その14~夢~

 次の日、イーヴォは家に来なかった。ユリウスは、イーヴォを呼ぶ事などできず、一人で城に向かった。本当は、城に行くのが怖かった。ライムントに呼ばれたらどうすればいいのか分からなかったからだ。しかし、その日ライムントに呼ばれることはなく、控室にやってきたのはリーンハルトだった。

 リーンハルトは一人でいるユリウスに「一人は初めてだね。イーヴォは?」と尋ねた。

「今日は来られなくて」

「具合でも悪い?」

「いや……」

「イーヴォはよっぽどの事がなければユリウスについて来るだろ?」

「どうして?」

「だって、イーヴォはユリウスの事大好きじゃないか」

 ユリウスは驚いてリーンハルトを見た。

「そういう風に見える?」

「いや、見えない方がおかしいだろ」

 リーンハルトが呆れたような笑みを浮かべた。

「そっか……」

「ユリウスって鈍感だよな。隙だらけだし」

「俺、隙だらけ?」

「隙だらけだよ」

「どういうところが?」

「人に好き勝手されてても全然気づかなそう」

「どういう意味?」

「放っておいたら危ないっていう意味」

「なんか、よく分からないんだけど」

「いいよ、分からなくて」

 ユリウスは、リーンハルトの言葉の意味が分からずに首を傾げた。

 リーンハルトが「こっちの世界で二人きりは初めてだね」と言った。

「そういえば、そうだな」

「せっかくだから、今日は城の中を案内するよ」

「あ、そういえば、俺城の中まだよく分からないかも」

 ユリウスはいつも決まった場所に移動するのみだった。分かるのはこの部屋とライムントのアトリエ、大広間ぐらいだ。

「そうだろ? 城は広いからね。僕もたまに間違うぐらいだよ。それじゃ、行こう」

 リーンハルトがユリウスの手を取って先導した。

 城は廊下も各部屋も、細かな彫刻があったり、絵が飾られていたり、天井画があったりと豪奢な内装だった。

 歩きながら、ユリウスは、

「城の中にある絵って、もしかしてライムント様が描いた絵?」とリーンハルトに尋ねた。

「壁画とか天井画はさすがに違うけど、飾られている絵は兄上が描いた絵が多いよ」

「へえ。すごいな」

 ユリウスはアトリエでよくライムントの絵を目にしているから、ライムントの絵のタッチは何となく分かる。廊下に飾られている絵にもライムントが描いたと思われるものがそこかしこにあった。

「ユリウスとイーヴォの絵は完成しそうなの?」

「たぶん、まだかかるんじゃないかな」

「そっか。できたら僕も見たいな」

「見せてもらえばいいよ。すごくいい絵だよ」

 ユリウスはライムントの絵を思い浮かべて言った。

 そんな話をしていると、二人はちょうどアトリエの前を通り掛かった。ユリウスは内心、ライムントに遭遇するのではないかと気が気でなかった。リーンハルトがアトリエの右隣の部屋を指差し、

「ここ、兄上が寝室にしてるんだ。ちゃんとした部屋は別にあるんだけど、根を詰めてる時は、たまにこっちで寝てるみたい。本物の画家みたいだよね」と言った。

 アトリエを過ぎた先に行き、リーンハルトが一室のドアを開けた。

「ここは図書室」

 ユリウスは中を覗き込んで「すごい!」と声を上げた。円筒状の部屋の壁際に本がびっしりと並べられていて美しい光景だ。

「きれいだろ? 僕もここはすごく好きなんだ。上の方の本はあのはしごを使って取るんだよ」

 壁にかなり長いはしごが立てかけられていた。

「へえ。ちょっとやってみるか」

 ユリウスは好奇心で、はしごを本棚の方に動かすと登り始めた。

「大丈夫?」

「うん。大丈夫」

 リーンハルトが下ではしごを支えた。

 棚の上の方は古い本のようだ。紙と埃の匂いが混じった、独特の匂いがした。はしごの上から部屋を見渡すと、そこから見る景色も美しかった。

 下からリーンハルトが心配そうにユリウスを見上げ、「気をつけて」と声を掛けてきた。

 ユリウスは、はしごを降りた。最後の二段目のところで少し足を踏み外しそうになり、「うわっ」と言って最後はよろけながら着地した。

 リーンハルトが両腕で抱きかかえるようにしてユリウスを支えた。

「危ないな」

「最後ちょっと油断した」

 ユリウスは笑った。

 図書室を出た二人は、階段を上った。

「ここが僕の部屋」

 ドアを開けると、その部屋も他の部屋と同様に豪華な内装だった。床には赤を基調とした幾何学模様の絨毯が敷かれ、大きな暖炉にソファー、テーブルがあり、窓際には机と椅子が置かれている。寝室は奥のドアの先にあるということだった。

