第14話 虜囚の韓王信
外では激しい怒声が響いていた。
韓信に無理やり送らせた兵士達の訓練が行われているのだ。
彼らは全くの新兵である。使い物になるのにはもう少し時間がかかりそうだった。
張良は、ちらりとそれを見ただけで劉邦の元へ急いだ。広間に入ると、すでに陳平が席で待っていた。それに軽く会釈する。やがて劉邦が入室した。
「南方の状況を聞こう」
まず、劉邦が張良に問いかけた。張良の献策により、項羽の出身地である江南地方へ兵を派遣し、各地を襲撃させているのだった。
その一人、
もう一人は漢軍に加わったばかりの
一種のゲリラ戦を彼らは展開していた。
項羽が
さらに北方では、
陳平はさらに斉国を味方につける方策を考えていた。
「
張良はこれに、かすかな危惧を感じた。韓信は酈食其に対し、思う所がある事に張良は気付いていた。彭城の一件で、自分の作戦計画を邪魔されたと感じているらしい。
あくまでも韓信の逆恨みに近いものなのだが。
その韓信も軍を率い、斉に向かっていた。
「韓信ひとりに任せてはいかがでしょうか」
「いや、策は何重にも構えた方がよろしいでしょう。決して損はありませんから」
結局、劉邦も陳平の意見にうなづいた。確信が有るわけではないため、張良もそれ以上は言わなかった。
兵士の訓練も終わり、間もなく出立となる頃、滎陽から急使が駆け込んできた。
「項王が現れました。激しい戦闘となっております。至急、救援を!」
青ざめた劉邦は席を立たなかった。左右から声をかけるが、震える両手を見詰めたまま動かない。……行きたくない、小さく呟いた。
その日の夕刻。血まみれの伝令が関中に辿り着いた。馬から転げ落ちるとその男は悲鳴のような声をあげた。
「滎陽は陥落、周荷将軍は討ち死にされました!」
広間にどよめきが広がった。
「か、韓王は」
かすれた声で、張良は言った。
伝令は最後の息を吐き出し、告げた。
「韓王どのは、捕虜に……」
韓王信は傷だらけの姿で項羽の前に引き据えられた。
項羽は間近で彼を見下ろしている。
「韓王、
ん、と韓王は顔をあげた。今、何と言った。誰かと勘違いしているのか。
「韓の王族の旧姓は
さすが、項氏は楚の名家だけのことはある。妙なところに学がある。韓王は少し可笑しくなった。確かに、私も、胡蓉もそういうことになる。
「それで結構です。項王どの」
苦笑まじりに韓王信は言った。
「わしに仕えぬか、信」
いきなり、項羽は言った。
「お主の腕を買っているのだ。韓王になりたくはないか」
「私は今でも韓王です」
ははは、と項羽は笑った。漢が任じた韓王と、わしが任じた韓王。どちらが価値があると思うのだ。と彼を見た。
「漢に、私を待つ女性がいるのです」
ふん?と項羽は片膝をついた。彼の顔を真っ直ぐに見詰める。
「お前の妻か。それくらい、呼び寄せれば良いではないか」
いや、それは無理なのですよ。と、韓王信は頭を振った。
「その
ぽかん、と口を開けた項羽。
「何を言っておるのだ。意味がわからぬぞ」
首をひねった項羽は、何かに気付き手をあげた。
「
項羽の横に立ったのは、ほっそりとした、少女のような女だった。
「わしの妻だ。これと、お前の女のどちらが良い女かな」
それは、どこか儚げな少女だった。確かに美しい。
「項王よ、私のその
「当然、この、虞の勝ちだと言うのだな」
子供のような表情で項羽は言った。韓王信は胸を張った。
「そうではありません。たおやかに咲いた花と、名工の手による一本の筆。どちらがより魅力的か、などと比較ができましょうか」
なかなか言いおる。項羽は微かに笑った。
項羽は虞姫を去らせた。
「虞に媚びるようであれば、斬り捨てようかと思ったが。命拾いしたな」
さて、後は好きにするがいい。項羽は立ち去ろうとした。
「は?」
韓王信は思わず問い返した。好きにしろ、とは。
「ここに居たければいてもよい。去りたければ漢へ帰れ、と云うことだ」
「なぜ、そこまで寛容なのです。私は捕虜です。項王の敵なのですよ」
項羽は、振り向いて言った。どこか哀しい目だった。
「お前は、わしを裏切った訳ではないからな」
韓王信は、呆然とした。そして気付いた。
楚軍の中で何かが起きている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます