その16~夢~

 ユリウスは家を出たものの、城へ行く気が起きず、近くにある小川の川辺に座ってぼんやりしていた。

 しばらくして、近づいて来る足音に気付き振り返ると、そこにイーヴォが立っていた。

「イーヴォ」

「なんでこんなところにいるんだ?」と言って、イーヴォはユリウスの隣に座った。

「ちょっと……」

「城に行かないのか?」

「行こうとは思ってたんだけど……」

「ライムントの事か?」

「……うん、まあ」

「あれから、ライムントと話したのか?」

「あんまり」

「そっか。まあ、気まずいよな」

 イーヴォは、ユリウスがライムントとキスをしていて、リーンハルトである渡瀬が望に告白をしているなどとは、夢にも思っていないだろう。しかも、ひょっとするとライムントは斉木先生なのかもしれない。事態はイーヴォが思っているよりも、複雑になっているのだ。

 イーヴォは少しの間、小川を見つめたまま黙っていたが、「俺はさ……」と口を開いた。

「やっぱりユリウスの事が好きだから、これまでみたいに友だちってわけにはいかない。だから、これからは竜使いに仕える竜としてユリウスと接しようと思ってる。これからはユリウスが呼ばない限り来ないようにするよ」

「イーヴォ……」

 イーヴォの気持ちを思うと、ユリウスは胸が痛んだ。しかし、イーヴォはユリウスに笑って見せた。

「そんな顔するなよ。俺、意外に元気だし。ちゃんとさ、呼んでくれれば来るから。困った時はいつでも呼んでくれよ。俺、いつでも飛んで来るからさ」

「ありがとう……」

 イーヴォが「城、一緒に行こうか?」と尋ねてきた。

 一人じゃなければ、城に行けるような気もする。ライムントとリーンハルトに会ったら、一体どんな顔をして何を話せばいいのか全く分からない。しかし、いつまでも逃げているわけにはいかないと思った。

「そうだな。一緒に行ってくれるか?」

「うん。行こう」

 ユリウスはイーヴォと共に立ち上がった。

 ユリウスとイーヴォは城へ行き、控室のドアを開けた。

 中を見て、ユリウスは驚いた。リーンハルトが窓際に立っていたからだ。リーンハルトはユリウスに向かってほほ笑んだ。

「今日は来ないかもって思ってた。来てくれてよかった」

 ユリウスは、渡瀬からの告白を思い出し、リーンハルトを前にして胸の鼓動が早くなった。

 リーンハルトがイーヴォに目をやって、

「イーヴォも今日は来られたんだね。なんか、久しぶりだな」と言った。

「別に俺はおまえになんか会いたくなかったけどな」

「ハハ。元気そうで良かった。僕はイーヴォに会えてうれしいよ」

 リーンハルトの様子はいつもと変わりなかったので、ユリウスは安心した。

 イーヴォが「でもさ、入ってすぐリーンハルトがいるなんて、初めてだな」と言った。

 すると、リーンハルトが「今日はずっとここで待ってたんだ。ユリウスが来てくれるか心配だったし、早くユリウスに会いたかったから」と言った。それを聞いたイーヴォが首を傾げた。

「なんだそれ? ユリウスと喧嘩でもしたのか?」

「喧嘩はしてないよ」

 その時、控室のドアがノックされた。

「はい」

 ユリウスが返事をすると、使用人が入ってきて、リーンハルトの姿を認めて一礼をした。それからユリウスに向かい、「ライムント様がお呼びだ。アトリエに来るようにとのことだ」と伝え、部屋を出て行った。

 ユリウスの鼓動が一気に早まった。

 イーヴォが「呼ばれてるって。行くか」と言った。ユリウスは「ああ」と答え、リーンハルトの方を見て「呼ばれてるから俺……」と言いかけると、リーンハルトが急にユリウスの腕を掴んだ。

「リーンハルト?」

 リーンハルトは真剣な目でユリウスを見つめている。

「行かないで欲しい」

 リーンハルトはユリウスの腕を掴む力を強めてきた。ユリウスの鼓動は増々早くなり、何も言うことができなかった。

 イーヴォが驚いた様子でリーンハルトを見つめると「おまえ、どうしたんだ?」と言った。

「本当は、ずっと行って欲しくなかったんだ。だけど言うことができなかった。契約なんてさせなければ良かった」

 優等生で聞き分けの良いリーンハルトが、こんな姿を見せるなんて思ってもみなかった。

 その様子を見てイーヴォが察したらしく、

「まさか、おまえもユリウスが好きなのか?」と言った。

 リーンハルトがうなずいた。

「好きだよ」

「そうだったのか。ユリウス、どうするんだよ? みんなユリウスの事好きじゃん」

「俺は……」

 ユリウスが言いかけると、リーンハルトが「待って」と制した。

「今は結論を出さないで欲しい」

「リーンハルト……」

「とにかく、もうユリウスを兄上の所には行かせない」

 リーンハルトはそう言ってユリウスの腕を離すと、急に控室を出て行った。

「え? リーンハルト?」

 ユリウスは慌ててリーンハルトを追いかけた。

 リーンハルトは、ライムントのアトリエに行くと、ドアをノックもせずに勢いよく開けた。そして、そのまま中へ入って行った。ユリウスとイーヴォもそれを追って中に入った。アトリエの奥の椅子にライムントが座っていた。