「やっぱ、王子様の部屋は違うな。俺の部屋とは大違い」

 ユリウスは感心して、部屋を見渡した。

「気に入った? たまにこの部屋にも遊びに来てよ」

 リーンハルトが言うので、ユリウスは笑った。

「俺みたいな庶民が王子様の部屋にちょくちょく入るのはまずいだろ」

「別に構わないよ。ユリウスは特別だから」

 リーンハルトはほほ笑んだ。

 その後も、リーンハルトは厨房や礼拝堂など、様々な部屋を案内してくれた。そうして、その日は一日が過ぎた。

 それから数日経っても、イーヴォはやって来ないし、ライムントに呼ばれる事もなかった。あの日以来、二人には会わずじまいだ。ユリウスは、ずっとこのままになってしまうのではないかと段々不安になってきた。

 ユリウスは思い切ってライムントのアトリエを訪れた。ノックをしても返事はない。ドアを開けて中を覗き込むと、そこにライムントの姿はなかった。

《いない……》

 ユリウスはしばらくアトリエで待ってみた。しかし、ライムントが来る気配はない。そしてふと、ここの右隣の部屋をライムントが寝室にしていると、リーンハルトが言っていた事を思い出した。

 ユリウスはアトリエを出て、右隣の部屋のドアをノックしてみた。すると部屋の中から「誰だ?」という声がした。声は予想通りライムントだった。

「ユリウスです」

 ユリウスが答えると、中から「入れ」という声が聞こえた。ユリウスはドアを開け、部屋に入った。部屋はそれほど広くはない上、置かれているベッドやタンスが豪奢な分、余計に狭く感じた。ライムントはベッドの上に座って本を読んでいた。

 ライムントは本を閉じると「どうした?」とユリウスに尋ねた。

「話がしたくて来ました」

「一人か?」

「はい」

 ライムントは少し考える素振りを見せたが、ユリウスに向かって「こっちに来い」と言った。ユリウスは言われたとおり、ライムントに近づいた。

 すると、急にライムントがユリウスの腕を掴んだ。そして、ユリウスを引き寄せるとそのまま抱きしめた。ユリウスは驚き過ぎて頭が真っ白になり、何も言葉を発することができなかった。

 ライムントがユリウスの耳元で、

「私がおまえを好きだと言ったことは忘れてないな? それなのにここに一人で入ってくるとは……。無防備だな」と言った。

 ユリウスは、はっとしたが遅かった。ライムントはしばらくの間、ユリウスを抱きしめていた。それから、ユリウスの後頭部に右手を回すと、ユリウスの顔を自分の方に向かせ、ユリウスにキスをしてきた。

「――――!」

 ユリウスは突然の事に抵抗することも忘れ、体を硬直させた。

 ライムントがキスをしたまま、ユリウスをベッドに押し倒した。そして、上から覆いかぶさるような体勢でキスをさらに深めていった。ユリウスの指と指の間にライムントが指を絡ませる。ユリウスは全身の血がいつもの倍ぐらいの速さで流れているような、そんな感覚に陥った。かなり長い時間、二人はそのままの体勢でキスをし続けた。

 ユリウスが完全に我を忘れた頃、部屋のドアをノックする音がした。ライムントがユリウスから離れ「誰だ?」とドアに向かって尋ねた。ユリウスは、一気に現実に引き戻されたような、そんな感覚に陥った。

 外から「ライムント様、そろそろお時間です」と声が聞こえた。ライムントは「分かった」と答えた。

 ライムントがユリウスを見下ろし、

「今日はこれから予定がある。ここで待っていてもいいが……?」と言い、意味深な笑みを浮かべた。その様子が、何だかとても艶めかしくて、ユリウスは一瞬魅せられそうになった。しかし、首を振って「いえ、……帰ります」と答えた。

「そうか。残念だ」

 ライムントはユリウスの髪を優しく撫でると、立ち上がって部屋を出て行った。

 その瞬間、ユリウスは「はああ」と大きく息を吐いた。心臓が破れそうなぐらい、動悸が激しい。しばらくの間、そのまま動くことができなかった。

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