に充満する。
よだれが止まらない。
甘味に子供の舌は勝てず、奪い取るように二人で齧り付いてしまった。
「うまい!!」
「おいしい!!」
このようにベノムから定期的に差し入れを持ってきてくれる。俺達だけでは勿論無い、この教会に居る全員にだ。教会の前には大きな荷馬車が止まっている。
農民姿の者から神父やシスター達へ沢山の野菜や果物を支給しているのがわかる。
子供達も群がっており、ベノムキャシーと同じように切られたアップルパイを手渡されていた。
何とも微笑ましい支援団体と孤児達の交流だが、俺はこの農民姿の人々が皆ベノム率いるスカウトギルドのメンバーであることを教えてもらった。
孤児を押しつけている詫びの意味もあるのだろうが、義賊であるという自己紹介が嘘ではなかったみたいだ。
離れた所からその姿を俺は見つめていると、コハルの耳で遊んでいたベノムが唐突に質問してきた。
「ところで君達、特にイット。この世界の勉強は進んでいるかな?」
「え? あ、ああ、ボチボチとだけど」
「とりあえず、読み書きソロバンが出来れば上等さ。前に君は生前、商売人をしていたんだろ?」
「まあ、そうだけど……」
ベノムには俺が生前何をやっていたのかは話した。企業名を言ったって、ここでは通じ無い。なので小売業の社員をやっていたことを伝えている。
彼女曰く、歴代勇者の中には生前の記憶を生かし、文明レベルの違う知識を使い富を得ていた者もいたそうだ。
彼女が持っていた拳銃もその遺産。
更には兵士達が使っていたあのボウガンも、勇者の使っていた拳銃の影響を受けた職人が弓を変形させて作った副産物だそうだ。
そんな事を考えていると、綺麗で怪しい笑みを近づけてくるベノム。
「なるほどなるほど! それじゃあ、この世界にも馴れてきたみたいだし仕事をしてもらおうか」
「仕事!?」
「嫌なのかい? まさか君は私の配下になったのを忘れてはいなだろうね?」
そう、俺はあの時の魔物達を助けるためベノムと契約した。
彼女に逆らうことは死を意味している。
「……わかってるよ。死ぬ気で頑張るつもりだ。簡単には死なないけどな」
「おう! そう来なくっちゃね。君も良い目をしてきてお姉さんは嬉しいよ」
スカートを払いながらベノムは教会の方へ歩んでいく。
「それじゃあ二日後に出発するから準備しておきな」
「はや!? 二日後!?」
「そうさ、準備させるだけ有り難いと思いな。こんな所でぬくぬくしてるのは終わりにしな」
「い、いや、具体的に何をするのか教えてくれ! いきなり現地に突っ込まれるなんてブラック企業かよ!」
今の言葉が通じたかはさておき、ベノムは止まって振り返る。
「いいよ。説明してやるから着いてきな!」
彼女は教会を指さした。
俺が先ほどまでいた書庫へと足を踏み入れる。俺達が席に腰掛けるとベノムは書籍の中から地図を見つけて地図を広げる
見たことの無い内陸地域を表した地図に、何かこう……冒険心がくすぐられる。
ベノムは、近くに置いてあった子供達がボードゲームで遊ぶための駒を取り出し、地図の上に置いていった。
そして、地図上に書かれている王都にも丁寧に駒を置いてくれた。
「今駒を置いた王都、ここが私達スカウトギルドの根を張った王都シバ・ネバカアね。略称はネバ。王都としてかなり広い方だよ。一番近くにある国はもっと東にあるガソ国ってあるだろ? そこよりも大きいのは見て分かる。この大陸の中継地点の一角で立地的に人が集まりやすい。まあ、もっと栄えている所はいろいろあるが、これからシバ・ネバカア……ネバへ来てもらうよ」
その王都ネバの東よりにベノムは小さな駒を置いた。
「ここが今君達が住んでる、ネバカア・アウターイースト・ガブリエル教会」
この教会の正式名称だ。
俺も場所はシスターに聞いて確認してあった。地図で見ると近いが、ここから王都ネバまでは馬車を休ませながら歩かせると約一日ちょっと。
単騎で走らせると単純計算で半日かかるらしい。
「そこまで急いでないから馬車で行くよ。ここには戻って来ないから荷物をちゃんとまとめて、世話になった人達に挨拶は済ませるように」
「わかった……それで、着いたら具体的に何をすれば良いんだ?」
「私達が手をかけてやってる武具屋が潰れそうなんだ。そこの再建をしてほしい」
「は? ぶぐ屋?」
「武・具・屋! 武器や防具を売ってる所さ。冒険者だけで無く、大国の騎士様や貴族達が護身用に買いに来る店のこと。君達は今度そこに行ってもらうよ。傾いてる店があってそこの助っ人をしてほしい訳さ」
何やら面白そうだと思う自分がいる。
その反面、こんな油を売っていて良いのかと不安になってくる。
その表情に気付いたのかベノムは様子を窺ってきた。
「なんだい君? 随分と不服そうな顔じゃないか?」
「い、いや……面白そうな話なんだけど、俺は早く魔王を倒しに行かなきゃならない。貴方も分かってるとは思うけど、そういう使命で……」
そう言うとベノムは笑った。
「君みたいなガキが魔王を倒せる訳がないだろ? 冷静になれ、今の君の年を考えろ。それ以前に君は、今現在魔王の居場所は把握出来ているのかい?」
「そ、それは……」
そんな一般論を言われると、何も言い返せない。まだ10歳。現実世界なら小学校四年生か?
そう考えると、中身がオッサンだったとしても無茶だ。
普通に考えて無謀だ。
「この世界の人間の成人は15歳となっている。判断力、身体能力、行動力、そして知識。これらが全て自分の意思で制御出来るだろうと言われているのがこの年齢だ。せめて、後6年は待った方が身のためだよ」
「……」
魔法適正があって、たとえ勇者だったしても、認識的にはただも子供である俺。
無力だと言うことだ。
「なんだい? そんなふて腐れた顔して」
「別にふて腐れては……」
「大丈夫だって、今はまだ準備期間だ。そして君が力を付ける大事な時期。6年なんてあっという間さ。寧ろその間で物になってもらわないと、こっちが困るんだ」
「……わかってる」
「まあ、魔王の居場所だとかは追い追い教えてやるよ。それなりの支援ね。そう約束しただろ?」
知っている口振りだがどちらにしろ彼女の性格的に教えてくれないだろう。
確かに今の俺は完全に力不足だ。
だが、自分の出来る限りはしたい。
頑張るしかないんだ。
意気込んでいるとベノムは不敵な笑みを浮かべる。
「そうだ。ちょっとやる気の出ることを言っておこうか」
「やる気? もうやる気なら十分にあるけど?」
彼女の一言で興醒めしたくないので、断ったが無視して彼女は続けた。
「王都ネバには、あのロイスがいるよ」
……え!?
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