その17~夢~

 その翌日から、ユリウスは絵のモデルを再開した。モデルをしている間は、否が応でもライムントの視線を受けることになる。ユリウスは胸の高鳴りを抑える事ができなかった。顔が赤らんでいるのではないかと思うと、気が気ではなかった。

 ライムントが「今日はここまでにしよう」と言うや否や、ユリウスは「では、失礼します」と頭を下げ、早々にアトリエを出ようとした。

「ユリウス」

 そんなユリウスをライムントが引き止めた。

「はい」ユリウスは足を止めた。

「怒っているか?」

 ライムントの目が少し悲しそうに見えて、ユリウスは胸が痛んだ。

「いえ……。怒ってはいません」

 ライムントは自嘲気味な笑みを浮かべると、「心配するな。もうあんな事はしない」と言った。どうやらライムントは、ユリウスがライムントを警戒していると思っているようだ。そうではないのだが、何と言えば良いのか分からない。

 ユリウスは「何も気になさらないで下さい。では、失礼します」と言って、逃げるようにアトリエを出てしまった。

 イーヴォが「なあ、『あんな事』ってなんだ?」とユリウスに尋ねた。

「なんでもないよ」

 ユリウスはそう答えて歩き出した。

 イーヴォがユリウスの顔を覗き込んできた。

「もしかして、あいつに何かされたのか?」

 ユリウスは動揺した。

「べ、別に、何もされてないよ」

 イーヴォが疑いのまなざしをユリウスに向けた。

「うそだね。顔、真っ赤だぞ?」

「…………」

 イーヴォがアトリエの方を振り返り、「あいつ、ユリウスに手を出すなんて許せない」と言った。

 その時、廊下の端からリーンハルトが駆け寄って来た。

「ユリウス、モデルは終わった?」

「ああ、うん。終わったけど」

「じゃあ、これから時間ある?」

「え? うん。大丈夫だよ」

「これから弓の練習をしようと思って。付き合ってくれない?」

 ユリウスは「いいよ」と言ってうなずいた。

 ユリウスとイーヴォはリーンハルトに連れられて、城の庭の一画にやってきた。

 そこでユリウスは、しばらくリーンハルトの弓の練習を眺めていた。すると、リーンハルトが「ユリウスもやってみる?」と言ってきた。

「え? できるかな?」

「教えるから」

 リーンハルトはユリウスに弓矢の使い方を手取り足取り教えてくれた。なんとか弓を引けるようになったユリウスは、至近距離から的当てをして遊び始めた。

「結構おもしろいな」

「そうだろ? ユリウス、結構うまいよ」

 しかし、何本目かの矢を番え、弓を引いた際、引いている途中で筈が弦から外れてしまい、弦で左腕の内側を打ってしまった。

「痛っ!」

 ユリウスはしゃがみこんで弓を足元に置いた。

「大丈夫?」

 リーンハルトが駆け寄ってきてユリウスの腕を覗き込んだ。腕が赤くなっている。

 リーンハルトはハンカチを取り出すと、イーヴォに「これを濡らしてきて」と頼んだ。

 イーヴォが「分かった」と言って駆けて行った。

「痛い?」

「ちょっと。大した事ないけど」

 リーンハルトはユリウスの腕に手を添えて心配そうに見つめている。しかし、少しして急に「ごめん」とつぶやいた。

「え? なんで? 別にリーンハルトのせいじゃないだろ?」

 ユリウスが不思議に思って尋ねると、リーンハルトが顔を上げた。

「不謹慎だけど、ずっとこのままでいたいって思ってしまったから」

 気付くと、リーンハルトとの距離がとても近かった。ユリウスは急に恥ずかしくなった。

 リーンハルトがさらに体の距離をつめ、顔を近づけてきた。その時、イーヴォが駆けてくる足音が聞こえて、リーンハルトがユリウスから離れた。

「はい、これ。濡らしてきたぞ」

 イーヴォがハンカチをリーンハルトに渡した。

「ありがとう」

 リーンハルトが濡れたハンカチをユリウスの腕に当てた。

 ユリウスはリーンハルトの横顔を見つめた。リーンハルトはいつも優しい。リーンハルトといる時は心が穏やかになれる。客観的には、リーンハルトと一緒にいた方が自分は幸せなのではないか、ユリウスはぼんやりそんな事を思った。

 リーンハルトと別れ、帰ろうとしていた時、正面からライムントがやってきた。ユリウスの心臓が大きく一つ脈打った。リーンハルトといる時とは違い、ライムントといると心が波立つ。

 ライムントはすれ違いざま「ユリウス」と声を掛けてきた。

「はい」

「私の事を迷惑に思っているか?」

「え?」

「だとしたら、すまない」

「いえ、迷惑だなんて……」

 ライムントはユリウスと目を合わせなかった。その表情はどこか切ない。

「私はおまえたちの邪魔をするつもりはない」

 ライムントはそれだけ言うと、ユリウスの言葉を待たずに去って行った。

 ユリウスの鼓動は一気に速まった。

 ライムントはユリウスの気持ちを誤解している。ユリウスが避けるような態度を取ったから、ユリウスの心が自分にないと思い始めているのかもしれない。

《『おまえたち』って、どういう意味?》

 ユリウスは、はっとした。ライムントはユリウスがリーンハルトを選んだと思っているのではないだろうか。

 よく考えてみると、そう思われるのには十分な材料が揃っていた。ユリウスは契約を解約したくないと、はっきり言うことができなかった。リーンハルトとはずっと仲良くしてきたし、ひょっとすると、先ほどのリーンハルトとの様子を見られていたかもしれない。

 ユリウスは首元に手をやった。指先にリーンハルトからもらったネックレスチェーンが触れる。

 このままでは、ライムントの心が離れてしまう。ユリウスは今すぐにでもライムントを追いかけて行きたかったが、それをしたらもう歯止めが利かなくなる。ユリウスはライムントの後姿を見つめたまま立ち尽くすしかなかった。

 その様子を見ていたイーヴォがユリウスに言った。

「ユリウスは、ライムントの事が好きなんじゃないのか?」

「え?」

「どうなんだよ? 好きなのか?」

「それは……」

「やっぱり、好きなんだな? じゃあ、どうしてそんな曖昧な態度取るんだよ?」

「…………」

「ユリウス、好きなら素直になった方がいいぞ。今すぐにでも追いかけていけよ」

「そうしたいけど、だめなんだ」

「なんで? ライムントが王子だからとか、男だからとかそういう理由?」

 ユリウスは首を振った。

「それは違う。もっと複雑で厄介な理由」

「よく分からないけど……。俺はユリウスのさっきみたいな顔見るの嫌なんだよ」

「イーヴォ……」

「俺まで悲しくなる」

「ごめん」

 ユリウスが俯くと、イーヴォがユリウスを抱きしめた。

「俺はユリウスの事好きだから、ユリウスには幸せになって欲しい。俺はユリウスの味方だからな」

「ありがとう……」

 ユリウスは、自分は一体どうすれば良いのか、答えを見出せなかった。

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