その20~現実~
翌朝。
ホームルームが始まる前に、斉木先生が教室に顔を出して「高宮」と望に呼びかけ、廊下に手招きした。
「はい」
望は少し緊張しつつ、廊下に出て行った。
「おはよう」
「おはようございます」
斉木先生が望に例のカードが入った封筒を差し出した。
「これ、もう返していいか?」
「あ、はい」
望の緊張をよそに、斉木先生は怖いぐらいにいつも通りだった。
「もうすぐホームルーム始めるから席に戻れよ」
斉木先生はそれだけ言うと、望に手を上げて去って行った。
《え? それだけ?》
あまりにあっさりした対応に、望は、本当に斉木先生はライムントとしての記憶があるのだろうか、と不安になった。
ホームルームの時間も、数学の授業中も、斉木先生はいつもと何ら変わりなかった。望は文字通り「夢を見ていたのだろうか」と思った。
昼休み、いつものように渡瀬が望の隣の席にやってきた。そして、「昨日は感情的になってしまって、ごめん」と言った。
「別にいいよ」
「斉木先生と、もう話した?」
「話はしたけど、夢の事は何も」
「そっか」
「あ、カード返すよ」
望は今朝、斉木先生から返してもらった封筒を開けた。そして、中を見て思わず「あ」と小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「いや……」
望はカードを封筒から取り出すと、封筒を制服のポケットに入れた。それから「ありがとう」と言ってカードを渡瀬に返した。
「はっきりさせて良かっただろ?」
渡瀬が尋ねてきた。
「そうだな」
「晴れて両想いだし」
望は昨日の渡瀬、そして、リーンハルトの様子を思い出して気まずく思った。
しかし、そんな望の心情を察してか、渡瀬がほほ笑んで言った。
「気にしなくていいよ。僕はこれまでどおり高宮くんと仲良くできればそれでいいから」
「そっか……。ありがとう」
それから二人は、いつも通り雑談をしながら、昼食を摂った。
放課後、帰宅した望は自室のベッドに座ると、制服のポケットから例の封筒を取り出した。学校にいる間中、これが気になって仕方がなかった。
封筒を開けると、中に二つ折りにされた紙が入っていた。紙を開くと、そこにはメッセージアプリのIDと電話番号、そして「斉木浩輔」と書かれていた。
「ええ⁉」
望は一人の部屋で思わず大きな声を上げてしまった。しばらく、その紙を見つめたまま硬直した。
望は、自分のスマートフォンに斉木先生の情報を登録した。そして、今度は登録した画面を見つめたまましばらく考え込んだ。そして、意を決して、メッセージを打ち始めた。
《高宮です。俺の電話番号もお知らせします》
かなり事務的な内容だった。望は送信マークを押した。
少しして、メッセージが返って来た。望はどきどきしながらメッセージを開いた。
《ありがとう。今度の土曜日、予定あるか?》
「予定……」
念のためスケジュールを確認したが、予定はなかった。
《予定はありません》
送信。
しばらくして、また返信があった。
《十時に駅前に来られるか?》
《はい。大丈夫です》
《では、待ってる》
《分かりました》
全体的に淡泊な短いメッセージのやり取りだった。休みの日に会う事になるとは思ってもみなかったが、学校では話ができないから約束ができて良かったと望は思った。
土曜日。
望は九時五十分に駅に着き、駅前のロータリーに立っていた。七月の日差しは強く、朝なのに既に少し暑かった。斉木先生から連絡があるかもしれないから、スマートフォンを手に持ち、たまに画面を確認しながら斉木先生を待った。
少しして、黒いSUV車がロータリーに入ってくると、望の前で止まった。窓が開き、斉木先生が「高宮」と望に呼びかけた。望は斉木先生が車でやってくる事を全く想定していなかったので、茫然としてしまった。すると、斉木先生が「早く乗れ」と言ったので、慌てて助手席に乗り込んだ。
斉木先生は車を発進させた。望は何を話せば良いのか分からずに黙っていた。
少しして、斉木先生が、
