第20話聖堂

 精霊界の聖堂に現れたフェイルウォンは、星辰の神に説明した。

 人間界において、生死の狭間をさまよった人間が精霊界に紛れこんだところで、すぐに殺すのではもったいない。

 修行なり特訓を重ねて、強くしてやったらいいではないかと。

 星辰の神エイルナリアは、あわれむように見た。

『そんな手間は神々を煩わせるだけだ。ただ信じろ――この世界の、おまえたちの行く末を。それが力になる』

 神は暇ではない。

『勇者が少々強くなったところで、守り人の狂暴化がとまるわけではないんだ。竜王をたたかねば』

「それじゃあ、勇者団を作って、一気に親玉をたたく。どうだ」

 エイルナリアは呆れた。

『まったく、おまえは戦いに特化した発言ばかりだな』

「生きのびるためさ」

 フェイルウォンは何でもないように言い返した。

『それは、生きて人間界に還れると思っているのか』

 フェイルウォンは、しみいるような微笑で返した。

「あんたが、次元をいじって跳ばしてくれれば、万事解決」

『えらい奴に見こまれたものだ』

 エイルナリアは、嘆息した。

 なぜ、フェイルウォンがここまで精霊界について明るいのかは、どうにも説明がつかない。

 いや――説明のつかないことが人間界でも起こっていた。

 それはまた、別の話である。

 そのローブの袖を引っ張って、ルシフィンダが――今までずっといたのであるが、口をはさむのをためらっていた――懇願するようにエイルナリアを見上げていた。

『エイルナリア様、私も……』

『うん? なんだ? 言ってみたらいい』

 ルシフィンダは、思い切って言ってみた。

『私も、フェイルウォンと共に人間界へ行きたいです!』

 彼女の頬は、真っ赤に上気していた。

 精霊界の女子としては、思い切った願い事だった。

 なぜなら、精霊界は精霊と神の修行の場。

 その修行を怠って、もしも――もちろん万が一の場合だが――人間の子を産んだら、その存在は消滅してしまうのだ。

『ルシフィンダ、おまえ、この男を愛しているのか?』

『そ、そんなことはありません。ただ、この方のそばにいると胸がドキドキいって、わくわくしてしまうんです。こんなこと初めて!』

『私には、わからないな』

 素朴に言って、でもフェイルウォンとルシフィンダならばうまくやっていけるだろう、と判断し、すぐにその場で儀式を取りまとめ始めた。

『簡易式だが、今より安全なところに送る。いいな』

「俺は、まだやることが――」

『竜王をたたくことか? やめた方がいい。それより二人で一緒に幸せになれよ』

「待ってくださーい!」

 聖堂の扉を押し開けて、侵入者が飛びこんできた。

 大きな扉を全部ひらいて、少女が駆け寄ってくる。

『おまえは……』

 絶句する女神と精霊たちに、少女は息を切らせながら、大きな目を潤ませて訴えた。

「今、人間界に行くと、竜王が……竜王が追いかけてきます! それよりすべきことがあるはず――」

 一同、唖然としていたが、チャンスとばかり、背後から笛の音が聞こえてきた。

『ローズ!』

 ロージリールは、一瞬ぼうっとしてルシフィンダの顔を見た。

 とっくに失ってしまったはずの友人の顔を今、再び見ることができた。

 不思議な気分だった。

 いや、彼には彼女らに伝えねばならないことがあった。

「ルシフィンダ、この祝福の笛の音があれば、守り人は沈静化する。竜王に通用するかはわからないが、とりあえず守り人を傷つけずに済む」

 ロージリールの友、ルシフィンダは言う。

『でっでも、こちらに来てしまった人間たちの居場所は精霊界にはないのよ?』

「原因はわからないが、多分人間界でなにかあったんだ。原因を突き止めて、取り除こうと思ってる。おまえたちは、とにかくこの笛を持って竜王の怒りを鎮めにいくんだ」

 一呼吸分の間があって、ツバサが今度は口火をきった。

「父上、わたくしも同道させてください!」

「父上? 俺はこんなでっかい子供は持ってないぞ」

 フェイルウォンは奇妙だなと、あたりをきょろきょろした。

「そんな、わたくしをお忘れになったのですか?」

 大きな目を潤ませるツバサに、ロージリールがわき腹を肘でつつく。

 ルシフィンダが、不審そうに見ている。

 フェイルウォンは、狼狽しかけて、

「あ、ルシフィンダ、誤解しないでくれ。本当に俺は知らない」

『……』

「あ……そうだった」

(父上はこのときまだ……)

 ツバサは思いながら、ルシフィンダの方を見やる。

(母上だ。こんなにおきれいなかただったのだ。眉根を寄せてる姿までお美しい)

 ツバサも一瞬間、ぼうっとしてから、なおたたみかける。

「いえ、ぜひ協力させていただきたいのです! ちちう……フェイルウォン様!」

 ロージリールが、祝福の笛をスッと差し出し、もう一度言う。

「攻撃的な守り人……モンスターはこれでおとなしくなるはずです。そうでなくても黙って去っていきますから、竜王のもとまでいけるでしょう」

 ずしん、という音がして聖堂の周りがにわかにざわめいた。

『この気配は!』

 エイルナリアが、叫ぶなり細いスリットのような窓辺によった。

『巨岩兵……! 聖堂の守りを破ってきたのか! 全員表へ出ろ!』

 見れば、化け物としか形容できない目鼻のない巨人が、野太い岩の腕をぐいぐいと聖堂に押しつけてくるのが見える。

 聖堂を、打ち倒そうというのだろうか。

『どうして? 守り人は聖堂を守ってるはずよ』

 白い壁が、みしりと音をたて、はがれた漆喰がパラパラと降ってくる。

『くっ』

 ロージリールは、独り動じず、祝福の笛を奏でた。

 腕前には、ブランクがあるが、横笛には手入れが行き届いていた。

 静かな子守唄だ。

 表で重量感のある物音がしたので、皆がスリットの窓からのぞくと、巨岩兵はしりもちをついた形で花を摘み、小鳥と戯れていた。

 恐怖に青ざめていたフェイルウォンが、震える声で言う。

「なんと、ただの笛の音でこのようなことが……」

『いや、これはただの笛ではないよ。そうさな、ただの風精の持ち物でもない』

 エイルナリアの一言に、ロージリールは深々と礼をとり、改めて笛を差し出した。

『いいのだね?』

「わずかなりと、お力になれるのであれば、膨大な歓びの極みにございます」

 エイルナリアはその言葉にうなずいた。

『おまえのようなものが、一介の風精というのは奇妙なものだ。あとで、上天意様に申告しよう』

「いえ、それは……」

 困る、と言いかけ語尾を濁した。

 ロージリールは、確かに風精としてこの精霊界に生まれた。

 それから、ろくに修行もせずに、未来から来たのを知られてはいろいろと都合が悪い。

『よしわかった。上天意様には黙っておいてやる。風精が持ち場を離れたとあれば、風雷の神の失態ということになるしな』

 ロージリールは、ようやくほっとした顔つきをした。

『しかし本当におとなしくなるとは……なるほど祝福された神器なのだな』

 エイルナリアは慎重に手を伸ばしたが、途中でやめてしまう。

『む、これは……』

 言って、ひっこめた手先をジッと見た。

 おかしい、と顔を上げてロージリールがエイルナリアを見ると、むつかしい顔をしている。

「どうかなさいましたか?」

『……いや。その笛はおまえが持っていた方がいいのだろう。われわれと共に、フェイルウォンをつれて竜王のもとへ……頼めるか?』

「もちろんです!」

 ロージリールは息せきこんで、身を乗り出した。

『うむ……ここから先は未知数だ。がんばれ、としか言ってやれない。まかせたぞ』

「はい!」

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