 リーンハルトはライムントに歩み寄り、机越しに対峙した。

「リーンハルト、どうした?」

 ライムントがリーンハルトに尋ねた。

「兄上、お願いがあります」

「何だ?」

「ユリウスとの契約を解除してもらえませんか?」

 ユリウスは驚いた。ライムントは少しだけ目を見開いたが落ち着いている。

「私とユリウスとの間の契約だ。当事者でないおまえに解約を申し出る権利はない」

「分かっています。でも、僕はユリウスの事は譲れません」

「……やっと素直になったか。初めてだな。リーンハルトが私に張り合おうとするのは」

「兄上こそ、初めてではありませんか。僕から何かを奪おうとするのは」

「まるで、ユリウスがおまえのものとでもいうような言い方だな」

「ユリウスに会ったのは僕が先です」

「先か後かは関係ない。重要なのは、ユリウスがどう思っているかだ」

 ライムントがユリウスに目を向け「ユリウス」と呼び掛けた。

「はい」

「ユリウスは私との契約を解約したいか?」

 この場で答えにくい質問だった。答えたら、どちらかを選んだ事になってしまう。

 ユリウスが黙っていると、イーヴォが「こういう時は気を遣わずに、自分が思うままに答えた方がいいぞ」とささやいた。

 そうしたいのはやまやまだったが、そう簡単ではなかった。ライムントが斉木先生かもしれないと思っている今、ライムントにこれ以上深入りすることはできない。リーンハルトは大切な存在で、答えによっては失うこともあるかもしれない。そう思うと怖かった。

 ライムントとリーンハルトは固唾をのんでユリウスの答えを待っている。

「俺は……。今描いて頂いている絵は完成させたいと思っています。少なくともそれまでは契約を続けたいです。それから先の事は、その時に考えます」

 ずるいと思ったが、とりあえず結論を先延ばしにしようとユリウスは思った。

「分かった」

 ライムントは静かな表情でうなずいた。リーンハルトは複雑な表情を浮かべていたが、

「絵が完成するまで、ですね?」と言った。それからユリウスを振り返り、「じゃあ、今日は行こう」と、ユリウスの手を掴んで引いた。一刻も早く、ユリウスをライムントから引き離そうとしているように見えた。

「ユリウス」

 ライムントがユリウスに呼びかけた。

「はい」

「明日からモデルを再開して欲しい」

「分かりました」

 ユリウスはうなずいたが、ユリウスの言葉が終わるか終わらないかのうちに、リーンハルトがユリウスの手を引き、どんどん歩いてアトリエを出て行ってしまった。

 廊下に出ると、リーンハルトはユリウスの手を離した。そして、何事もなかったかのようにユリウスにほほ笑みかけた。

「今日は予定何も入れなかったんだ。どこか行きたいところとか、したい事とかある?」

「え? いや、特には……」

「じゃあ、こっちに来て」

 リーンハルトは再びユリウスの手を掴んで歩き出した。階段を上り、辿り着いた先はリーンハルトの部屋だった。

「入って」

 リーンハルトに促され、ユリウスとイーヴォは部屋に入った。ユリウスは二度目だが、イーヴォは初めてだったので、物珍しそうに部屋中を見渡していた。

「座ってて」

 ユリウスとイーヴォは言われたとおり、ソファーに座った。

 リーンハルトは小さな箱を持ってきて、ユリウスの隣に座った。リーンハルトが箱を開けると、中には銀色のネックレスチェーンが入っていた。リーンハルトはチェーンを手に取ってユリウスの方にかざした。

「これ、良かったら使ってくれない?」

「え?」

 ユリウスは驚いてリーンハルトを見つめた。

「前に竜笛もらっただろ? もらいっぱなしだったからお礼がしたくて」

「そんなの、いいのに」

「僕と同じのを作らせたんだ。ユリウスと同じ物を持っていたくて」

「だけど、そんな高価なもの……」

「気にしないでよ。ほら、付けてみて」

 ユリウスは首から下げていた革紐を外して結び目を解くと、竜笛を革紐から外した。

 リーンハルトが「貸して」と言ってユリウスに右手を差し出した。ユリウスはリーンハルトの手のひらに竜笛を乗せた。リーンハルトは受け取った竜笛をチェーンに付け直し、チェーンをユリウスの首に掛けた。

「うん。似合うよ」

 リーンハルトが満足そうな笑みを浮かべた。

「ありがとう……」

 すると、ユリウスの後ろからイーヴォがユリウスの両肩を掴み、ユリウスの体を後ろに引いた。そして、リーンハルトを睨むと、

「おまえ、ちょっと近いぞ」と言った。

「別にいいだろ? イーヴォなんて、いつももっと近いじゃないか」

「俺はいいけど、おまえはだめだ」

「なんだよ、それ。勝手だな」

 リーンハルトは苦笑いを浮かべた。

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