「今日、本当に予定大丈夫だったか?」と望に話し掛けてきた。
「はい。大丈夫です」
「普段、高宮は休みの日どうしてるんだ?」
「いつもは近くに買い物に行ったり、スマホでゲームしたり、ですかね」
すると、斉木先生が笑った。
「勉強してるとは言わないんだな」
望は気付いて、「あ、すみません」と慌てた。
「いや、別に嘘を付けと言っているわけじゃない。高宮は勉強に身が入らないと言っていたな」
「はい」
「将来やりたい事とかないのか?」
「特には……」
「そうか。まあ、そう簡単に見つかるものでもないからな」
「斉木先生は、どうして先生になったんですか?」
「昔から数学は得意だったし、人に教えるのも苦じゃなかったから、かな」
「へえ。学生時代はどんな生徒でした?」
「高校生の頃は高宮と同じで、特に目標もなく、目立たない地味な生徒だったな」
「そうなんですか。じゃあ、先生になろうと思ったのは大学に入ってからですか?」
「そうだな」
車が信号で止まると、斉木先生が二人の間のドリンクホルダーに置かれたペットボトルのお茶を指差して「これ飲んでいいから」と言った。
「あ、ありがとうございます」
「お茶でよかったか?」
「お茶で大丈夫です。ありがとうございます」
望は、ペットボトルを手に取りお茶を一口飲んだ。
「正直なところ、まだ教師になって二年だし、手探りなところがたくさんある」
斉木先生の意外な言葉に、望は驚いた。
「え? そうなんですか? でも、斉木先生は教え方丁寧で良いって、結構人気ありますよ」
「そうなのか?」
斉木先生の表情が明るくなった。
「はい。今のままでいいと思います」
「なら、良かった。正直、ちょっと細かく説明しすぎかと思っていた。うちは進学校だし、みんなある程度予習してきてるだろ? 分かり切った事を説明されて、退屈しているかもしれないと思っていた」
「そんな事ないです。少なくとも俺は、あまり予習してないんで助かってます」
斉木先生が笑った。
「それじゃ、高宮のためにも、これからも詳しく説明しなくちゃな」
車は一時間ほど走ると、山を登り始めた。そして、駐車場のある展望台に辿り着くと、斉木先生は車を停めた。
斉木先生がシートベルトをはずしながら「来た事あるか?」と訊いてきたので、望は「小学校の遠足で来たかもしれません」と答えた。
二人は車を降りた。土曜日だから、他にも車がたくさん停まっていて、家族連れやカップルが景色を楽しんでいる。
今日は天気が良いから、遠くまできれいに見渡せた。眼下には街が広がり、遠くの山々が美しい稜線を描いている。
「高いところからの景色って気持ちいいですね」
望が言うと、斉木先生がほほ笑んだ。
「今日は天気が良いからきれいに見えるな」
二人はしばらく景色を眺めると、再び車に乗って山を下りた。その後、道の駅に寄って昼食を摂り、土産物屋をぶらぶらしたり、史跡に立ち寄ったりして一日を過ごした。
帰りの車の中で、斉木先生が、
「来週はもう夏休みだな。予定は?」と望に尋ねてきた。
「特に予定はないですけど」
「そうか。夏休みなら、もう少し遠出ができるな。どこか行きたいところあるか?」
「え? いや……」
「じゃあ、考えておけよ。次は高宮の行きたい所へ行くから」
「はい」
望は思わずうなずいてしまったが、内心は首を傾げていた。何となくだが、毎週会うのが普通というような言い方である。今日は一日、夢の話にはほとんど触れず、普通に遊んで過ごしてしまったが、一体目的は何だったのだろうか。望には斉木先生の真意が分からなかった。
帰りは望の家の前まで斉木先生が車で送ってくれた。
「ありがとうございました」
「それじゃ、また月曜日にな」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
望は車を降りた。そして、走り去る斉木先生の車を見えなくなるまで見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます