その19~夢~

 ユリウスは、一人で城を訪れた。あのカードが効力を発揮していれば、今頃斉木先生は斉木先生としての記憶があるままで、この世界にいるはずだ。

 ユリウスはいても立っても居られず、直接アトリエに行き、ドアをノックした。しかし、返事はない。ドアを開けると、中には誰もいなかった。

「いない……」

 ユリウスは少しがっかりして、ライムントがいつも自分たちを描く時に座っている椅子に座った。以前の事があるから、さすがに寝室にまで行く勇気はない。

 目の前に、布が掛けられたキャンバスがある。手を伸ばして布をはずすと、キャンバスにはユリウスとイーヴォが描かれていた。もうだいぶ完成に近づいている。ユリウスはライムントが描いた自分の姿を見つめながら、もし、斉木先生がライムントだとしたら、ライムントと同じように自分を好きでいてくれるだろうか、と思った。

 しばらく待ってもライムントが来る気配はなかった。日によっては、予定が立て込んでいて呼ばれない日もあったから、今日はちょうどそういう日だったかもしれないと思い始めた。

 ユリウスは立ち上がってアトリエを出ると、控室に向かった。そして、控室のドアを開けて思わず「あ!」と声を上げた。中にライムントが立っていたからだ。

「なぜそんなに驚く?」

 ライムントが不思議そうな顔をした。

「あ、あの、俺アトリエにいたので……」

「行き違っていたか」

「はい」

「なぜ今日に限ってアトリエに?」

「早く話がしたくて……」

 ユリウスはライムントに歩み寄った。そして、

「今日、何かお変わりありませんか?」と尋ねた。

「それはどういう意味だ?」

「この世界を夢だとは感じませんか?」

 ライムントが目を見開いた。

「まさか、やはり……」

 ライムントの反応に、ユリウスは確信を深めた。ライムントはユリウスを見つめている。ユリウスはライムントの目を見て「斉木先生」と言った。すると、ライムントが驚きの表情を浮かべた。

「高宮……?」

 決定的な言葉だった。その瞬間、ユリウスは雷で撃たれたような衝撃を受けた。間違いなく、ライムントは斉木先生だ。

「そうです。俺は高宮望です」

「そうか……。だから……」

 ライムントが頭を右手で押えた。ライムントも相当ショックだったようだ。

「どうして俺が高宮望だと分かりました?」

「同一人物なのだから当たり前だ。分からないはずがない。まさかとは思ったが……。でも、高宮しか考えられなかった。昨日のあの封筒、あれが関係してるんだろう?」

「はい。そうです」

「これはどういうことなんだ? ユリウス、いや、高宮は俺の事が分かっていたのか?」

 ライムントが自分の事を「俺」と言うのを初めて聞いた。斉木先生からも今まで聞いたことがなかった。ユリウスは、初めてライムントの本当の姿を垣間見たような気がした。

「確信はありませんでした。でも、そうではないかと思って、だから試しました」

「試す?」

「あの封筒に入れたカードは現実世界と夢の世界をつなぐ力を持っています。斉木先生に持たせれば、同一人物かどうか分かると思ったんです」

「どうしてそれを知りたかった?」

「それは……」

 ユリウスが言いよどんでいると、ライムントが真剣な目でユリウスを見つめてきた。

「ユリウスは、俺が先生だと思ったから避けていたのか?」

「……そうです」

 ユリウスは視線を落とした。すると、ライムントがユリウスの両腕を掴んだ。

「じゃあ、ユリウスは、本当は俺をどう思ってるんだ?」

 ライムントが斉木先生だったら、抑えなければならない感情だと思っていた。だが、実際は抑えることなどできるはずもなかった。ユリウスはライムントから視線を外したまま「俺はあなたが好きです」と言った。そして、

