ふたつきかそれ以上ライダーとの付き合いは続いていた。年が明けてすぐ、関東一円に雪が降って、二三日それが続いてのち、雪かきを終えてもまだ道路の端や電柱の脇のそこかしこが白く光っている頃、アリアケさんに呼び止められてマクドナルドに入った。ちょうどその日おれはバイクではなく自転車を押していた。交通が死んでいて在庫もろくにないものだからと二人して水だけを注文した。アリアケさんは屈託のない笑顔で、

「水にしよう、水」

「ハハハ……」

 かれは、おれやマサキのチームを抜けて以来、千葉から茨城辺りの大きなチームに出入りしているらしい、らしいという話はおれたちの耳にも漏れ聞こえてきていた。伝言でそう伝わってきているのだからそうなのだろうとおれも思っていたが、こうして実際にあったアリアケさんは自分が実際に湾岸や首都高にも進出するようなチームに所属していて、今現在も拡大しているという旨を話してくれた。

「でな、おおよそこんなふうに拡大しているんだ」

 で、はいそうですかと、そこで打ち切りになるということには、当然ならない。

「ケイ、おまえもこっちに来ないか。マサキとかと最近つるんでないんだってな。反りが合わないなら別に無理につるめとは言わん、でも一人で寂しかろう。どうだ、一度顔見せだけで、それっきり顔を出さないでもいいんだ」

 だが、その頃のおれはまだあの一人で居続けたい欲求にとどまっていた。ずっとよくしてもらっている先輩の誘いとはいえ、どうしたものか、ふっと視線を落としてしばらく考えてしまう。アリアケさんは店に入ってすぐはてのひらをこすり合わせて寒がっていたが、それからは腕を組んで、まくりあげた腕の毛の生えた皮膚を指先でこするようになでながら、全体ではじっとおれの返事を待っている。そうしているあいだに、おれはにわかにあのペンギンのライダーを思い出した。

 ライダー。ペンギンのライダー。全身黒ずくめのスーツを着込み、ヘルメットの後ろから襟飾のように髪を素流しにして、砲弾型のマシンの中へ沈んでいくように乗り込む、卵顔の女。

 その姿を思い出す時間が過ぎ、おれは肯定の返事をするにはあまりに長く物を言わずにいたことに気付いた。

「すみません」

 頭を下げる。

「少し考えさせてください」

 アリアケさんは、ただ「そうか」とだけ言った。

「いいって言ってくれてたら昼飯おごったのになあ。これからラーメン食べに行こうと思ってたんだ」

 それからしばらくその場にいて、二人して出て行った。ニュースは明日以降連日の晴れをつたえていた。


 次の日、普段のバーンに行くと、ライダーは姿を現さなかったが、その次の日には例になく来ていて、

「雪で走れなかった分今日は多めに走ろう」

 という内容がツイッターのメッセージ機能で送られてきていた。

「どこ行きたいとかある?」

「べつに、どこでも」

 と言ってから、東へは行きたくない、と言うのを忘れていたことに気付き、訂正する間もないまま、ライダーは加速して東へ、県境をこえて遥か首都高さして向かっていく。

 気がかりなのはなんといってもアリアケさんともちろんマサキとだった。おれも二人のマシンを知っているし、二人もおれのマシンを知っている。遭遇すればすぐにわかるはずだし、それは避けたかった。

 あるいはもしかすると、そういうふうに考えているのがまずかったのかもしれない。ライダーともども魚群のようなバイクのむれに遭遇するのは時間の問題だった。明るく照らされた首都高の街路のうえに、無数といってもいい、一目には数えきれない大量のバイクが、ただでさえ色とりどりの大小さまざまの車体に、位置もサイズも形も不統一に偏執的にステッカーを貼り付けて、金属も合成樹脂もかまわず街灯の光でびかびかと輝いている。それは山籠もりのような走りをやっていたおれとは違う場所で、違うやりかたで走っていたマシンの表情だった。

 そのむれの後ろにつけて、おれは目を走らせてアリアケさんやあるいはマサキのマシンがないか探していた。むれはあるいは散開しあるいは緩くまとまり、ほぼ無人とはいえわずかな後続車を圧迫しながら、次第に数を増やし膨張しているらしい。染髪や種々の帽子で乗っている連中の頭も色とりどりだった。

 ライダーはこれをみて、エンジンの爆音が弱まる辺りまで下がってから、

「抜かすよ、全部」

 フルフェイスの下の目はいつか見たようにひどく据わっているにきまっていた。

 単純に、邪魔なものを蹴散らす、というそれだけのことだった。押し通る、べたべたしたあの付き合い方の性格が、アクセルを捻る手に一極集中した。エンジンの回転が横すべりにも似た滑稽な音と震えになって噴きあがる。タイヤのスタックがいっとう強く路面に噛みついて、一瞬速度が鈍り、モンスターマシンの爆発的な加速で飛び出したライダーは、ちらばった魚群の疎な部分に噛みついて食い破っていく。動揺するむれ。細長い卵型のマシン。鯱。おれはそのシャチの後ろを網の目を縫うようについていった。巨体が似合わない機動力で右左のマシンの隙間を食いちらしながら前へ前へ進んでいく。道をゆずるマシン。道なりに旋回する鯱。

 しかも加速はそれでおさまらなかった。爆音、爆音、爆音! エンジンが輪をかけてうなる。その音を振りきる勢いで、むれの一々を大きく斬り裂いてマシンは進んでいく。後を追っていくと、一体どうしてあの巨体がこれほど自由自在に動けるのか不思議でならなかった。酔拳にしたところで地に足をつけてやるもので、高速で動く金属の塊をハンドルや重心移動で操作するのとはわけが違う。いつスリップ、横転して周囲の何十台を巻き込むか知れない。肝を冷やしながら追跡する。

 前を走るその姿は魚群に突撃して食いちらかす獰猛な逆又よりも、針の穴を通すように海中を飛んで小魚の一匹一匹を捕らえる人鳥のようにみえた。笑い声、どこからか反響しながら聞こえてくる笑い声。それは前からだった。ライダーは身をのけぞらせ、背を丸めながら、ウミネコのような聞いたことのない高い声で笑っていた。

 おれは道をゆずったマシンの一つにマサキが、もう一つにアリアケさんが乗っているのを見た。視線が一瞬だけ交錯した。そしてそれだけだった。

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