第2話異世界転移のからくり

 勇者は戦士だった。

 もともと傭兵だったものもいるが、学徒が勇者になることは希だった。

 だがその男は、

「ルシフィンダというのか。俺は医者だ。薬草を育てていたのだが、連日荒らしまわるものがいて、困り果てていた」

 一介の花精は、戸惑いも隠さず、彼の袖を指でつかんだ。

 見れば、ルシフィンダは目に涙をためて、ふるふると首を振っている。

「だめ。こちらへ来ては」

「まあ、まず自己紹介をさせてくれ。俺はフェイルウォン。腹が減っていたのだ」

 彼は悪びれもせず、祈りの祭壇にどっかと座って動じない。

 ルシフィンダは、驚いた。

 なんという、肝っ玉の持ち主か。

 しかし、精霊界は今……とても長居して得のある場所ではなかった。

 生身の人間である、勇者にとっては贄となるばかりの苦しい状況だ。

「お願い、フェイルウォン、逃げて」

「逃げる、とは?」

 そんなことは選択肢にない、と言わんばかりに祭壇に供えられたイチジクをとって食べる。

 その意味合いについて彼は何も思わない。

 うまい、とだけ褒める。

「しかし、山の中にこんな場所があるとは、にわか医者にはわからなかったぞ」

「に、にわか医者!?」

 先ほどは、はっきりと医者だと言ったではないか。

 そのとき、神殿の入り口から神霊のことほぎが歌と共に聞こえてきた。

『宇宙を越えて、星辰のかなた。進め勇者よ、心の限りに。そなたの行いは素晴らしい。天の遣わしたもうた、その力よ、勇者よ』

 フェイルウォンは、あやしげな目をむけている。

「こりゃあ、うさんくさそうだ。お嬢さんの言う通り、退散するぞ。それがいい」

 よっと手をかけて、祭壇の上に伸びあがるが、次元のひずみは見つからなかった。

 どうやら、人間界から彼を放出した後、閉じてしまったらしい。

 フェイルウォンは、しばらく考えて、ルシフィンダにひそひそと声を忍ばせて問いかけた。

「俺は薬草泥棒の跡をつけてきただけなのだ。どこにもやましいところはないのだぞ。それなのにここから出さないというのはどういう考えだ?」

 ルシフィンダは、くすぐったそうにして、はっきりと答える。

「もうここへ至っては、あなたは「竜王」とその臣下を砕くほかありません。剣を扱えますか?」

「うんまあ」

「上等です」

 神殿の入り口から、光が差してきた。

 女神が来たらしい。

「なんのゲームなんだ、これは」

 凛として、美しく気高い……いや、少し険高い声がぶつくさ言うのが聞こえた。

 そのまま、つかつかっと長いローブを膝までたくし上げて、その女神はやってきて言う。

 この姫神は、栄枯盛衰をくり返す人間界において徳を積み、また修行を重ねたので今は星辰の位にいる。

 長い金髪は、腰までゆるく流れ、瞳はうつくしい翠(みどり)。

 薔薇の花びらのような唇で、怒気を放つ。

「馬鹿げている!」

「エイルナリアさま!」

 ルシフィンダが、感極まってその足元にひざまづく。

「聞こえなかったのか。私は星々を跳び、上天意さまから精霊界をお守りするよう仰せつかっている。なのに、なぜ今魔神の「竜王」と戦わねばならない」

 ルシフィンダには、わかった。

 要するに、彼女が、フェイルウォンの守護につくことになったのだ。

「私もお供いたします!」

 長い溜息が、ルシフィンダの耳朶を打った。

「私は、この任を辞することにする。どうせ加護をもってしても、人間ごときが「竜王」に勝てるわけがない。死ににいくのと同じだ。そこの男も目を醒ませ」

「エイルナリアさん……あんた早計じゃないか?」

 虫が口をきいた、といわんばかりにエイルナリアは目をむいた。

「正気か? 勝算などないのだぞ」

「戦わねばならぬのか?」

「ん?」

 要は、精霊界は生身の人間を追っ払いたいだけなのだ。

 そこに、男は気づいていた。

 自分は、この世界においておじゃま虫。

 場違いなのだ、と感じていた。

 むしろ、この男は頭の回転が速すぎて、常人にはついてゆけない。

 エイルナリアは、そこを気に入った。

「一つ聞きたい」

 と、エイルナリアは真っ向から尋ねた。

 フェイルウォンは、じっと見つめ返し、目で笑う。

「なんでもどうぞ」

「おまえ名はなんという?」

「フェイルウォン」

「じゃ、フェイ。おまえなぜ上天意さまも言わなんだことを知っている」

 べつに、と男は少し口ごもった。

「その辺の事情は、ルシフィンダに聞いた」

「嘘をつくな。嘘を」

 一介の花精が知るはずもなく、「竜王」との戦いにおいて勇者に加護を与え得るだけの存在が、なぜいまの精霊界のことを話せるというのか。

「嘘ではない」

「じゃあ、そういうことにしておこう。この事態をどう収める」

「そうさな……わからん」

 フェイルウォンは、五個目のイチジクを食べてしまうと、汁にまみれた手を祭壇のクロスに擦り付けた。

 ルシフィンダが、困ったような顔でハンカチを差し出すと、いいから、と辞退する。

「ただ……この世はなんとかなるものだ。それだけは、かわらないな」

「おまえ、見てきたように……」

「まあ、なんとかなるなる」

 なんとかせねばならないのは、自分の身の上だということが、わかっているのかいないのか。

 彼は、つかみどころがなく、痩せっぽちで面白い人間だった。

 だから、ルシフィンダもエイルナリアも、彼を死なせたくはないと考えた。

 考えたうえで、エイルナリアは星辰の力で別の次元へ飛ばしてやろうかとも思った。

「ちょっと待った」

 フェイルウォンは、あわてて差し止める。

「それは、確か一人に対し、一回ずつしか行使できん力だよな」

「なぜ、知っている」

「待ってくれ。今はちょっと都合が悪い」

 命の危機に、都合がいいも悪いもあるか、とエイルナリアがいら立ちをあらわにすると、フェイルウォンは、にっこりと笑い、なんとかなるから、ととりなすのだった。

 やがて、あきらめたエイルナリアは、フェイルウォンにちくりとくぎを刺す。

「いったいどこから来たのか、なぜ精霊界の知識を持っているのか、人間界に紛れた神を私は知っているが、その仲間ではなかろうな」

「わからんよ」

 フェイルウォンはにたり、とした。

 決していやらしくはなく、いたずらっ気のある微笑だった。

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