「でも、俺が自分の生徒だったら……」と言いかけた時、ライムントがユリウスを抱きしめた。

「馬鹿……。ずっと一人で思い悩んでたんだろう?」

 ライムントの言葉に、ユリウスは胸が締め付けられた。ライムントが愛おしくてたまらず、ライムントの背中に両腕を回して自分からも抱きしめた。

「ごめんなさい」

「どうして謝るんだ?」

「色々です」

 ライムントを避けたことも、斉木先生とライムントを繋げてしまったことも、これからの事も、色々考えると、ライムントに申し訳なくて仕方がなかった。

 ライムントがユリウスの頬から顎の辺りに手を添えて、自分の方を向かせた。目がまともに合って、ユリウスは顔が赤らむのを感じた。

 少しの間見つめ合った後、ライムントがユリウスに唇を重ねてきた。ユリウスは慌ててライムントを押し退けた。

「だめです!」

 ユリウスが自分の生徒だと分かった上で、こういうことをしてくるとは一体どういう神経をしているのか、とユリウスは思った。すると、ライムントが笑った。

「ユリウスは冷静だな」

「何考えてるんですか」

「何も考えていない。俺にはそんな余裕はない」

「後悔しても知りませんから!」

「後悔なんてしない」

 ライムントがもう一度ユリウスを引き寄せようとしてきたから、ユリウスはそれをかわして逃げた。

「だから、だめですって。俺たち、先生と生徒なんですから」

「それは現実世界での話だろう? この世界では違う」

「俺は、絶対現実世界にも引きずります!」

「ユリウスは何でも真面目に考えすぎだ。まあ、そういうところが『らしい』んだが……」

 ライムントが苦笑いを浮かべた。

 その時、部屋のドアをノックする音がした。ユリウスが「はい」と答えると部屋のドアが開き、リーンハルトが入って来た。リーンハルトはライムントの姿を見て「兄上……」とつぶやいた。そして、ユリウスに視線を移すと「思ったとおりだった?」と尋ねた。ユリウスはリーンハルトにうなずいて見せた。

 リーンハルトがライムントの前に進み出た。

「兄上は斉木先生ですよね?」

 リーンハルトが言うと、ライムントが「ああ」と答えた。そして、逆にライムントがリーンハルトに、

「リーンハルトは渡瀬か?」

 と尋ねたから、ユリウスは驚いたし、リーンハルトも驚いた表情を浮かべた。

「なぜ……?」

「今の様子もそうだし、高宮と渡瀬の雰囲気そのままだ。大体、長年兄弟でいたのだから何となく分かる」

「そうですか。僕も去年からそうじゃないかと思ってました」

「最初にこの世界に『気付いた』のは渡瀬か?」

「はい。二年ぐらい前に僕が気付いてあのカードを作りました。高宮くんはまだ二か月ぐらいです」

「そうか」

「斉木先生まで巻き込んでしまってすみません」

「いや、別に構わない。寧ろ感謝しているぐらいだ」

「感謝、ですか?」

「知らないままだったら、誤解をするところだった」

「誤解……」

 リーンハルトはつぶやいて何かを考え込むような様子を見せた。それからライムントに真剣なまなざしを向けると、

「それで、これからどうするんですか? ユリウスは高宮くんで、先生の生徒ですが」と尋ねた。

「リーンハルト、私はユリウスを譲るつもりはない。それは何があろうと、どんな立場になろうと変わらない」

「先生と生徒でも?」

「現実世界ではそうだ。でも、私の気持ちは変わらない」

「斉木先生は高宮くんの事どう思ってるんですか? 好きだったんですか?」

「リーンハルト」

 ライムントがリーンハルトを見据え、

「現実世界の立場を持ち出して揺さぶろうとしても無駄だ」と言った。

「別に、僕は揺さぶろうとしているわけではありません。事実を言っているだけです。実際、斉木先生は先生なんですから、この世界と同じようにはできないでしょう?」

 すると、ライムントが笑った。

「確かに、同じようにしたら懲戒免職だな」

 リーンハルトが少しムッとした表情を浮かべた。

「この世界と現実世界をまるっきり切り離して考えようとするなら、それはずるいですよ。この世界で起きたことは、僕たちの精神に必ず影響するんですから」

「私は別に切り離そうとしているわけではない。いや、切り離す事はできないだろう。記憶がつながってしまった以上、この世界と現実世界での心はリンクせざるを得ない。リーンハルトの言うとおりだ。気持ちを変えることはできないが、確かに言動は慎まなければならないな。さっき、ユリウスにも叱られたばかりだ」

 ライムントとリーンハルトの間に何とも言えない空気が流れた。ユリウスはどうすればいいのか分からなかった。二人がこうなってしまった原因は自分にある。

 リーンハルトが、

「こんなの、許されるわけがない! 先生が生徒に、しかも男性教師が男子生徒に恋愛感情を持つなんて、世間が許すはずがありません!」と声を荒げた。それから、ユリウスを振り返り、「ユリウス、僕はユリウスが、高宮くんが、苦しんだり傷ついたりするのを見たくない。ちゃんと冷静に考えて欲しい」と言った。

 ユリウスは何も答える事ができなかった。

 一方、ライムントは落ち着いた様子だった。

「私は自分の立場を守るために大事な物を失うくらいなら、何だって捨てられる。私にとってユリウスはそれだけの存在だ」

 ライムントの言葉に、ユリウスは胸が熱くなった。

 リーンハルトは唇を噛みしめてしばらく黙っていたが、「分かりました。もういいです」と言って、部屋を出て行ってしまった。

「リーンハルト」

 ユリウスは追おうとしたが、ライムントが「行くな」とそれを制した。

「ライムント様……」

「行かないで欲しい」

 ライムントの目には不安の色が浮かんでいる。ユリウスはその姿を見て、自分がライムントを好きなのはこういう所だと思った。劣等感から来る不安。自分は歪んでいるのかもしれないが、その気持ちに共感する。

「分かりました」

 ユリウスが言うと、ライムントがユリウスに歩み寄り、「ありがとう……」と言った。

 それから二人は、これまでの事を振り返りながら、長い時間語り合った。

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