第5話

 山を一直線に駆け下り、街道に出てからも休まず二刻半ほど歩き続け、昼過ぎには都南の大門に辿り着いた。


 薄汚れた白壁に、朱の剥げた柱が六本並ぶ。出入口は五つ。

 二階には物見の楼閣がある。大棟の側面に苔が生し、経年劣化でひどいありさまなくせに、軒平瓦はまだ偉そうにつんと反っている。


 門には見張りもなく、昼夜開きっぱなしである。

 左右に城壁が続くが、それも十間ばかりで途切れるため、都にはいつでもどこからでも出入りができた。


 露葉は柱の陰で少し休憩した後、出て行く牛車とすれ違いに都へ入る。


 大門を抜ければ、幅およそ十七間の大路が途方もなくまっすぐ、北へ伸びている。牛車が十台以上も横に並べる広さだ。仮にこの道をずっと行けば、帝のおわす大内裏へ辿り着く。


 そちらは壮麗な門と高い壁とに囲まれ、門番もあり、無位無官の者は出入りができないようになっている。

 幸い、今日の露葉は帝に用はない。


 陰家は大内裏から見て東方、陽家は西方に屋敷が建っている。


 都は全体が長方形であり、もし大路に沿って縦半分に折ったとすれば、陽家と陰家はちょうど重なる位置にあった。


 それを知っているだけで、陰家に行ったことがない露葉でも道に迷わない。

 なぜなら縦横の道はすべて直角に交わり、大路を境に都は左右対称のつくりをしているため、陽家までの道順を左右逆に辿れば、自然と陰家に行けるわけなのである。


 まずは、大内裏南の《南天門》まで大路を駆け抜ける。そこまででも半刻以上はかかる。都はとても広大だ。


 握り飯一つの昼餉ではさすがに足りず、途中、どこかの小路から漂う甘粥の匂いに誘惑される度、露葉はギンのやつれた姿を思い浮かべ振り切った。


 暢気に茶屋で休む時間はない。ぜいぜい喉を鳴らして、赤くそびえる南天門の前に辿り着いた。


 この辺りまで来ると、生垣に囲まれた貴族屋敷ばかりが目に付く。ほとんどが大内裏に仕える官吏たちの邸宅だ。

 おおまかに言えば、官位の高い者ほど大内裏の近くに居を構え、南に下ってゆくほど屋敷の主の位は下がり、都の半分より南は平民の掘っ立て小屋が並び、郊外には農地が広がっているという具合だ。


 南天門を正面に、左に行けば陽家、右に行けば陰家がある。


 露葉は一旦息を整える間、左の道を見やった。そちらに母がいる。父も、兄も姉もいる。


(わたしが都に来てるって知ったら、驚くかな)


 寄るつもりはない。

 陰家に話をつけ、夜通し走って帰れば、明日の朝には何食わぬ顔で修練場にいられる。気づかれなければ気づかれないに越したことはないのだ。


 本当は、せっかくここまで来たのだから、叱られる覚悟で母に会って行きたかったが。


(どうせ、お母さんは会ってくれない)


 すぐそこにいるのに。


(まるで死んでるみたい)


 会えないという意味では、ギンと同じである。


 つい、そう思ってしまい、露葉は慌てて頭をぶるぶる振った。


(違うでしょ。わたしのお母さんは生きてるでしょ。会えないのはわたしが弱いからで、わたしのせいでしょ)


 露葉は理不尽に奪われているわけではない。何もできない当然の結果として、愛される資格を失っただけ。自業自得で、ギンとは違う。


 己を己で叱りつける。

 だが同時に、仄暗い考えが頭の片隅に引っかかった。


(…もし、ギンが妖になるのを防いで、陰家の人を助けられたら、お母さんはほめてくれるかな)


 露葉がやろうとしていることは、一種の妖退治でもある。

 勝手な行動は叱られるだろうが、露葉が一人で成し遂げたならば、少なくとも《何もできない》という評価は取り下げられるのではないだろうか。


 無論、最初からすべて露葉の勘違いだった可能性はまだある。大体、何かをやろうとしてうまくいった試しがないのだ。根拠のない希望は身を滅ぼす。

 それでも、それでも。


 期待半分、不安半分。

 竹筒の水を飲み干し、露葉は右の道へ駆けていった。





「――っ、――っ、あ、れ?」


 半刻ほども走り回り、いい加減に露葉は足を止めた。


 南天門を右に曲がり、二つ目の角を左に、さらに二つ目を右に。それだけで辿り着けるはずが、一向に陰家の屋敷は見当たらない。


 近くの屋敷を一軒一軒覗き込み、時にはその屋敷の使用人を捕まえて確かめ、陰家への道順を聞き、その通りに行っても、なぜだかそこにあるのは別の貴族の屋敷なのだ。


 それを繰り返すうちにわずかな体力の残りが尽き、道端に座り込む。


 明らかに、おかしな事態に露葉は陥ってしまっていた。


(確か、こーゆー術があった気がする。自分のいるところを隠して、見つからないようにする、隠形の術だっけ)


