第19話祝福の笛
そこで、気を抜いていたのが悪かった。
花畑を、ぐしゃりと崩して巨人がやって来た。
手には、巨大な鉄球のついた杖を持っている。
顔面に、大きな目玉ひとつ。
ぎょろぎょろとさせている。
「風精さん、これはいったい……」
「俺に聞くな。あのとき、こんな奴は近づいてはこなかった」
ターバンを直したばかりの風精と、ツバサは目を白黒させている。
そこへ、森の小鳥のさえずりのような笛の音がしてきた。
「これは……?」
ようく注意して身を低くし、丘の上を見ると、木陰に座ったロージリールが得意の横笛を吹いている。
その隣で、花精がゆったりと耳を傾け、過去のイグニスが青空にもくもくと立ち上る入道雲を目で追っていた。
ふと、笛の音がとぎれ、イグニスがロージリールに語り掛けるのが見えたが、何を言っているかまでは聞こえなかった。
しかし、その笛の音がしたとたん、一つ目巨人は去っていった。
「きっと、あれは守り人の異種だ。あの笛はいつのまにか行方不明になっていて、俺様は持ってない。もしあの笛が、狂暴化した守り人をおとなしくさせることができるならば、今手に入れよう。それしかない」
「確証はあるのですか?」
ツバサは、不安げに耳朶に触れた。片腕で、ウエストあたりをぎゅっと抑えている。
「あの笛をなくしたころから、精霊界で守り人の動きが活発になっているのを見かけた。確証がなくても、やってみる価値はある。それでなくとも祝福の笛だからな」
「過去の自分から笛を強奪するのですか」
「人聞きが悪い。少々拝借するんだ。あとで返す」
「けれど未来のあなたが持っていないということは、過去において返してこなかったということに……」
風精は、苦虫をかみつぶしたように、顔をゆがめた。
「それでも必要なんだ。そしてこの時代において、俺様は守り人の脅威を知らなかった。今必要としているのが本人である俺様なんだから、借りたっていいだろう」
「そ、それは、へりくつなのでは……?」
「勝手に言え」
一つ目巨人の脅威から免れた二人は、御山(みやま)の神殿まで行って、笛を手にするタイミングをうかがっていた。
神殿までの道のりは、勝手知ったるロージリールには楽々と登れた。
ツバサの方は、あまり人気のない柱の陰で待機だ。
神殿に詰めている他の風精が、声をかけていく。
『よっ、ローズ。イグニス様は一緒じゃなかったのか? かんかんになって探してらしたぜ』
「いんだよ。どうせ契約したわけじゃないんだから」
と悠然と中へ入って、かつてロージリールの使っていた室内へ入る。
祝福の笛は文机の上にあった。
手にしようとしたとき、部屋の向かい側の方から来た風精が、
『あれ? ローズ、さっき水盤のきざはしにいなかったか? イグニス様に言ってやろーっと』
途中でぎくりとしながら、笛を服の中に隠したロージリールは、動揺をかくせないまま適当な言葉をかえす。
「どっ、どこにいようと勝手だろ! イグニスなんてハンパな神には俺様は用がないんだ」
『相変わらずだねえ』
(さあ、こちらもさっさと引くが兵法)
ところが、水盤のきざはしから戻ってきたロージリールが部屋に戻ってきた。ずぶぬれだった。
その横顔は重苦しく孤独だった。
『いよう、ローズ。今さっきおまえの噂話をしてたところさ。……あれッ?』
笛を奪取してもう用がなくなったほうのロージリールはとっさに声色を変え、
『だめじゃないかー、そんな恰好で部屋に入っちゃー』
と、大きな布地を寝台からとり、二人の風精の頭からかぶせた。
『ぶわっ』
『うわ! 何だよ』
そこにあった腰ひもで、彼らの首を布地越しにグルグル巻いて、相手がもがいているうちに部屋を脱出してきた。
間一髪。
ツバサと合流し、ツバサを連れてさっさと逃げる。
なのに、前方からはイグニスが!
