第25話

 マーリンには、少なくともこの場を切り抜けるだけではあるが、勝算があった。何者にも「切り抜けるだけであれば勝ちではない」などとは言わせないと心を強く持った。いずれ我々勇者とその一行は、叙事詩となる、そうしなければならない。


 世界の万物を司り、この世界の創世にも関わったとされる神王、その姿を見た者はいない。ある出来事を境に、世界に絶望して関係を絶ったとする伝承もあった。しかし、この世界のすべての物事に対して何らかの干渉をしているはずだ。そうマーリンは考えた。


 人を異形に変え、同じ人間を襲わせるなどというのは、あまりにも世界のことわりに反している。世界の醜悪さに絶望し、見切りをつけていても、世界は今もこうして存続しているのだ。


 風景を染めていた「赤」が淡い黄土色になったことを確認して、マーリンは一つの魔法を無詠唱で繰り出した。黄土色は、この世界では栄養が枯れた土、あるいは果てのない欲望の象徴であるとされる。庶王が、他の王位継承者を暗殺して王になったことは、言わないだけでこの国の誰もが知る事実である。


 無詠唱魔法は、敵にバレないためのものではない。魔法を使うことができる種族であれば、何らかの魔法が使われたということは肌で感じ取ることができる——テトがアーサーたちの元に来たのもそれが理由である——マーリンは当然そのことを知っていた。むしろ、庶王にそれをためのもので、つまりはフェイクだった。


「マーリン……お腹減った」


「あ″?」


 このクソ大事な局面で目覚めておいて言うことはソレか——


「勇者アーサー。魔王を倒した暁にはお前を必ずぶん殴ってやる」


「マーリン、前!」


 メトリスが叫んだ。マーリンの目の前に、魔法による攻撃から身を守るための防御魔法が迫っていた。


「やりおる。流石にそこまでは見抜けたか」


 マーリンが放った魔法は、魔法を使ったという気配だけを悟らせるもの。魔素は魔法に使われなければ魔法使用者の体内に大きな質量を占め、使用者の肉体を蝕むものだ。実際には何も起こらない魔法は、よほどの実力者でないと使えない。マーリンだからこそ、使える術ではあったのだが。


 庶王側が繰り出した防御魔法は、通常攻撃魔法を相殺するだけの防御魔法に、使用者の体内に溜まった毒魔素を活性化する術を加味させた高度なもの。マーリン側の魔法行使がフェイクであったときの保険。


「だが、庶王よ。さすがにこれは予測できなんだか!」


 マーリンは、とっておきの一撃を繰り出した。ぐるりとアーサーを守るように立つ陣を飛び出して周り、手に持つその杖で、森に転がっている苔むした石を打ち砕いた。


『な、僕としたことが、依代を見抜かれるなんて』


 弱々しさと憎しみが滲み出た言葉を残して、少年王の気配は消えた。


「ふぅ。さすがはマーリンだね。あの魔物が依代と見せかけておいて、王の依代は別にあることがわかったんだ」


 普通に喋れるようになったアーサーを憎々しげに見下した後、マーリンは無言で、庶王の気配が消えたあとも残る「黄土色」の気配を消す作業に入った。


 庶王の意識の依代がなくなったから、もう新しく庶王がアーサー一行に干渉することはない。しかし、庶王が残していった「色」を消しておかないと、その邪悪さが草も枯らし動物が住めない場所になってしまう。


 マーリンはとある魔法を詠唱した。その文言は、以下のようなものであった。


「エルフに魔法、ドワーフに力、ヒューマンに知を与えた神なる王よ。その力で、この地に自活し存続することをお許しください」


 そのような魔法をマーリンは習っていない。しかし、世界から手を引いたにも関わらずその世界の存続を許しているならば、神王はこの詠唱に対し然るべき法を敷くはずだ。それはマーリンのある種の賭けだった。魔法の代償は、すでに研究され事典に載っているもの以外はよくわかっていない。


 だが、結果的にマーリンは賭けに勝った。土地から穢れは取り払われ、声を潜めていた小鳥たちが遠慮がちに鳴き出した。


 アーサーたちはそこを離れ、次の潜伏地を探す旅に出た。

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