第18話 つぶやく

 彼は、食品工場の責任者として、長くやってきた男である。


 妙な〝声〟が聞こえるようになったのは、彼が七歳のころだった。彼は魔境との境界に近い村で生まれ育った。毒の濃度が高い水を飲みたい人などいるわけもなく、境界近くというのはならず者や罪人、娼婦やその子といった人々の溜まり場と化していた。


 彼は疑問に思った。確かに水を飲めば人は衰弱する——そのように。しかし、そのスラムには驚くほど、死体が少ない。腐臭とハエをまとった肉塊を見ないのだ。


 政府の衛生省が確認次第処置しているのだとか、毒の強いあまりに腐りもしないのだとか、様々に噂が流れてはいた。しかし、そのどれもが、彼にとって納得できるものではなかった。


 そんな折、自らを〝主〟と名乗る声が聞こえた。


『世界の真理に近づきたる者よ』


 地の果てから届いたような恐ろしい轟きだったにもかかわらず、自分のほかに驚いたり、耳を塞いだりする素振りを見せる者はいない。


 そのとき、彼は〝主〟に選ばれたのだと、悟った。


 この世において、主という呼び名で呼ばれる存在は、太古の昔、有象無象に命と魔力を与えた存在、〝神王〟しかいない。


 そのときから、彼は声の命令に従っている。その声の命ずるところが、彼の正義の拠り所となった。


 例え、それが勇者に毒を盛ることであったとしても————

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る