「しまった、ツバサ、顔を隠せ!」
言って、ロージリールは、ツバサを背にして通り過ぎようとした。
『おや、ロージリール様』
運悪く、声をかけられてしまった。
もっとも、イグニスがロージリールを放っておくことはまずなかった。
『そちらの方は……花精ですか?』
「ああ!」
『薔薇の香り。もしかしてルシフィンダですか?』
「お、おお」
『あなたも大概にしておおきなさい。彼女にも仕事があるのですから』
「そう……するさ」
そそくさと先へ進もうとする。
すると、イグニスは目をすがめた。
『んー? あなたが素直に言うことをきくなんて、前代未聞ですねえ』
とたん、ロージリールは襟首をつかまれた。
久々に。
この世界でも、イグニスは食えない。
『なにか隠してますね!』
「やばい、逃げろ!」
ロージリールたちは、ふり払って一目散に
『あの逃げ足にはかないませんね』
イグニスが当惑の顔をした。
ツバサたちから見て、過去の精霊界は、宮廷画家の描く風景画に似ていた。
神殿内の中庭からも、よく下界が見えた。
風精が、湯気を立てて沸かしたての湯をポットに注ぐ。
温めたティーカップに、お茶を用意すると、すでに白い丸テーブルに着席していたイグニスに差し出した。
ほっとする瞬間。
イグニスが、お茶に口をつけると、
『なんです』
『みて参りましょうか』
その必要はなかった。
ふてくされた顔のロージリールが大股でやってきて、イグニスの飲みかけのお茶をぶんどって飲み干した。
『あちー』
『おや』
『なあんだよっ』
イグニスは微笑む。
『あんなにごきげんだったのに、なにかあったのですか?』
『なにがごきげんだ。なんにもねえよ。そこいらのやつにいたずらされたんだ』
『剛毅な者もいたものですね。ご健勝のようでなによりです』
『なあにが、ご健勝!』
『失礼。他に言葉が見つからなかったもので』
イグニスはしれっとしている。
微妙に会話がすれ違っているが、いつものことで、本人たちは気づかない。
このとき、ロージリールが出て行った方向とは反対方向からやってきたのにも誰もなんら不審を抱かなかった。
というのも、風精はそもそも空を飛べる――御山(みやま)は平穏だった。
……ように見えていた――まだ――。
『ルシフィンダはどうしました』
イグニスが、先ほどの追求を始める。
だが、ロージリールは意外なことを言い始めた。
『あいつ? そうだな、ここのところ聖堂へ行ってるらしいんだ』
『聖堂……なるほど』
『どうかしたのか、それが』
『いえ……少し前に神々が意見を求めてきたので』
『上天意さまじゃなく? イグニスに?』
『みなさん、動転してましたから、藁にもすがる気持ちだったのでしょう』
『それで、あんたは何を言ったんだ?』
『ああ、いえ。ここのところ、精霊界の守り人たちが狂暴化しているそうです。原因は人間界から人間が入りこんできてるっていうんです』
イグニスは、このロージリールにはペロリと話してしまう。
もともと、森の民だったので、嘘がつけないのだ。
『それで、あんたはなんて答えたんだ?』
『精霊界に紛れこんだ人間を勇者に仕立てて、狂暴化した守り人と戦わせたらいいじゃないかと』
『イグニス、守り人はその人間から精霊界を守ってるんだと思っていたんだけどな』
『狂暴化してるんですからモンスターですよ。それに人間の物理攻撃は守り人の狂暴化を抑え、沈静化させる。勇者が責任もって彼らを正気に戻す、これが効率的です』
(かえって暴れると思うんだけどな。人間の攻撃を食らったら。第一人間が精霊界に紛れこんでるのを追い返すのが守り人じゃなかったのか)
『勇者が死んだら、精霊界に招いて修行させる。万事抜かりなしです』
ふうん、と腑に落ちない様子のロージリール。
『どうでもいいから、茶のおかわりをくれ』
いつの間にか、ルシフィンダの話題が聞き流されている。
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