 屋敷を丸ごと隠すなど、とても高度なものだ。この類の術は、陽家よりも陰家が得意としている。そう千影に習ったことを思い出した。

 しかし、それにつけても妙である。


「おい」


 不意の声に、へばっていた露葉は素早く顔を上げた。反射的に短刀の柄にも手をかける。


 しかし、いたのは膝に両手を置き、覗き込んでくる無害そうな少年だった。十五かそこらの、兄の真白と同じ年頃に見えた。


「どうした? 大丈夫か?」


 道端に座り込む子供を、純粋に心配していた。差し伸べられる手に、露葉がどうして良いかわからずにいると、少年は地面に片膝を突き、露葉の背をさすってやる。


「立てないのか? さっきからこの辺を走り回ってるみたいだが、どこに用があるんだ?」


 どうやら、露葉の様子を見ていたらしい。そんな気配はまったく感じなかったため、露葉は意外に思った。


 少年は露葉と同じ直垂姿で、括袴くくりばかまを穿き、脛巾を巻いている。一般的な庶民の格好である。ここらに住んでいるのであれば、貴族屋敷の使用人だろう。


 露葉の息が整うのを少年は黙って待っている。


「陰家に、行きたいの」


 ようやくそれだけ答えると、相手は黒目を大きくした。


「俺は陰家の者だが」

「ほんと!?」


 思わず出た歓声に、少年は驚いた様子だった。うっかり身まで乗り出した露葉は慌てて元に戻る。


「ごめんなさい。わたしは陽家柱男、蘇芳が次女の露葉と申します」


 名乗りの仕方は口酸っぱく教え込まれている。

 さらに驚く相手へ証拠として、短刀の鍔に彫られた南天の実の紋章を示した。南天は陽家の家紋である。ここまで見せれば、疑う者はない。


「陽家の娘が、一人でなんの用だ?」

「聞きたいことと、知らせたいことがあるの。えと、えと、陰家の人の誰かが、山犬の妖を斬ってないですか?」

「…山犬の妖?」

「そう!」


 露葉は必死に、夢の記憶を手繰り寄せる。


「斬った人は男の人で、目が、こう、細くて、ちょっと怖い感じで…あと、柊の金物飾りがついてる黒い太刀を持ってた。赤い下緒が巻いてあるやつ」


 細部を思い出そうとすると、脳裏に蘇る血濡れの光景に吐き気がしてくる。また黒い感情が湧いてきそうになったため、そこまでにした。


「その斬られた妖の子どもが、お母さんを斬った人のことを恨んで、妖になりそうなの。…たぶん」


 言いたいことがこんがらがり、あまりうまくは説明できなかった。だが、今回はそれで十分であったらしい。


 話を聞いた少年の顔付きは、すっかり険しくなっていた。


「わかった。そいつが陰家を狙うことを、知らせに来たわけなんだな?」

「う、うん、そう」


 やや気圧されつつ、露葉は頷く。


「でも、なんでかお屋敷がわからなくて、行けなくて…」

「案内するよ。おいで」


 しどろもどろの露葉の手を少年が取る。

 露葉は引かれるままに歩き出した。


「お兄さんは、陰家の退治人なの?」


 露葉はまだ相手の名も、はっきりした素性も聞いていない。

 少年もそのことに気づき、表情を和らげた。


「そうだよ。俺は陰家柱男、黒羽の甥の琥珀だ」

「へえっ」


 やっと相手のことがわかり、露葉は幾分ほっとした。


 琥珀の口調は柔らかく、繋いでいる手は温かい。取っつきやすい印象の人物であった。


「琥珀お兄さんは、いくつ?」

「琥珀でいいよ。十五だよ。お前、えーっと、露葉は?」

「十」

「おぉ。その年でもう仕事してるのか」

「してないよ? わたしはまだ修行中」


 どうしてそんな勘違いをされたのか、露葉はわからなかった。

 すると琥珀のほうも、怪訝な顔をする。


「だったらどこで――いや、まあ、二度も説明させることはないか」

「なに?」

「なんでもない。今からお前が探してる人のところに連れてってやるから、その時に詳しく事情を話してくれ」

「妖を斬った人のこと、わかるの?」

「たぶん、うちの柱男だ」


 今度は露葉が、大きく黒目を見開いた。


「お前を連れて来るように言われたんだ。おそらく心当たりはあるんだろう」


 そうして、琥珀はいくら探せど見つからなかった、柊の葉と花の紋が描かれた門扉を開け、露葉を陰家屋敷へ招き入れた。

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