その18~現実~

 望は完全に斉木先生を意識するようになってしまった。姿を見かければ目が離せなくなるし、かといって目が合いそうになると慌てて逸らしてしまう。次の面談の時に二人きりの空間に耐えられるだろうかと、今から不安になった。

 いっその事、斉木先生がライムントかどうか、はっきりさせてしまった方が良いのではないかとも思った。早くこのもやもやした気持ちをすっきりさせたい。しかし、いざはっきりさせたとして、もしライムントで確定なら、今よりもっと状況は悪くなるだろう。斉木先生は、何も知らずに過ごしているのに、生徒である自分との関係に思い悩むことになるかもしれない。そして、ライムントでなかったとしても斉木先生を巻き込んでしまうことに違いはない。

 心情的にも複雑だった。今の自分はライムントへの気持ちを引きずって、斉木先生を意識しているだけではない気がする。斉木先生自体を意識し始めていることを否定できない。この気持ちのやり場をどうすればいいのか分からなかった。

 望は毎日その考えのループで、どうにもできずにただ毎日思い悩むしかなかった。

 ある日、望は渡瀬に「今日じゃなくてもいいけど、放課後時間くれないか?」と尋ねた。誰かに話して頭を整理したかった。そして、それが話せるのは渡瀬以外にはいなかった。渡瀬は即答で、その日の部活を休んで望に付き合ってくれた。

 二人は以前と同じく、駅前のファーストフード店の二階の席に向かい合わせで座った。

「どうしたの?」

 渡瀬が望に尋ねてきた。

「うん。実は、ライムントの事なんだけど……」

 望がそう言うと、渡瀬が明らかに落胆した表情を浮かべた。望は申し訳ないと思いつつも、言葉を続けた。

「渡瀬は誰かこの人だって思ってる人がいるんじゃないかと思って」

「…………」

 渡瀬が視線を落とした。そして逆に、「高宮くんはそう思ってる人がいるの?」と尋ねてきた。

「いる」

 望が言うと、渡瀬が目を見開いた。

「誰?」

 望は迷ったが、「斉木先生」と答えた。すると、渡瀬の顔が一気に青ざめた。その様子から、やはり、渡瀬が斉木先生の事をライムントだと思っているのは間違いないと思った。

「どうして、そう思った?」

「勘だけど……」

 渡瀬はしばらく黙っていたが、「そっか……」とつぶやくと、「僕も同じだよ」と言った。

「やっぱり……」

 望は渡瀬の予想通りの答えに、複雑な気持ちになった。

「確信は持てないんだ。ただ、一年の時、斉木先生が担任になって、理由は分からないけど、本当に自然に『兄上だ』って思うようになったんだ」

「面談の時カードを落としたのは、斉木先生に見せて試そうと思ったから?」

「うん。斉木先生に見せて試してみようと思った」

 やはり、望が想像していた通りだった。

「本当に、斉木先生がライムントなのかな?」

「それは分からないけど……。なんなら試してみる?」

 渡瀬はそう言うと、カバンからあのカードを取り出してテーブルの上に置いた。望は驚いて目を見開いた。

「それは……」

「そんなに気になるなら、これを使ってはっきりさせればいいよ」

 望は首を振った。

「それはダメだ。もし、斉木先生がライムントだったら悩ませてしまうかもしれない」

 すると、渡瀬が望に強い視線を向けた。

「はっきりさせたかったから、今日僕を呼び出したんだろう? どっちつかずなのはよせよ」

「…………」

 全く渡瀬の言うとおりだった。望は何も言い返せなかった。

「高宮くんは、もし、ライムントが斉木先生だったら、どうするつもりなんだ?」

「それは……」

「あきらめるのか? それとも、斉木先生と付き合う?」

「そんな、先生と付き合うなんて……。先生がどう思うかも分からないし」

「じゃあ、あきらめる?」

「…………」

 望は、自分の気持ちを断ち切る事などできるのだろうか? と思った。

 渡瀬は、アイスコーヒーを一口飲んでふっと息を吐いた。

「もし、あきらめるなら、僕と付き合って欲しい」

「え?」

「僕は現実世界でもテンダールでも、高宮くんを悩ませるような事なんてしないから。僕を信じて欲しい」

「…………」

「ライムントが斉木先生じゃなかったら、ユリウスはライムントの気持ちを受け入れる?」

 望は迷いつつ「うん」と答えた。すると、渡瀬が悲しそうな目をした。

「そうだよな……。でも、そうだとしても、現実世界では僕と付き合ってくれないか?」

「渡瀬……」

「僕は本気だから。どんな形でもいい。高宮くんが僕のところへ来てくれるのを待ってる」

 渡瀬がカードを望の方へ押して言った。

「とにかく、これは高宮くんに預けるから。ちゃんとはっきりさせて欲しい」

「分かった……」

 望はカードを受け取ると、制服のポケットにしまった。

 翌日の放課後、望は数学教員室の前までやってきた。ノックしようとするが、なかなかできない。極度の緊張で何度もため息が出た。しばらくの間、ドアの前でノックするかしないか思い悩んでいると、ドアが内側から開いて、中から野村先生が出てきた。野村先生は望に気付いて「どうした?」と声を掛けてきた。

「あの、斉木先生は……」

「斉木先生は今いないけど」

「そうですか」

 何となく、望はほっとした。野村先生はそのまま出て行き廊下を歩いていった。すると、野村先生が行った先から斉木先生がやってきた。野村先生はすれ違いざまに斉木先生に声を掛け、望の方を指差した。望はもう後には引けないと思った。

 斉木先生は望の方に歩いてきた。

「高宮、何か用か? 入れよ」

 斉木先生はそう言って、数学教員室のドアを開けた。中には他に先生はいなかった。

「はい」

 望は数学教員室に斉木先生と共に入った。緊張で頭がおかしくなりそうだった。

「どうした?」

 斉木先生が望にほほ笑みかけながら尋ねた。

「あの、先生にお願いしたいことがあって」

「何だ?」

 望は持っていた封筒を差し出した。

「これを一日預かってもらえませんか?」

「これを? これは何だ?」

「大事な物なんですけど、ちょっと訳があって、俺が今日持ち帰れないんです。だから今日だけ預かってくれませんか?」

「それはいいけど、どうして先生に?」

「本当に大事なものなので、先生なら信用できると思って」

「そうか」

「絶対に学校に置いて行かないで下さい」

「分かった。明日の朝返せばいいか?」

「はい。お願いします」

 望は頭を下げて、逃げるように数学教員室を出た。そして、大きく息を吐いた。我ながら、よく落ち着いて話すことができたと思った。しかし、これでもう後戻りはできない。望は廊下を駆けて行った。

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