その15~現実~
目を覚ましてからも望の頭は完全にライムントに支配されていた。通学中も、授業中も、ライムントのことが頭を離れない。ライムントの声が、感触が、体温が、生々しい感覚としてまだ残っている。熱に浮かされたように頭がぼんやりとし、体が熱かった。
昼休み、自分の席の前に渡瀬が来ても気付かなかった。
「高宮くん? どうしたの?」
渡瀬が心配そうに望の顔を覗き込んだ。
「何でもない……」
「お昼は?」
今日、望は休み時間に売店に行くのを忘れた。実際、食欲もあまりなかった。
「今日は昼はいいや」
「え? もしかして、具合悪い?」
「いや、大丈夫」
「だって、食欲ないんだろ?」
「本当に、体調は大丈夫だから」
渡瀬が望を見つめた。
「体調が大丈夫なら、精神的なもの?」
「え?」
「もしかして、イーヴォや兄上と何かあった?」
図星だったので、望は顔が火照った。
「なんで?」
「だって、最近ユリウスはいつも一人で城に来てたし、兄上にも呼ばれてないみたいだったから。絶対、二人と何かあったんだろ?」
「それは……」
望が言いよどんでいると、渡瀬が「ちょっと来て」と言って望を教室の外に連れ出した。二人は人通りの少ない廊下の端まで移動した。
渡瀬が望に、
「何があったんだ? 現実世界にまでこんなに引きずるなんて、よっぽどだろ?」と言った。
望は覚悟を決め、
「実は、二人から告白されたんだ」と答えた。
「やっぱり……」
渡瀬は全く驚かずにそうつぶやいた。
「渡……リーンハルトは気付いてたのか?」
望は逆に驚いて渡瀬に尋ねた。
「当たり前だろ? 言ったじゃないか。気付かない方がおかしいって」
「ライムントの事も?」
「そうだよ」
「どうして……」
渡瀬はため息をついた。
「兄上はこれまで、目立つような行動は明らかに避けていたんだ。僕に張り合うような事も全くしなかった。なのに、ユリウスのことだけは違ってた。宴の時に、王様の前に出て行った時から、そうじゃないかと思ってたよ」
そういえば、あの時王様の前でわざわざユリウスを自分にも仕えさせると言った理由を、ライムントから聞けずじまいだった。
渡瀬が「それで、告白されてどうした?」と望に尋ねた。
「イーヴォには友だちだと思ってるって答えて……。それっきりで……。ライムントは……」
望の頭に昨日のことが蘇り、顔が熱くなった。
その様子を見た渡瀬が、
「もしかして、ユリウスはライムントが好き……なのか?」と尋ねてきた。
望は胸を矢で射抜かれたような衝撃を受けた。もうどうにも否定のしようがない。ユリウスは間違いなく、ライムントに惹かれ始めている。
「正直、ライムントが気になってる」
望は正直に気持ちを打ち明けた。すると、尋ねて来たはずの渡瀬が驚いたような、ショックを受けたような複雑な表情を浮かべた。
「……そうなんだ。でも、それはユリウスの話だよね?」
「うん。そうだけど……」
「高宮くんがライムントを好きってわけじゃないだろ?」
「あれが夢だとは分かってる……」
「だったら、忘れないと」
「夢だとは分かってるし、現実にはライムントはいないんだって分かってるんだけど……。でも、どうしても、頭を離れないんだ」
「ライムントはいない……」
渡瀬が望の言葉を繰り返してから、我に返った様子で、
「夢と現実は切り離さないと。現実の方がおかしな事になるだろ? 頭を切り替えた方がいい」と言った。
「分かってる。俺も分かってるんだけど……」
望も頭では、夢の世界に引きずられてはいけないと分かっている。しかし、心がそうさせてくれないのだ。
すると、渡瀬が「忘れて欲しい……」とつぶやいた。
「え?」
「夢の中の事なんて、忘れて欲しい。……好きなんだ」
「え?」
望はもう一度聞き返した。渡瀬は真剣なまなざしを望に向けた。
「僕は、高宮くんが好きなんだ」
「――――!」
渡瀬の突然の告白に、望は頭が混乱した。
二人の間にしばらくの間沈黙が流れた。
望はやっと口を開き、
「好きって、友だちとしてじゃなく?」と尋ねた。
「そうだよ。恋愛対象としての好きだよ」
「それは、渡瀬として? それとも、リーンハルトとして?」
「今は、渡瀬靖人として高宮くんが好きだ」
「『今は』ってことは、リーンハルトも?」
「リーンハルトもユリウスが好きだ」
渡瀬が自分にそんな感情を抱いているなど、これまで考えてもみなかった。一体いつから、どうして望の事を好きになったのだろうか。ユリウスの事が好きだというのは分かる。顔もきれいだし、竜使いという特殊能力もあるから、高宮望より魅力があるのは間違いない。だから、渡瀬はリーンハルトとしてユリウスを好きになって、その気持ちを現実世界に持ち込んでいるのだ、と望は思った。先程、望には夢と現実を区別しろと言ったくせに、矛盾している。それなら、ライムントの事が気になってしまっている自分と、何ら変わりはない。
