第1話イグニスと神々の英断

「上天意さま、次々とびとたちが狂暴化しています。これはどうしたことでしょうか」

 神々は、守護担当地区から重い腰を上げて、上天意に向かって神託を仰ぐべく一同かいし、角突きつけ合っている。

「どうも、生きた人間がこの精霊界に大量に紛れこんできたという噂もあります。原因はそちらでは?」

 一同、ざわめいた。

 精霊界は、神と精霊とそれに準ずるものの世界だ。

 人間界で人として命を終えたものが、生前の功徳によって生まれ変わる世界である。

 功徳を積まずに死ぬと、風精や花精となって自然界の保護、育成にたずさわることになる。

 そうでなければ、神として修業を積む。

 そうして、風精は風雷の神となり、花精は大地の神となり、果ては上天意の許可のもと星と星の次元を超える力を持つ、最高位の星辰(せいしん)の神となる。

 その世界に、今は生身の人間が侵入してくるのだという。

「それは、いつ頃の話ですかね」

 ざわめきが、ピタッと止まった。

「イグニス・トゥルー。あなたは、まだ知らなかったのか」

「未だ人間界の名でよばれるのは心外です。ただのイグニス、とおよびください」

 気まずい沈黙があった。

 見かけは若いが、中身が古株の若者が言い始めた。

「とりあえず上天意さまよりも早くイグニスに説明せねば、この役にも立たない教養ばかりに長けている彼が場を乱しかねない。それにできればこの若い神の知恵を借りたくもある」

「それは身に余ることですね」

 若者のうまくないフォローに、イグニスはしれっとして言った。


「人間界で、大乱があったらしい。生と死の狭間を生きた人間は、片足をこちらにつっこんでいるも同然。まれに、生きたままこちらへさまよい来てしまうのだ」

 イグニスは、首をかしげる。

「へえ。生きたまま、不老不死の世界にねえ」

「別段、彼らにとってめでたい事でもない。こちらの時間とあちらの時間は流れが違う。あまり長く居座ると元の世界に戻ったとき大変なことになる」

「ふむふむ、で、守り人が狂暴化している、というのは?」

「守り人の総元締めがいたんだが、どうもこのごろ彼女の結界が緩んだか……とにかく人間が多く精霊界へ来ているらしいので、こちらもやっきになって追い返そうとしているんだが……勤務外にも働かされる守り人は、気が立って岩を割ったり、川を氾濫させたりと、なにかとモンスター化して困りはてておる」

 ふうん、とイグニスは寄合所の切り株の上に腰を据えた。

「では、生きたままこちらへ来た猛者は勇者としてモンスターにぶつけてはいかがか? それで勇者が死ねば部下にするのにちょうどいいし、守り人は我々の手がつけられないほど無数にいる。彼らが勇者との戦闘で正気に返ってくれれば万々歳です」

「おお、なんと斬新なアイデア!」

 神々の清らかな心では、できない発想だった。

 そのあと、事態がどうなったかはここで説明するわけにはいかない。

 神々全員が、上天意の意向は無視で、イグニスの案にのってしまったのである。

 この世界では、勇者はにえ

 神々が、そう決めてしまった。

 けれど、それは危険な賭けでもあった。

 人間界の大乱で死線をくぐってきたであろう勇者が、タダでモンスターと戦ってくれるかどうか、という。

 だから、神々は上天意への捧げものに匹敵する褒美を前払いしなければならない。

 だが毎日毎日、戦いにもいかず、飲み食いだけして、宝物庫からお宝を持ちだす勇者たちには、頭を抱えた。

 だからというわけではないが、神々は精霊界に紛れこんだ勇者を発見したら、まず適当な武器防具をもたせ、簡単な携帯食料と適当な加護を与えて、さっさと最果てへと送りこむようになった。

 扱いが雑になったわけである。

 これはまず、面倒がない。

 みな、より良い待遇と報酬だけを目当てに、戦いに集中してくれる。

 もともと、勇者にはそういう生業のものたちが多かった。

 守り人も、どんどん彼らめがけて押し寄せていった。

 しかし、目に見えない敵が、そこには潜んでいた。

 守り人たちの総元締め「竜王」が目ざめてしまったのだ。

「竜王」は黄金に輝くウロコを纏った、正真正銘のドラゴンである。

 長命で、繁殖はしない。

 精霊界の者が、子を産んだら消滅してしまうからだ。

 そして今のところ、ドラゴンが転生できる地は精霊界の他にはない。

 今は、モンスター化している守り人たちを我が子のようにかわいがる女性だ。

 精霊界にいるからには徳の高いドラゴンだし、人間界で人々を相手に伝承を伝え、知恵を授けてきた。

 人の姿こそしていない、魔神であったが……。

 その「竜王」の怒りをどう鎮めるべきか、神々にはわからなかった。

 人間の勇者が、精霊界の守り人を、モンスターとして殺してしまう。

 あるいは、守り人の方が勝れば勇者は精霊となり、守り人の世話になる。

 これは、どう考えてもおかしなやり方で、「竜王」が納得しないのも当然だ。

 よって、モンスターとの戦いで命を落とした勇者はすべからく守り人にさせるように、との要請が「竜王」からあった。

 そのまえに、精霊界に人間が入りこむのをなんとかしてほしい神々だったが、「竜王」は関知しない。

 一体、どうなっているのか、わからないというのだ。

 だいたい、精霊界は昔から、死と切り離せない人間世界とつながりが深く、イレギュラーで渡ってしまう人間がいることから、守り人が置かれるようになったのだ。

 守り人の役目は、生きた人間を退け、精霊界を守ることだ。

 神々が、お気楽に勇者たちに聖剣やらアイテムやらを与えてしまうから、守り人に分が悪くなる。

 そこを「竜王」は何とかしてほしいというのだった。

 第一に、精霊界を守ろうと置かれた者が、神々によってけしかけられた人間界の者どもに倒されてしまうのでは情けない。

 本末転倒だった。

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