第6話 おやつ
まだ物心もついていない頃。俺があんまり小さいから、親はよく俺に女物の服を着せた。服どころか、靴も髪型も何もかも。思春期に突入し、俺はちっとも男らしくならない自分に疑問を抱いた。自分の男という性別に違和感はなかったが、なんとなく周りとの違いに納得がいかなかった。
そのまんまの俺のまま、なんてこともなく高校入学を迎えた。お祝いに親族で食事会をしたとき、どこから持ってきたのか、母親が俺の子供時代のアルバムを開き始めた。俺が三つ編みにリボンをして、満面の笑みを浮かべた写真を見つけたときは、戦慄が走ったものだ。まさかこの頃からだったとは。俺のルーツはひょっとして、こんなところから来ているのかもしれない。
* * *
とある路地裏にあるパティスリーに、俺たちはお茶をしに来ていた。今どきの女子が好きそうな、ガーランドやらパステルカラーやらで彩られた店内。ガラスケースに均等に並べられた
「こんな洒落たとこ、俺ひとりで来る勇気なかったから助かるぜ…やっぱ持つべきは、流行と隠れ家に詳しい女友達だよな」
「嬉しいことゆってくれるぢゃん?わたしたちの仲なんだから、気にしなくていーの!」
こそこそと耳打ちすると、彼女はうふふと口元に手を当てて笑った。俺より少し背の高い彼女の装いは、ふわふわと巻いた髪をたなびかせて愛らしい。胸元に小さな
「んふ、あたしこーゆうデート大好きなんだよねえ」
店員の前で思いっきり腕を組みに来る。以上でよろしいですか?と聞きながら店員は、なんとも微笑ましい表情で俺たちを見つめた。しかしそれは、カップルを見て言うそれではない。何故なら俺は、胸元にポケットの付いたオーバーサイズのTシャツに、彼女と同じブランドの"タイトスカート"。所謂おそろコーデという奴に、身を包まれていたからだ。
* * *
股のところがすーすーする感覚にはもう慣れてきていた。向かい合って座る彼女が、嬉々として俺を見つめる。
「で?で?結局どうなったのお??」
「どうなったって…
「ちょっとお!そんなかわゆい恰好してその口調はだめだよう!」
折角のおしゃれデートがもったいないよ?と、レモネードが入ったグラスに手をかけて、彼女は小首をかしげた。んふ、と彼女特有の小動物のような笑みを浮かべる。おう…じゃない、うん、そうだね、と返すと、彼女は満足げに頷いた。
「ちゃんと報告してくれないと困るしい…その約束でいっぱい手伝ったんぢゃん?」
「それは、まあ…」
つい5日程前のこと。俺は訳あって、とある完全男子禁制のホストクラブへ向かった。今まで何度かおしゃれデートと称し女装してきたが、そんな甘っちょろいのとは訳が違った。今俺の向かいに座る彼女の手伝いもあり、とびっきりかわいく仕上がった俺は脚を震わせながらその店へ足を向けた。キャッチの声掛けにビビりつつも恐る恐る中を覗くと、あいつが店内を歩いているのが見えた。あの人をお願いします、と小声で伝えると、お待ちくださいとスタッフが奥の方へと消えていった。
あいつは質の良いスーツを着ていた。背が高いからよく似合うよなあ、顔も悪くはねえし…それになんだか、いつものあいつとは違うっつーか。こんなにきらきらしてたっけ?あいつも仕事に慣れてきたってことか。
俺が声をかけたスタッフが、あいつと軽く言葉を交わす。その後あいつが座った席には、マティーニの似合う巻髪の女がいた。ちょっと距離が近すぎないか?おいおいおいそこまで行っちゃあ…
その様を凝視していると、あいつはキョロキョロと辺りを見渡した。気付かれたような気がして、思いっきり顔を背ける。戻ってきた店員が、彼は今対応中なので別の人でもいいですかね?と勝手に話を進めて俺を店に入れた。足早に進むスタッフを追いかけながら、あいつが座る席の横を通り過ぎていく。
「本当だ!お姉さん、綺麗な爪してますねー」
「そうでしょ?貴方のためよ、あたしのお気に入りクン」
「そうなんですか?ふふ、すごく嬉しいです」
あいつの掌の上には、白くて柔らかそうな女の手、綺麗に伸ばされた薄い桜色の爪があった。俺にはない代物。あいつにとって、それが、特別なものだとしたら。
セットが崩れかかった彼の前髪が、はらりとその額に落ちる。ああ、その
何かが自分の中で駆け抜けていくのを感じた。駆け抜けながら俺の心をぐちゃぐちゃにしていく。俺はまた、あいつのせいで、新しい感情を知ってしまったのだ。
* * *
「えーなにそれ!!爪が綺麗だね~なんてさあ、そのこ超ライバルぢゃん!」
「でもさあ…何が悲しいって、あの仕事勧めたの自分なんだよね…」
自業自得、と鼻で笑うと、そゆのよくないよ!と彼女が身を乗り出す。
「もしそのライバルちゃんが何かゆってきたとしてもね?相手はしょせんお客さんなんだから、堂々としなきゃ!」
「と、言われましても…」
「だってほら、君っちにはどデカいアドバンテージがあるんだよ?一体何度、彼っちに告白されたかわかんないんだしい!」
「うーん…」
女に見間違われることは多々あったが、その上で告白までしてきたのは、あいつが初めてだった。それも初対面で。だけど、気持ちわりい…と思ったのは、意外にも一瞬だった。思えばそれがすべての始まりだったのだろう。要は、あまり認めたくはないが、お互い様っていうやつだ。
何度もアタックされ、俺が男だと知らしめてやれば収まるだろうかと思うこともあったが、何だか違う気がしてやめた。出待ちされ男の状態で見つかったときは焦ったが、驚いたことに、それでもあいつの態度は変わらなかった。そんな彼にどこかほっとしている自分がいることに、当時は戸惑いを隠せなかった。しかし俺は、どうにも彼の気持ちが掴めなかった。あいつがあんまり愛を呟くから、こいつはおふざけに過ぎないんじゃなかろうかという疑念がふつふつと沸いてきてしまうのだ。
* * *
膨れっ面の彼女が、両片思いがゆるされるのはハッピーエンドのときだけなんだからあ!と、煮え切らない俺にとどめを刺す。ハッピーエンドね…そうなるに越したこたぁねえんだろうけど。俺とあいつがふたりで仲良く…ん?俺は一体何を想像してるんだ。ふたりきりで俺が作った晩飯を囲む映像が浮かぶだなんて。
かっかと熱くなっていく俺には気づかず、彼女は小言を呟きながらもようやくケーキに手を付けた。宝石のような光沢のあるオペラ。そこへぬっとりとフォークを刺していく…はずの手が、その軌道から不自然にずれてゆるりと机の上に置かれた。
もしや、と俺は眉をひそめた。
「…おい、お前今日薬飲んだか?」
「んー…忘れたかもお…」
彼女は細くなった目でにへらっと笑った。身体中から力が抜けていくのが見て取れる。あっという間に彼女は、もう、夢の中だ。
彼女はナル?鳴子?なんとかという睡眠障害を持っていた。薬を飲まなければ、息をするように眠ってしまうことがあるという病。俺が初めてその病名を聞いたとき、鳴子なんて名前が入ってるんだからうるさくて目が覚めるんじゃないかと言うと、彼女は涙を流して笑った。そんなふうに受け取ってくれるのは君が二人目だ、と。
すやすやと眠る彼女の手元からケーキを避け、その肩に手元にあったブランケットをかける。今日はこれ以上は無理だろう。
「両方思いはハッピーエンド、か」
誰へともなく呟いたそれが、自分の中でじわじわと染みていく。あいつがどんなに言葉を重ねても、きっと俺が踏み出さなきゃ、何も始まらねえんだろうな。いづれ迎えるだろうその時は、俺が生み出してやるしかない。
俺は、明日のサンドイッチに、全てをかけようと静かに決意した。
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