「渡瀬も夢に引きずられてるじゃん」
望がつぶやくと、渡瀬は首を振った。
「違う。僕は今、ユリウスを好きなんじゃない。高宮くんが好きなんだ。僕はちゃんと現実にいる高宮くんを見てる。夢に左右されているわけじゃない」
「でも、きっかけは俺がユリウスだからだろう? 俺なんか、何の取り柄もないし」
「『なんか』なんて言うなよ。どうしてそうやって自分を貶めるんだ」
渡瀬は珍しく怒り口調だった。
「だって……」
「僕は、初めて高宮くんが話し掛けてくれた時、うれしかったんだ。それまで、人と関わり合いを持ちたくない人なのかなって思ってたから。自分の前でだけ、笑顔を見せてくれるのが特別な気がして、もっと笑顔にしたいってそう思った。気付いたら高宮くんのことが好きになってた。僕は、高宮くんが好きだ。高宮くんを幸せにしたい」
ものすごい殺し文句だ、と望は思った。正直、この瞬間はライムントの事が頭から吹き飛んだ。
「そんな風に言ってくれて、ありがとう」
「僕は本気だから。これからずっと、この学校を卒業しても、高宮くんと一緒にいたい。僕と一緒にいて欲しい」
「渡瀬……」
「返事は今じゃなくていいから。考えて欲しい」
「……分かった」
渡瀬は先に教室に戻って行った。望はその後姿を見つめた。
その日の午後、望の頭の中は授業どころではなかった。昨日のライムント、先ほどの渡瀬。二人の顔が交互に浮かんでくる。
渡瀬の気持ちは本当にうれしかった。男同士なのに気持ち悪いとか、友だちだと思っていたのにとか、不思議とそんな風には思わなかった。こんな自分に価値を見出してくれている、それだけで望にとっては意味のある事だった。
一方、ライムントに対する気持ちはもっと生々しいものだった。動物的な本能を刺激された事により生まれた感情だ。だから、理屈で説明できるものではない。身体ごと心が持っていかれてしまっているような、そんな状態だった。
ふと、先ほどの渡瀬の顔を思い出した。「ライムントはいない」そうつぶやいた時の渡瀬の顔だ。あの時の渡瀬は、何かを深く考え込むような複雑な表情を浮かべていた。
《どうしてあんな顔をしたんだろう?》
ライムントはいないというのは、実際は事実と異なる。ライムントが現実世界の人間として、この世界のどこかにいる事は間違いないのだ。しかし、そうだとしても、世界中にこれだけ多くの人がいるのに、偶然会うことなどそうそう考えられない。大体、誰がライムントなのか分かるはずがない。だから、ライムントはどこかにはいるのだが、いないに等しいと言った方が正確だ。「ライムントはいない」と言っても、普通なら特に引っかかる事はないように思えた。ではなぜ、渡瀬はそれを気にする様子を見せたのだろうか……。
望はふと、ある考えに至って血の気が引いた。
《まさか、渡瀬はライムントの正体を知っている?》
思わず望は渡瀬の方に目をやった。渡瀬は真剣に授業を受けているから、望の視線には気付いていない。
もし、そうだとしたら、誰なのか。思い当たる人が一人だけいた。
《渡瀬が知っている人で、渡瀬がカードを見せて試そうとした人……》
望の心臓が高鳴った。
時間割は、次が数学になっている。平常心でいられるだろうか? と望は思った。
チャイムが鳴り、次の授業の開始時刻になると、教室に斉木先生が入って来た。
望は斉木先生を見つめた。面談の際、他の先生とは違う印象を持ったものの、ライムントのような影や艶っぽさは感じられなかった。やはり思い過ごしだ、と思いたかったのだが、なぜか絶対に違うと言いきれない自分がいた。
斉木先生は丁寧に数式を黒板に書いている。予習をしていない望にも分かりやすい授業だ。斉木先生は、「分からない」ことが「分かる」先生なのだ。もっと噛み砕いていえば、「分からない」と言う生徒の気持ちが「分かる」先生だと言える。
目の前にいるのはライムントとは似ても似つかない人なのに、段々ライムントにしか思えなくなってきた。望はいよいよ自分は病気かもしれないと思った。
授業が終わり、教室を出て行った斉木先生を、姿が見えなくなるまで目で追った。斉木先生とライムントに共通点は見当たらない。しかし、望の心の奥底にある何かが、ざわついて仕方がなかった。
しかし、もしも斉木先生がライムントだとしたら、大変な事だ。望は夢の中とはいえ、担任教師とあんな艶めかしい時間を過ごしてしまった事になる。
《どうしたらいいんだ……》
望は頭を抱えて大きなため息をついた。
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